今日の日記は、弁護士先生と話していた時に、気付いたというか、話していたことです。

 

 

DV夫が休職した今年1月中旬から、私は引きこもりでした。

私たちがDV夫と暮らしていた4月上旬まで、子供たちはほぼ約3カ月間ネグレクト状態でした。

 

私は、不眠症、突然泣き始める、突然不安になる、DV夫の声を聞くのが耐えられない、食欲がない、対人恐怖症、など、いろいろあって、10日間家を出ないこともざらでした。


たまに用事で出かけたりもしましたが、大変な勇気がいりました。結局出かけると気がまぎれるんですが、『外は平和だー』と夫がいない空気をありがたいと思う。どうして外の人たちはこんなに普通で平和なんだろう。そして、毎日、夫がいる空間が地獄でした。



 

そんな中、この日記を始めました。

どこかに吐き出したかった。私が受けている暴言、暴力は『よくあること』なのか?『普通』のことなのか?『けんか』なのか?という疑問もありました。ここで書くことで、読んでいる皆さんに、判断してもらう、ということを期待していました。

 

 

夫が休職してから、夫は上の子(息子6歳)の学校の送り迎え、習い事の送り迎えを毎日やってくれていました。それ以前は、娘同伴で、私がやっていたことです。休職前にも、週に2,3日は送り迎えしてくれてたけど、やるたびに『俺がお前のためにやってあげた』と恩着せがましく言っていました。


私のため、ではなく、子供(息子)のため、なんだけどね。そこを訂正しようとすると、逆ギレするので、無視していました。

 

 

夫は送り迎えや公園に連れていく、等のことはしてくれるけど、子供たちのお世話はあまりしない人です。


例えば、子供たちに食事を与えない、お風呂に入れない、娘のおむつを替えない(5時間替えてないことはざら)など。爪を切らない。髪も切らない。耳掃除もしない。夫は、子供たちの細かいケアができない人です。

 

私が引きこもってた3カ月、十分にケアしてあげられなかったせいで、恥ずかしい話、下の娘は、耳の後ろに垢がたまっていました...。


それをこの4月に帰国してから気づいたのです。今は、食事もお風呂も身体的なケアも出来ているし、息子の宿題も見てあげられる。本も読んであげられる。私が引きこもっていた期間は、全くできなかったことばかりです。

 

というか、私が引きこもる以前から、その兆候はありました。私に、十分に子供達のケアが出来る精神状態になかったせいかもしれません。

 

 

 

私がどんなに必死に家事や育児を頑張っても、『俺が○○してやってる』と言う夫。何か、一つでも子供たちの世話を頼むと、断られ、『俺はこんなにたくさんいろいろやってるのに、どうしてお前はいつもぐーたらなんだ!専業主婦のくせに。仕事で疲れて帰ってきてまで、こき使われる』と言われる。嫌なことをグチグチ言われるので、なるべく自分でやるようにしました。


 


家事、育児に加え、普通、男性がやるような日曜大工的なことは、私がやってました。新しい家具を買った時の組み立ても。家のことはほとんど自力でやるようにしてました。どうせ、夫に頼んでも何もしてくれないし、アパートの大家である義母は何か壊れても、全く何もしてくれない。


家計管理も納税手続きも、その他の書類手続きも、私がやっていました。


車を持たない私達家族は、いつも私が娘連れでスーパーへ行き、重たい荷物を抱え、歩きやバスで帰ってきます。


DV夫に同伴を頼むと、「またそんなもの買って!」「そんなの買わなくていい!」などとグチグチ文句言われるので、1人(と娘)だけの方が気楽です。



 

いくらキリキリ動き回っても、一向に楽にならなかった。家事も育児も。そのうえ、いつもケチつけられる。去年の10月あたりから、何かが崩れ始めてきました。何かおかしい。



 

夫が無賃乗車を強要する。

息子が学校でお友達に『クソビッチ』と言ったと先生から話があった。

この人は頭がおかしいのではないだろうか?

普通ではないんじゃないだろうか?

 


このままじゃ私がおかしくなる。

心療内科に相談してみようか?

 


だんだん私はいろんなことに集中できなくなってきて、自分が『うつ』じゃないか、と思うようになってきた。それまでしてた家事や育児ができなくなっていった。注意力散漫で、バスの中で倒れそうになったり、忘れ物が多くなったり、料理ができなくなった。



そして、私が引きこもっていた3ヶ月間、ほとんど買い物に行かなかったせいで、冷蔵庫がほとんど空になってしまってて、食べるものにも困ってきました。


子供達の食事を作るにしても、満足に作ってあげることも出来ませんでした。



 

子供たちに申し訳ない...本当、母親失格だな。今年1月に夫が休職してから、私は夫が怖くて逃げていたから、子供たちにとって不自由な環境で、毎日暮らさなきゃいけなかった。