与太郎外伝 第一章 1
テルだ!前回の更新から、8週…待たせたな!!
食事中も、箸の持ち方を叱責されることは勿論、テレビも観せてもらえず、それどころか、幸浩が帰宅した際には、三つ指をついて出迎えなければならないほど、光浩への厳格さは徹底していた。
光浩にとって、家から一歩足を踏み出した外の世界は、幸浩の呪縛から逃れられる、それそのものが憩いの空間だった。
光浩の性格は、いつしか、家でのストレスを外で発散するという、内弁慶ならぬ外弁慶のそれへと変わっていった。
それが、顕著に表れるようになったのは、幼稚園に入園してからだ。
いつものように、外で、近所の子供仲間と悪戯に精を出していた時、思わぬトラブルを光浩自らが引き起こしてしまう…。
序章も6話で終わり、今回からは第一章の始まりだ!
それでは早速どうぞ…
~・~・~・~・~・~・~・~・~
城東のテルこと白井光浩は、父・幸浩、母・鈴子の長男として、1968年3月26日、横浜市神奈川区子安浜にて生を享ける。
光浩が生まれた1968年は、国内外において、狂騒の嵐が吹き荒れていたかつてない時代で、海外からは、アメリカの軍事的介入により、ベトナム戦争が泥沼の一途を辿り、南ベトナムの共産ゲリラの蜂起、ソンミ村の大虐殺といった衝撃的なニュースが報じられ、国内では、米原子力空母エンタープライズの寄港阻止闘争や、騒乱罪の適用により左翼派学生ら450名もの逮捕者を出した国際反戦デー事件、三億円強奪事件が発生するなどしていた。
文化面に目を向けると、川端康成が日本人初のノーベル文学賞を受賞したほか、漫画「あしたのジョー」が連載開始、社会的な現象を巻き起こす。
また、芸能面においては、グループサウンズ人気が最高潮に達し、ジュリーこと沢田研二率いるザ・タイガースが日本初のスタジアムコンサートを後楽園球場にて開催。お笑い界では、クレージーキャッツ人気が終息し、ザ・ドリフターズ、コント55号といった新たなスターがお茶の間の人気を集めていた。
光浩が生まれた子安浜周辺は、浦島伝説に由来する史跡が複数あり、そのせいか、物心付いた幼少期から今に至るまで、浦島太郎には、親近感にも似た特別な思い入れがあるという。
光浩の父・幸浩は、元々歌舞伎役者として活動していたが、止ん事無き事情から、役者稼業を廃業し、紆余曲折を経て、日本舞踊の師範代となった異色の経歴を持つ人物だった。
そのため、実家のあった大口には、広い稽古場があり、歌舞伎や日舞といった日本古来の芸事に、光浩はこの時より身近に感じていたという。
日本舞踊の師範の息子にして、親族が飲食店等を手広く経営していたという家庭事情から、比較的裕福に育てられて来た光浩だったが、光浩が三歳になったある日、母・鈴子が若くして他界する。
まさに美人薄命。死因は、急性白血病だった。
しかし、まだ三歳になったばかりの光浩にとって、その死はあまりにも漠然としたもので、この時当たり前ながら、悲しいといった感情は露ほども湧かなかったという。
鈴子の死後、幸浩は、光浩を所謂シングルファーザーとして、成人するに至るまで男手一つで育ててゆくのだが、礼儀作法や品格、人としての礼節を弁えることに教育の重きを置いていた幸浩の存在は、幼い光浩にとって、脅威以外の何物でもなかった。
光浩が生まれた1968年は、国内外において、狂騒の嵐が吹き荒れていたかつてない時代で、海外からは、アメリカの軍事的介入により、ベトナム戦争が泥沼の一途を辿り、南ベトナムの共産ゲリラの蜂起、ソンミ村の大虐殺といった衝撃的なニュースが報じられ、国内では、米原子力空母エンタープライズの寄港阻止闘争や、騒乱罪の適用により左翼派学生ら450名もの逮捕者を出した国際反戦デー事件、三億円強奪事件が発生するなどしていた。
文化面に目を向けると、川端康成が日本人初のノーベル文学賞を受賞したほか、漫画「あしたのジョー」が連載開始、社会的な現象を巻き起こす。
また、芸能面においては、グループサウンズ人気が最高潮に達し、ジュリーこと沢田研二率いるザ・タイガースが日本初のスタジアムコンサートを後楽園球場にて開催。お笑い界では、クレージーキャッツ人気が終息し、ザ・ドリフターズ、コント55号といった新たなスターがお茶の間の人気を集めていた。
光浩が生まれた子安浜周辺は、浦島伝説に由来する史跡が複数あり、そのせいか、物心付いた幼少期から今に至るまで、浦島太郎には、親近感にも似た特別な思い入れがあるという。
光浩の父・幸浩は、元々歌舞伎役者として活動していたが、止ん事無き事情から、役者稼業を廃業し、紆余曲折を経て、日本舞踊の師範代となった異色の経歴を持つ人物だった。
そのため、実家のあった大口には、広い稽古場があり、歌舞伎や日舞といった日本古来の芸事に、光浩はこの時より身近に感じていたという。
日本舞踊の師範の息子にして、親族が飲食店等を手広く経営していたという家庭事情から、比較的裕福に育てられて来た光浩だったが、光浩が三歳になったある日、母・鈴子が若くして他界する。
まさに美人薄命。死因は、急性白血病だった。
しかし、まだ三歳になったばかりの光浩にとって、その死はあまりにも漠然としたもので、この時当たり前ながら、悲しいといった感情は露ほども湧かなかったという。
鈴子の死後、幸浩は、光浩を所謂シングルファーザーとして、成人するに至るまで男手一つで育ててゆくのだが、礼儀作法や品格、人としての礼節を弁えることに教育の重きを置いていた幸浩の存在は、幼い光浩にとって、脅威以外の何物でもなかった。
食事中も、箸の持ち方を叱責されることは勿論、テレビも観せてもらえず、それどころか、幸浩が帰宅した際には、三つ指をついて出迎えなければならないほど、光浩への厳格さは徹底していた。
光浩にとって、家から一歩足を踏み出した外の世界は、幸浩の呪縛から逃れられる、それそのものが憩いの空間だった。
光浩の性格は、いつしか、家でのストレスを外で発散するという、内弁慶ならぬ外弁慶のそれへと変わっていった。
それが、顕著に表れるようになったのは、幼稚園に入園してからだ。
いつものように、外で、近所の子供仲間と悪戯に精を出していた時、思わぬトラブルを光浩自らが引き起こしてしまう…。
つづく…
この物語は、限りなくノンフィクションに近い、フィクションである。
著 名和 広