このブログで、毒親であった父の記憶を書いたことがあります。
その中で、有難いことに、読者の方がコメントを残してくれたんだけど、
「お父様はそんなつもりはなかったと思います、
嫌ってたと思うのは考えすぎ」という内容でした。
私は、その時は、そこまで考えてなかったんだけど、
確実にこのコメントに傷ついていました。
コメントを下さるのは、とても嬉しいことだし、有難いと思うんだけど、
その温かい言葉にも、なぜか傷ついていて。。。
そういうふうに感じてしまう自分には
何か欠陥しているんじゃないかと思ってしまったり。
しばらく自分の中で気持ちの整理がつかずにいました。
そして、父の虐待を一番近くで見てきたはずの実母が
「そんなのは見てない。
見てたら気付いたはずだ」
と言い始めました。
つい1ヶ月ほど前の事です。
しばらく経って、
ようやく自分が何に傷ついていたのか気づきました。
過去、DV夫にも、毒親であった父親の行動を肯定されることがありました。
その時に、同じような感情を持ちました。傷つきました。
それは、毒親であった父親に一度も会ったこともない人間が
私の記憶、経験、感情、全てを否定し、
「父親は正しかった、良い人だった」と言ったことが
ショックだったのです。
虐待という経験は、複雑なもので、
実際に起こったことだけど、過去のことだから、
はっきり覚えていないところもあり、覚えてるところもあり、
本当は起こってほしくない、起こってはいけないことだけど、
それを経験した人間にとって、実際起こったことを
無かったことの事のように言われると、
自分のことを否定されるような気持ちになってしまう。
実際のところ、虐待なんてない方が良い。
それは不幸以外の何ものでもなくて、
誰の身の上にも起こってほしくない。
だけど、それを経験してしまった。
経験してしまった以上、どこかで心の処理をしなきゃいけない。
それができないと壊れてしまう。
「考えすぎ」「毒親は良い人だった」という言葉は、
私の苦しんだ過去、記憶、
それでも前に進もうと心に折り合いをつけようとした努力、
そのすべてを否定するものでした。
本当はそんなこと無かったことにできるなら、
そうした方が良いんだけどね。
でも、そこを否定してしまったら、
そこにいた自分を否定してしまうことになる。
複雑だよね。
※この日記は、本当は書かないつもりでした。
コメントを下さった方を傷つけてしまう可能性があるから。
だけど、虐待という経験は特殊で複雑です。
それを経験した人間を少しでも理解する上で、
この日記がちょっとでも役に立てるのなら、嬉しいです。