今日、ふと、学生時代に 訪問看護実習に行った時のことを思い出した。

 

あるお宅に行った時のこと、70~80代のおばあさんが

ベットにちょこんと座っていて、その隣に娘さんが

「お母さん、看護婦さんがきたよ」と背中をさすり、頭をなで、寄り添っていた。

まるで小さな子供を「いい子いい子」となでるように。

互いに 特に何をするわけでもなく、ただ、「特に変わりはありませんか?」と雑談で終わった記憶がある。

 

当時、学生だった私はとても不思議だった。

「何もしない訪問看護って、どうなの?」と。

確か、この患者さんは看取りではなかったように思う。

けれど、何もせず帰ってきた(ように思えた)。

私はその日の記録につらつらと思いを書いた。

「どうして何もしないのか」

「簡単なリハビリはしないのか?」

「外出しないのか?」など

あのおばあさんにもできる事があるはずだと。

体がつらくないのなら、何か促すべきではないのかと。

しかし、担当者からのコメントは

「そういう考え方もあるのね」であった。

 

実際のところ、この訪問先では医療的処置など、緊急的な対応はなかったと思う。

 

今思えば、「何かしてあげなきゃ」という思いが強かった。

 おせっかいの押し売り。

 

「○○は筋力低下の予防ができます」

「外出は刺激になりますよ」

「少し歩きませんか?」

 

おばあさんや、その家族がどうしたいのかなんて

考えもしなかった。

手指の運動・歩行練習はおばあさんにとっては

大した意味がなかったのだと思う。

私の自己満足。

 

まずは、相手の想いを知る。

「何かしてあげたい」と思っても、「相手をかえてあげよう」ではない。

 

この人らしく、 生きている。

 

私たちは、そのお手伝いを させてもらっているに過ぎない。