新しい1週間のはじまり。

 

 

3月は年度まとめの時期で大忙しな職場。

こんな時に限って、トラブル発生。

 

「40代おじさん VS 50代おばさん」

 

大したことないことで言い争いに。

どっちもヒステリックになって、話は進まないし、

結局お互い何がしたいのかよく分からない。

 

私の職場が異常なのか、こういう人間関係のトラブルが多々ある。

いい年の大人たちが怒鳴り散らして、職場の空気は最悪。

 

 

 

私は、周りの雰囲気とか人の機嫌に影響を受けやすく、

自分が関係なくても同じ空間にいるだけで気分が落ち込んでしまう。

 

小学生の時に、トラウマになる出来事があり、

それ以降、自分が関係ない事でもそういう状況に居合わせると勝手に涙が出てきて、

目の前の景色が遠ざかっていくような、同じイメージがいつも頭の中に浮かんで、

頭がぼーっとして、何も考えられなくなる。

 

怒鳴り声や大きな音、怒っている人に出くわした時はいつもこうなってしまう。

 

 

 

 

けど、最近は反射的にシャットダウンするのではなく、

少し落ち着いて考えられるようになった。

 

何かの本で、怒りは第二次感情であるということを知った。

怒りは突然降ってくるものではなく、不安や恐怖、嫌悪感など

マイナスの感情が溢れた時に怒りが発動する。

 

怒るという行動の手前に何かしらの感情がある。

 

苦しみから、怒るという方法で逃れようとしているのかもしれない。

怒ることで自分を守ろうとしているのかもしれない。

 

私が怒りに直面した時に、泣いてしまったり志向が停止してしまったりするように、

ネガティブな感情があふれた時に、反射的に怒るという手段を選択してしまっている。

きっと自分ではコントロールできないんだ。

 

 

 

私みたいに、何か過去にあった出来事が起因しているかもしれない。

いつも同じように怒りを繰り返して、変わりたい自分と変われない自分の狭間で

苦しんでいるのかもしれない。

 

年齢を重ねると、自分を変えることも難しくなっていく。

長い事そうやって生きてきてしまったから。

変わることは今までの自分を否定することになる、そんな恐怖がある。

 

 

だけど、「変わらずに生きていく辛さ」と「今変わろうと挑戦する恐怖」とを天秤にかけて、

前者が重くなり耐えられなくなった時が自分を変えるその時なのかもしれない。

 

と、思ったりする。

 

 

 

相手を一方的に排除するのではなく、だれも痛みを抱えているんだと、

その人の背景にある思いを汲み取ることができる人間でありたい。