与太郎外伝 序章 1
テルだ!
こんな人がいるなら、高校になんか行きたくないな。
そう思ったのが、小学六年生の時だった。
こんな人とは、当時、斜陽化の一途を辿っていた映画会社・東映復活の起爆剤となった映画「ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌」で、仲村トオル演じる主人公・中間徹の因縁の宿敵として、鬼気迫る怪演を披露した城東工業のテルこと白井光浩氏、その人であった。
我々、1970年代生まれのガキどもならば、城東のテルについては、説明不要だろう。
城東工業の番長・山田敏光に頭が上がらずにいるテルこと藤本輝男は、自らの不良としての格を上げるべく、手下どもを率い、他校の不良生徒達を集団リンチ。戦意喪失した彼らからボンタンを根刮ぎ奪っていくという、通称・ボンタン狩りの首謀者で、その鬼畜ともいうべき所行も含め、当時のシャバ僧だった私には、拭いきれないトラウマを植え付けてあまりあるキャラクターだった。
ある映画評論家などは、狂気、凶器を演じるという観点で捉えれば、白井氏を「復讐するは我にあり」の緒形拳、「コミック雑誌なんかいらない」のビートたけしといった名優達と比肩し得る存在だと、絶賛の声を寄せていたこともあった。
その独特のイントネーションを炸裂させたテル節は、1980年代、小・中学生として過ごしていたガキどもに、多大な影響を齎し、テルの表情や顔付き、喋り口調等を真似する「テルチルドレン」が、巷に溢れることになる。
当時、とんねるずや志村けん、光ゲンジといったテレビの人気者を物真似する同級生もいたが、その中でも、テルは、本来マイナーな存在である筈なのに、休み時間、放課後、はたまた友達の家でファミコンをやりながらなど、テルの物真似をする輩が如何に多かったことか…。
そういう意味では、城東のテルもまた、80年代末葉をシンボライズする(やや日陰寄りの)ヒーローだった。
何しろ、邦画贔屓としても知られる名匠・タランティーノが、この数年後に「高校与太郎哀歌」を鑑賞し、この役者に会いたいと渇望していたというまことしやかな伝説さえ、あるくらいなのだ。
しかしながら、白井氏はこの一作のみで、光を残し、邦画界からフェイド・アウトしてゆく…。
シャバい小学生も、中学、高校、大学と進み、城東のテルのような危ない凶人に出くわすこともなく、その後、様々な職業を転々流転し、物書きという不安定な浮き草稼業に就くことになる。
時は2007年、私は三十代になっていた。
この頃、仕事柄始めた方がいいと、友人から招待され、ソーシャル・ネットワーク・サイトmixiに入会することになる。
そして、たまたま覗いた「ビー・バップ・ハイスクール」関連のコミュニティーで、驚愕のトピックを目にすることになる。
「城東のテルを囲む夕べを開催」
城東のテル?
まさか、あの白井光浩氏が?
トピ主は、岐阜在住の方で、そのご友人の方が、ネットで、たまたま白井氏と知り合い、意気投合されたとのことで、このようなイベントが開催される運びになったという。
少年時代、深いトラウマを私に残し、いずこへと消え去ってしまった白井氏。
現在は、何処で何をされているのだろう?
元来の好奇心の塊である私は、白井氏に会って、当時の撮影の裏話や氏の近況を知りたい。そして、一緒に酒を酌み交わし、興が乗じれば、カラオケで「ビー・バップ・パラダイス」でも、デュエットしたいと、妄想が膨らみ、テンションは天井知らずに高まった。
城東のテルに会いたい。
いてもたってもいられなくなった私は、早速参加を申し込み、イベント開催当日、岐阜へと向かった。
それも、売れないライター稼業であるため、少しでも、旅費を節約すべく、青春18切符を使った各駅停車、ぶらり旅だった。
つづく…
※この物語は、限りなくノンフィクションに近いフィクションである。
著 名和 広