こんにちは!
息子の春休みも今日で終わり、
月曜から通常通りの生活が始まります。
今日は、私の生い立ちなどを含めつつ、
私がここから出ようと思った
きっかけを書こうと思います。
ちょっと長いですが、
お付き合い下さいませ〜
実は、私達夫婦は、
反対されて結婚しました
日本にいる実母は、結婚に反対。
「結婚するなら、
二度とあの男を
この家に連れて来るな
」
と普段穏やかで無口な母に
言われました。
旦那のお父さんには、
「あの男には、問題がある。
あなたはそれでも、
あの男と結婚しますか?」
と神妙な顔で
義実家の書斎に呼び出されて、
聞かれました。
義父に「あの男」と呼ばれる旦那が
少し気の毒にも感じました
結婚して、4年後、
義父は持病の糖尿病が悪化し
他界してしまいました。
私には、優しい義父でした。
旦那は、
旦那が小さかった頃、
義父に身体的DVを受けていたと
話していました。
それを直接、義父と話したか
どうかは不明ですが。
私が12歳の頃、
毒親だった実父が他界しました。
私には2歳上の兄がいます。
実父はその兄を溺愛していました。
その反面、私を毛嫌いし、怒鳴る罵る。
ほとんど身体的DVは無かったと
思いますが、小さかった頃のことなので
もうあまり覚えていません。
物心ついた頃には、
この実父が大嫌いでした。
いつも怒られ、逃げて、
影で泣いてました
いきなり大きな声で理不尽に怒られる。
毎日ビクビクしていた
実父が他界後、
妙な開放感を覚えました。
ずっとそこから動かない
忌々しい黒い雲が一気にどこかへ
飛んで行ったようなそんな感じ
専業主婦だった実母は、
父の生命保険、遺族年金を受け取り、
当時14歳の兄、12歳の私を
片親で育ててくれました。
それ以前も、実父の仕事の関係もあり、
ほとんど家に帰ってくる事が
なかった父なので、
父が居なくて寂しいと思った事は
ありませんでした。
ただ、経済的には、厳しかったです。
専業主婦だった母は、
引きこもりがちで
父の他界後も外で働く事は
ありませんでした。
私は自分が旦那にDVを受けてる事を
実母に言えませんでした。
認められない、認めたくなかった。
片親で育った私。
毒父に虐められて育った私。
反対された結婚。
私さえ我慢すれば、
子供達を片親にしないで済む。
私さえ我慢すれば、
反対されて結婚したのに
『やっぱり失敗しました』と
帰らずに済む。
今年の1月、旦那が仕事を
休職する事が決定。
旦那は、7年前、
私に『仕事辞めろ』と言ったのも忘れ、
自分の都合が悪くなった途端に
「今度は、お前が働け。
俺は、この14年ずっと働いて、
お前や子供を食わせてやってたんだ」
と言いました。
確かに経済的にサポートしてくれました。
でも、一緒に生活して
楽しい人ではなかった。
それでいて、いかにも『感謝しろ』という
もの言いは納得出来ない。
そして、私が旦那の替わりに
経済的サポートする………。
これから何年?
と思った瞬間に、拒絶反応が。
実母は今年73歳。
可愛がってくれた母方の祖父母は
2人とも60代で亡くなりました。
しかも突然。心臓発作と脳溢血で。
これから何年も家族を
経済的にサポートするなら、
自由に何ヶ月も日本に帰る事は
無いだろう。
私は、将来くるであろう
母の死に目にも会えないかもしれない。
(注意:母は持病はありますが、
元気にしてます。でも祖父母が
突然亡くなった事もあり、
常にビクビクしています)
片親で苦労して育ててくれた母。
それでも私のワガママを許し、
お金も無いのに留学させてくれた。
反対されて結婚したのに、
毎年帰国した時は子供達も含めて
いろいろ世話してくれる。
帰りたい。
今帰らなきゃいけない。
反対されて結婚した時、
私は「ここで生きていく。
この人と一緒に生きていく」と思った。
でも、今、この人(旦那)に、
それだけの価値があるだろうか。
私は、たった1人残った母の死に目にも
会えないかもしれないのに。
たまたま、母が1月中旬頃
電話してきてくれた時、
旦那の休職について、少し話しました。
私は母に、
旦那が仕事のストレスで
仕事を休職している事、
仕事によるストレスで
私に対して風当たりが厳しい事、
私が仕事探しをしてて、
今年は日本に帰れそうにない事、
などを端的に話しました。
私が
「私さえ頑張って我慢すれば良いと
思ってたけど、最悪、
日本に帰る事になるかもしれない」
と離婚を匂わせるように言った時、
母は
「1人で頑張ってもね…」
と一言。
無口な母なので、
それがどういう意味で言ったものなのか
詳しい事は私にはわからない。
でも、その言葉を聞いた時、
私が頑張ってきたことを
認められたような気がしました。
許されたような気がした。
もう頑張らなくていいと
言われた気がしました。
母と電話で話してから
2ヶ月半経ちました。
たくさん悩みました。泣きました。
DVホットラインに電話して
カミングアウトしました。
カウンセラーと話しました。
私はDVを認め、
旦那と離れる事を決めました。
DV夫との関係修復を
頑張る事を諦めました。
離婚によって子供達を
苦しめるかもしれない、
片親で育つ悲しみを私は知ってる。
私が一番大事なのは、
子供達と母です。日本の家族です。
旦那は大事じゃない、
旦那家族も大事じゃない。
私は私の家族(旦那は含めない)を
大事にしよう、一緒にいようと
決めました。
毒父育ち、片親で育った私が
自信を持って言えます。
旦那のような父親はいらない、
片親で育った方が
きっとずっとずっと幸せ、
だと。