高野 優さんの
空飛ぶベビーカーと言う本の中に
神様のコドモという話が載っている。
空飛ぶベビーカーは
悩んでばかりいた私の
子育てのバイブル。
どんなに偉い人が書いた子育て本よりも
ココロにズシンときた。
今でも
大事な大事な本。
話はもどって
神様のコドモという話。
コドモは年に「つ」がつくうちは神様の子供だから
大事にしないといけないよ。と
近所のおばあちゃんに教えてもらった
エピソードを書かれていた。
Mはもうすぐ8つ。
Kは5つ。
まだ神様のコドモだ。
親って傲慢だから
自分の思うとおりのコドモに育たなかったり
コドモが自分の理想と違ったりすると
なんで○○なの?と
責任をコドモに転化しようとする。
かくいう私もその一人。
私は違いますとは書きません。
でもね
神様のコドモの話を読んだとき
私なりに感じたことがある。
Mはだんだん難しい年になってきた。
親の言うことがすべてであった幼児期から
もっと世界が広がった少女期に
入りつつある。
これから多分
九つになればなったで
もっともっと大変になっていくだろう。
でも
Mなりに
ちゃんとがんばっている。
Mなりに個性を光らせて
どうしたら上手くやっていけるか
考えている。
MはMであって
私と夫のDNAを持ちながらも
別な個性があり、
別な人間なのだ。
それを認めてあげるのが
神様のコドモでなくなる10才なのでは?
自分なりに結論付けた。
10歳はもちろん大人ではない。
でも個人としての個性は
きちんと出来上がってきているのだ。
Mが10歳になったとき
私はMのことを
一人の人間として
認めてあげることが
できるだろうか?
正直、疑問。
きっと
認めてあげたい気持ちと
まだコドモなのだから・・という
二つのキモチの間で迷うだろう。
育児は育自
コドモを育てながら
実は
私自身も成長している。
コドモ達に
教えてもらっていることも
沢山沢山ある。
これからも
私は
コドモタチと一緒に
いつも成長していたい。
神様のコドモ
MもKも
大事に大事に育てていかなければ。
いつか二人が
神様のコドモから
私たちのコドモとなったときに
神様が
よくがんばったねと
笑ってくれたらいいな。