矢野さんの"見立て"の講座は初めて。
施工の講座とは違い、矢野さんの言葉を聞くのがメインの貴重な機会。
叡智の詰まったたくさんの言葉を伺えました。矢野さん、大地の再生スタッフの皆さま、ご参加の皆さま、本当にありがとうございました。
まずは集落の真ん中に位置する小さな神社「津嶋神社」の小さな杜とその背後を流れる水路についての解説から。
人が人の都合と頭で考えた正解で行った治水の構造物が元で、植物と大地が苦しんでいる様子を教わって、こんな例をもっと大規模にした物の重なりで現代の世界はできてるんだなあと思う。
森に「傷めず汚さず大事に使います」と紐を張り結界を作ったのが「杜(もり)」という和語だと矢野さん。
また私がもっと集落に馴染んだら、この杜に少しだけ手を加えさせてもらおうかな。
古民家に向かいながら、その周りをゆっくりじっくり丁寧に観察。まずは周囲の環境をぐるっと回り、円周を狭めながら渦が中心に向かうように古民家に向かいながらの解説。 斜面の崩れる山に何が起きているのか。 水脈の詰まった所にぎっしりと茂る竹や笹は何をしようとそこに生えるのか。 何故乾くのか、ぬかるむのか。
矢野さんの教えは、沢山の叡智に満ちているけどまとめればシンプル
「自然に訊け」「"ココ"に訊け」
自然の語る無言の言葉を、五感で読み取り受け取る感性を育てないと…先はなかなか遠そう。
古民家の敷地は表面が固くなり土埃が立つ状態なのに土中がぬかるんで「泥アク」が溜まっていて、流石に私でも分かるほどにマズい環境を改善する為に工務店さんと既に立てていた建築計画は「それはやり過ぎになるよ。人が先んじることそのものが問題。行き過ぎを戻せば、自然が先行しだす」「自然先行でいかないと」「こういう最も問題な所こそデリケートに扱って、大事に大事にしないと少しの変化が大きな結果の違いを生む」ということで、今ある建物の、今明らかに最も問題な部分だけを先ず取り除いたら、そこに流れる空気や自然の表情を読んで、自然に訊きながら慎重に計画を進めることに変更。
そういう、自然と丁寧に対話しながらの工事は、今の世の中ほぼ有り得ないこと。
建設会社は多くの人を使って効率的な工事計画が必須。少しでも早く経済的に、顧客満足と利益を求めて仕事をしなくちゃ。
講座に参加してくださった工務店オーナーさん的には、どうやら私の「お金にならない顧客」認定が決まったもよう(笑)
でも矢野さん曰く、自然と共存して力を貸してもらえるように動けば小さな力で大きなことができる、一番省エネで効果的なやり方。
そして結のように働き手の力を集めれば皆んなが少しずつ豊かになれると。
それは大きなお金は動かせないかも知れないけど、大地を痛めつけて更に環境を悪くして…の悪循環と無駄をなくせるよね。
そんなことしたら環境工事の仕事がなくなっちゃう!って意見もあるかもだけど、回り回って自分達の首を絞めてた諸々から解放されるんじゃないかな。
人は近年、物凄い勢いで生活を変え、社会インフラを作り、経済的に、、あくまでも経験的には「豊か」になってきたのだけど、あり余り捨てられる物たちや自然を遠のかせる生活や一様でないことを否定される社会は本当に豊かなの? 人は自然がなくても生きられる生き物なの?
「自然はいつも、少しずつ大事に変えていく。我慢強く少しずつ。そして、どうしてもダメだと思ったら、一気に底からひっくり返すぐらいの大きな動きをする」
今、色んな所で自然が人の営みをひっくり返しているのはどういうことなのかを真剣に考えないといけない時だね。
「何かがおかしい」と薄々は気づいていても、経済や社会に生きる生き物の人間は見えない振りをし続けてしまう。ほんとは自然とともに大地に生きる生き物だったのに。
「自然と人の目的が合っていない」
時に荒ぶったり害悪に見えることもある、風も水も植物も動物も虫たちも、皆んなその動きには理由と目的があって足並みを揃えてる。それなのに人間だけが違う軸で違う方向を見て動く。
自然と人。その動きの目的が乖離し過ぎている現状はどうしようもないのかな?
私が手をかけられるほんの小さな面積からでも、かつての自然と共存できた里山を実現したいなあ。

