ゆいモノレール県庁前駅から20分、首里駅に到着です。
今回は首里城周辺をフラフラしながら識名宮をめざします。
 
 
 
■首里城公園
首里駅から歩いていくと、国王頌徳碑が見えてきます。
ここから首里城公園に入ることができます。
 
 
 
公園内ではカンヒザクラが咲いていました。
 
訪問したのは2月ですが沖縄には春が来ていました。照れ
 
 
首里城は琉球王国を統治した尚氏の王城で尚巴志が王家の居城と定めます。

琉球ははじめ3カ国にわかれており、第2代 尚巴志が1429年に統一します(第一尚氏)
 
第一尚氏は7代 63年続くのですが、最後の王である尚泰久王の死後、重臣の金丸がクーデターを起こして王位に就き尚円王を名乗ります。
これを第二尚氏といいます。
 
第二尚氏は19代 410年間続き、廃藩置県まで琉球を統治します。
 
 
 
首里城は那覇港を見下ろせる高台にあるので絶景が広がりますびっくり

修学旅行のシーズンなのか、制服を着た高校生らしきグループもちらほら。
 
 
 
沖縄戦で首里城は完全に破壊され、今の城壁はほぼすべて戦後に復元されたものです。

この場所では、破壊を免れた城壁が保存されています。
 
 
 
■守礼門
首里城のシンボル的な門で、二千円札のデザインにも採用されています。
冊封使を迎えるために作られたもので、扁額の「守禮之邦」は中華皇帝に対する礼を意味しています。
 
守礼門は沖縄戦で焼失し昭和33年に再建されます。
 
 
 
■園比屋武御嶽
王府の祈願所です。
神社の拝殿に当たるのが写真の石門で1519年、尚真王の時代に建立されています。
 
旧国宝に認定されていましたが、沖縄戦で大破し、1957年に復元されます。
 
 

■歓会門
琉球王府第一の門です。歓会とは冊封使を歓んで迎えるという意味です。
 
 
 
門の横にはシーサーが据えられています。ニコニコ
 
 

■瑞泉門
瑞泉とは、めでたい泉という意味です。
瑞泉門の近くには龍樋という湧水があります。
 
 
 
■龍樋
瑞泉門の言われとなった泉です。
かつては鉄砲水のように勢いよく水が噴き出していたと伝えられています。
水が出てくる龍の彫刻は1523年に琉球王の使いで中国に渡った役人が衝動買いした逸品と伝えられています。

龍樋は沖縄戦で奇跡的に破壊を免れたので首里城のパワースポットと呼ばれています。
 
 

■漏刻門
この門に漏刻が設置されていたため漏刻門と呼ばれます。
門の前には日時計も置かれており、2つの時計で時刻を測り知らせていました。
 
 
 
■首里城北殿
漏刻門は北殿に接しており、そこから北殿の焼け跡を見ることができます。
焼け跡の撤去作業が始まった頃なので、まだ焼け残った建物が生々しく残されていました。
 
 
 
福を行きわたらせるという意味の廣福門を抜けて奥に進みます。
 
 

■奉神門
首里城正殿に入る最後の門です。火災の影響で入ることはできませんでした。
 
 
 
門の隙間からは、燃え残った正殿前の龍柱が見えました。
 
 

■首里城南殿
奉神門を抜けると今度は、南殿の方向から正殿を見ることができました。
火災から4か月近くたつのに、かすかに焦げ臭い匂いがしてきました。
早く復興が進むことを祈ってしまいます。ぐすん
 
 
 
首里城公園をフラフラ、、、
順路に従って首里城本殿の周りを歩いていくと、守礼門の近くまで戻ってきました。
首里城公園をもう少しフラフラします。
 
 
 
■弁天堂
円鑑池にあるお堂で、島にかかる橋を天女橋といいます。
元々は朝鮮王から贈られた方冊蔵経を納めていた場所でしたが、薩摩の琉球侵攻により、お堂と方冊蔵経は失われ、その後弁天堂として再建されます。
 
 
 
■円覚寺跡
円覚寺は琉球における臨済宗の総本山です。
第二尚氏の菩提寺でもあり、3代 尚真王が、初代 尚円王を祀るために創建されます。
 
 
 
庭は本堂前に池があります。
かかっている橋の匂欄羽目の彫刻は沖縄の石彫美術の最高傑作といわれています。
 
 

■沖縄師範学校跡
円覚寺の向かいにあります。沖縄師範学校の跡地に建てられた石碑と当時の門柱です。
門柱には沖縄戦の際の弾痕が残っています。
 
沖縄師範学校の女子部と沖縄県立第一高の教師と生徒で構成された部隊がひめゆり学徒隊になります。
 
 
 
■第32軍司令部壕
沖縄戦での日本軍の司令部が置かれた壕になります。全長1000メートルを越えるコンクリートで固められた巨大な壕で1000人を収容していたといわれています。
米軍の爆破による崩落が激しく、現在は入り口のみ見学することができます。
 
 

■龍潭池
尚巴志の命により1427年に作庭されたと伝わる人工の池です。
 
 
 
 
この池にはバリケンという謎の鳥が住み着いています。キョロキョロ
 
 
 
タイワンアヒルとも呼ばれる鳥で食用として導入したものが野生化したそうです。
かなり人に慣れている鳥です。ニコニコ
 
 
 
龍潭池は池越しに首里城を綺麗に望める場所で、正殿の火災の時はここから撮影された映像がテレビで流れていました。
 
これから復興作業が本格化するとはいえ、痛々しい姿です。ぐすん
 
 
 
首里城公園から指司笠樋川へ、、、
公園の外に出てきたので、周辺をフラフラしながら識名宮を目指します。
まず目指したのは、指司笠司樋川です、ここは王家の末裔にゆかりがある場所です。
 
カンヒザクラが咲いている住宅街の道を行きます。照れ
 
 
 
■指司笠樋川
樋川は沖縄の共同井戸のことで、地域の人はここで飲料水をくんでいました。
 
 
 
指司笠樋川は尚家(琉球王の末裔)の敷地内にある格式の高い樋川です。旱魃でも枯れなかった井戸と伝わります。
 
 
 
拝所も設置されており、井戸を拝みに来る人もいるそうです。
 
 
 
拝所は神秘的な雰囲気で圧倒されます。びっくり
 
 
 
 
■玉陵
指司笠樋川をでて元来た道を戻りつつ、玉陵に向かいます。
歴代の琉球王の陵墓で世界遺産にも登録されています。
 
 
 
石室は中室、東室、西室に分けられています。

沖縄は風葬の風習があり、亡くなった後、遺骸が骨になるまで中室に数年間納められます。
その後、洗骨され王と王妃の遺骨は東室に、他の王族は西室に葬られます。
 
 
 
■金城町石畳道
玉陵をでて、金城町の石畳道に向かいます。
沖縄戦で多くが破壊されてしまいましたが、かつて琉球王国の主要な道は石畳で舗装されていました。
 
 
 
金城町には当時の石畳道が残っており、琉球王国の面影を残す場所として日本の道100選にもえらばれています。
 
 
 
石畳道を降りて行くと金城町の大アカギとの案内板があります。

その方向に進むと内金城御嶽につきます。
 
 
 ■内金城御嶽(金城町の大アカギ)
周辺の村人がここを通るたびに霊気を感じるということで、琉球王府に願い出て、拝所が設置されたと伝わります。
 
 
 
ここも先ほどの指司笠樋川と同じく圧倒される空気が流れています。
 
 
 
この御嶽の境内にあるのが金城町の大アカギと呼ばれる木で、推定樹齢は200年以上と言われています。
 
かつて首里城周辺はこのような大木がいくつもあり、昼でも薄暗かったと伝わっています。
沖縄は日陰がないと外を出歩けなくらい、夏の直射日光が強い場所ですアセアセ
 
 
 
■金城大樋川
内金城御嶽から石畳に戻っていくと、少し開けたところに出てきます。
ここに来ると首里が石畳の町だったと感じることができます。びっくり
 
 
 
そばにあるのが金城大樋川です。地域の人はここで飲料水をくんだり、洗濯をした場所だったそうです。
 
 
 
■真珠道(まだま道)
金城町の石畳を降りてきたのですが今度は急な登り坂が続きます。アセアセ
坂を登りきったところに平成30年の道路改良工事で発見された、当時の石畳が一部保存されています。
 
 
 
■繁多川
繁多川は地名の語源となった共同井戸です。
元々は端にある井泉という意味だったのですが、それが地域の名前になっています。
 
ここから住宅街を進むと大きな道に出ます。識名園まではあと少しといったところです。
 
 

■識名園
琉球王家最大の別邸で国王一家の保養や冊封使をもてなすための迎賓館として1799年に作られたものです。
 
 
 
園内は回遊式庭園となっており、沖縄風の東屋や、中国風の橋が配されていて、琉球独特の様式の庭園になっています。
 
 
 
識名園は沖縄戦で壊滅的な被害を受けたため、今の建物は復元されたものになります。
 
 
 
東屋ではちょうど結婚式が行われてました。

お祝いの三線の音が外まで聞こえてきて厳かな雰囲気が伝わってきます。照れ
 
 
 
■識名宮
識名園から道沿いに坂を下っていくと目的地の識名宮に到着です。
 
 
 
小さな神社ですが参拝者は多めでした。
拝殿の中には御嶽の作法で祈る人もいました。
御祭神は熊野三神と牛ぬふぁ神、識名権現です。

牛ぬふぁ神は琉球の神様で丑の方角(南)の守り神から転じて丑年の干支の守り神になっています。(決して打ち間違いではないですアセアセ
 
 
 
■狛犬
本殿はあまり見ないデザインのシーサーが守っています。ニコニコ

 
 
 
最後に。。。
神社の参拝も終えたので、首里駅に向かって歩いていると交通事故の現場に出くわしました。
事故を起こしたのは在日米軍の関係者のようです。
 
 
 
日米地位協定により、日本の警察は介入できないため、米軍の警察によって事情聴取が行われていました。
 
 
 
 
 

琉球王国の巡礼地、琉球八社をフラフラ巡ってます。他の神社はこちらでニコニコ

【琉球八社】まとめページ 日本最南端の巡礼地

 

 

 

A.首里駅

B.国王頌徳碑(首里城公園入口)

C.守礼門(園比屋武御嶽)

D.歓会門

E.瑞泉門・龍樋

F.漏刻門・首里城北殿

G.円覚寺跡・沖縄師範学校碑

H.弁天堂

I.第32軍司令部壕

J.龍潭池

 

 

A.龍潭池
B.指司笠樋川
 
C.玉陵
入場料 300円
午前9時~午後6時(入場締切 午後5時30分)年中無休
所在地:那覇市金城町1-3
 
D.金城町石畳道
 
E.内金城御嶽(金城町の大アカギ)
所在地:沖縄県那覇市首里金城町3
 
F.真珠道
 
G.繁多川
所在地: 沖縄県那覇市繁多川2-36-1
 
H.識名園
入場料 400円
4月1日~9月30日 午前9時~午後6時(入場締め切り 午後5時30分)
10月1日~3月31日 午前9時~午後5時30(入場締め切り 午後5時)
所在地:沖縄県那覇市字真地421-7
 
I.識名宮
沖縄県那覇市繁多川4丁目1−43
※神職が常駐していないので御朱印は事前連絡が必要

 

 

 

 
 
 
 
 
鹿児島中央駅から特急きりしま号で1時間。霧島神宮駅に到着です。

今回は霧島神宮と神宮周辺に伝わる「霧島の七不思議」を探してフラフラしようと思います爆笑
 
 
 
入口に鳥居のあるユニークな駅舎を出ると、駅の隣には足湯があります。
バスに乗ろうと駅前のバス停を見ると。
便がない。。。ガーン
 
平日8便、休日は6便しかありません。
霧島神宮駅という駅名ですが、駅から霧島神宮までは5.4キロあります。
 
徒歩で向かうには厳しいので、諦めてタクシーで行くことにします。
 
 
 
■霧島神宮
主祭神は天津日高彦火瓊瓊杵尊(ヒコホノニニギ)です。
 
相殿には、ヒコホノニニギの妻の木花開姫尊(コノハナヒメ)。

息子の彦火火出見尊と息子の嫁の豊玉姫尊。
孫の鵜鷀草葺不合尊と孫の嫁の玉依姫尊。
そして、ひ孫の神倭磐余彦尊(神武天皇)が祀られています。
3世帯が同居する神社ですびっくり
 
 
 
ヒコホノニニギが高天原から降臨されたときに、高千穂の峰に降りたったという神話に基づき創建されます。
 
 
 
創建は6世紀。慶胤上人が瀬多尾に社殿を建てたのがはじめといわれます。
 
ただ、このあたりは日本でも有数の火山地帯のため、噴火に巻き込まれ何度も社殿は炎上。
 
文明16年(1484年)に藩主島津忠昌により現在の場所に再建されています。
 
 
 
参道には西郷従道が奉納した石灯籠があります。
 
 
 
■本殿
参拝した日は建国記念の日だったこともあり、参拝者は多い感じでした。
 
 
 
拝殿は正徳5年(1715年)に薩摩藩主島津吉貴の寄進で建立されたものです。
 
 
 
社殿はいずれも朱塗りの華麗なもので「西の日光」とも呼ばれます。
 
 
 
本殿の前では書家と華道の先生が世界平和をテーマに作品を創るイベントをしていました。
 
 
 
杉の苗木も参拝者に配っていました。
 
 
 
■御神木
本殿前にある樹齢800年の杉の木です。
この木の梢が烏帽子を被ってお祈りをする神官に見えるということで、不思議な木としても知られています。
 
 
 
本殿の境内の外から見ると。。。
 
 
 
こんな感じですニコニコ
 
 
 
にぎやかな本殿を外に出て、案内表示の指す方向に進むと、杉木立の中に山神社があります。
 
 
 
■山神社
祭神はオオヤマヅミノオオカミです。
この神様はヒコホノニニギの義理のお父さん(コノハナヒメの父親)です。
 
 
 
ひょっとしたら、嫁入りした娘をここから見守っているのかもしれません照れ
 
 

霧島神宮から霧島の七不思議探しへ、、、
■霧島の七不思議

霧島神宮周辺にある不思議な物や出来事が七不思議として伝わっています。
1.文字岩、2.亀石、3.風穴、4.両度川、5.御手洗川、6.蒔かずの種、7.夜中の神楽
 
このうち
6.は霧島の山中や竹やぶに陸稲が生える
7.は霧島神宮で夜中に神楽が聞こえる
という出来事のようです。
 
この2つは見に行くことができないので、残り5つを探しに行こうとおもいます。
 
 
 
山神社とは逆の道を進む石段があり、その途中に亀石と風穴がありました。
 
 
 
■亀石(霧島の七不思議)
名前の通り亀の形に見える不思議な石です。
 
 
 
■風穴(霧島の七不思議)
かつて、ここから風が吹き出していたと伝わる風穴です。中に観音菩薩を安置したという伝承も残る不思議な風穴です。
 
 
 
■若宮神社
石段を降りたところにありました。
御祭神は天忍雲根命で、水波能賣神、市杵嶋姫命、大名牟遅神が配祀されています。
水の神様が2柱もいますキョロキョロ
 
 
 
■御手洗川(霧島の七不思議)
若宮神社の隣を流れる川です。
11月から4月までは水が枯れているのに、5月になると急に水が湧き出す不思議な川といわれています。
年間降水量の変化で起こる現象とのことです。キョロキョロ
 
訪問したのは2月だったので水はほとんど流れていませんでした。
 
 

■鎮守神社
御手洗川の近くにある神社で、御祭神は天照大御神です。
ヒコホノニニギのおばあちゃんも登場ですびっくり

 

■五輪塔(性空上人墓?)
この五輪塔も御手洗川の近くにあります。
性空上人は西国札所でもある書写山圓教寺を開いた高僧です。
霧島山で修行を積んだこともあり、このあたりに多くの足跡を残しています。
 
 

■両度川(霧島の七不思議)
道をさらに進むと両度川があります。
こちらの川は、毎年6月から水が流れだし、8月から9月には水が枯れる不思議な川です。
一度水が流れ出してから10日後に一度水が枯れるため、両度川と呼ばれているそうです。
 
 

■華林寺跡
両度川の川沿いにあるのが華林寺跡です。
真言宗のお寺で霧島神宮の別当寺でした。
文明16年に島津忠昌の命で創建されますが、明治の廃仏毀釈により廃寺となります。
 
 
 
江戸時代には支坊が7坊もあったと伝わる大きなお寺でしたが、今は支坊の石垣と住職の墓が残るだけとなっています。
 
 
 
■千滝
道をさらに進んで千滝に到着しました。
新燃岳の溶岩を川が削り取ってできた滝です。崖の真ん中から地下水が湧き出しています。
滝は橋の上から見ることができます。
写真では伝わらない光景ですが、霧島神宮に来たらここまで足を伸ばしてほしいと思う絶景です。ニコニコ
 
 
 
滝の反対側では建設工事の真っ最中。
新燃岳の噴火で噴出された大量の土砂の流出を防ぐために砂防ダムの建設が行われいます。
この光景も圧巻です。びっくり
 
 
 

千滝から文字岩へ、、、
ここまできて、文字岩探しに向かいます。霧島神宮から国道沿いに2キロのところにあるようなので、国道に出るため来た道をもどります。
道は梅が咲いており春の訪れを告げてます。照れ
 
 

■坊主墓
霧島神宮から国道に向かう橋を渡ったところにあります。
華林寺で亡くなった歴代住職のお墓や五輪塔が百数十基並んでいます。
 
 
 
国道223号線をフラフラ、、、
この道はドライブウェイとしても有名で、霧島高原の自然を満喫できます。
 
 
 
道では農家さんが無人販売を行っていましたニコニコ
 
 
 
グーグルマップでは、さくらさくら温泉の入口に当たる場所に文字岩の入口表示があります。
 
 
 
■文字岩(霧島の七不思議)
確認できる七不思議の中では行くのが一番大変です。アセアセ
 
文字岩は山中にある不思議な大岩で、割れ目にある10センチぐらいの隙間をのぞくと、中に字が彫られているのが見えるそうです。
グーグルマップでは表示されず、案内表示だけが便りです。
 
 
 
途中、周囲が開けると山の中腹まで登ってきたことがわかります。
 
 
 
整備された階段を登ると文字岩があります。
 
 
 
これが文字岩です。
文字が刻まれているのは10センチくらいの隙間と聞いているので、ここかなと、あたりをつけて中を見てみました。
 
 
 
???、、、アセアセ
 
 
 
刻まれた跡のようなものはあるのですが。。。
残念ながら、文字のようなのは見つけられませんでした。。。アセアセ
 
 
 
 
文字岩から霧島神宮へ、、、
休日の霧島神宮からの最終バスが15時53分なので乗り遅れないようにバス停に向かいます。
 
 
 
■霧島民藝村
霧島神宮の大鳥居の近くにある建物です。
バスの時間までまだあるので立ち寄りました。
中は龍神焼という霧島の土で作った焼き物、屋久杉を使った木工品などが展示販売されていました。
 
お手頃なお値段の物もあったのでお土産に龍神焼を購入ニコ
 
 
 
 
霧島神宮は日本最大のパワースポットと言われてますが、日向三代の神様夫妻と義理の父親と祖母(天照大御神)が一つの場所にいるのですからそう呼ばれるのもわかる気がします。
 
霧島神宮から高千穂の峰に登って行くとさらなるパワースポットの天の逆鉾があります。今度は装備を整えて山登りにチャレンジしてみたいものです。爆笑
 
 
 
日本全国の一之宮をフラフラ巡っています。こちらも見てくださいねニコニコ
 
 
 
 
 
 

 
 
・霧島神宮
・山神社
・亀石、風穴
 
A.御手洗川・鎮守神社・五輪塔
 
B.両度川・華林寺跡
御手洗川から徒歩5分
 
C.千滝
両度川から徒歩10分
所在地:鹿児島県霧島市霧島田口2587
 
D.坊主墓
千滝から徒歩20分
 
E.文字岩
坊主墓から徒歩60分
 
F.霧島民芸村
文字岩から徒歩60分
所在地:鹿児島県霧島市霧島田口2458
※御朱印は2018年3月にいただいたのですが、改めてフラフラします。
 
 
 
鹿児島中央駅からJR鹿児島本線で40分。川内駅に到着です。
九州新幹線の停車駅でもあるので、駅前は奇麗に整備されてます。
今回は新田神社から甲冑工房丸武を目的地に川内川周辺をフラフラします。
 
 
駅前からまっすぐ伸びる道を右に入ると商店街に入ります。それを抜けると川内川が流れています。
川沿いに進んでいくと中越パルプ工業の川内工場が見えてきます。
 
 
 
ちょうど原料のパルプを搬入していました。トラックをダイレクトに傾けるんですね。。。びっくり
 
 

■新田神社一の鳥居

工場の隣にあるのが新田神社の一の鳥居です。
コンクリート製の両部鳥居。両部とは仏教用語なので神仏習合の名残のような名称です。
参道は桜並木になっており、地元の美術クラブが作成した彫刻が並んでいます。
 
 
 
鳥居を進むとあるのが五輪の塔「當寺 文久三年 十五代」と刻まれています。
江戸時代の15代目の住職にかかわるものなのでしょうか。。。キョロキョロ
 
 
 
しばらく進むと「憲秀法印之碑」と彫られた碑もありました。神仏分離で廃絶したお寺がここにあったのかもしれません。
鹿児島は廃仏毀釈が激しく薩摩藩内のあったすべての寺が破却されたと伝わっています。
 
 
 
参道を抜けると二の鳥居が見えてきます。
 
 

■新田神社(薩摩国一之宮)

御祭神は天津日高彦火邇邇杵尊(ニニギノミコト)、天照皇大御神、ニニギノミコトの父親の正哉吾勝々速日天忍穂耳尊です。
本殿の横にはニニギノミコトの陵墓があり、その御霊を祀ったのが創始となります。
 
 
 
参道は急な石段がまっすぐ続きます。アセアセ
 
 
 
しばらく登ると石段は一旦途切れ、開けたところに出てきます。
承安三年(1173年)まで新田神社の本殿はここにあったそうです。元の本殿は火災により焼失したため、山頂付近に遷座したと伝わります。
当時の礎石が今も大切に残されています。
 
 
 
礎石の奥には末社が並んでいます。左から「早風神社」「中央神社」「高良神社」です。
 
 
 
■狛犬
再び石段を登ります。左右には獅子と狛犬がひかえてます。
 
 
 
 
最近、狛犬の分類というのを知ったのですが、これは浪花狛犬でしょうか。。。キョロキョロ
 
 
 
■大樟
石段の途中には大樟があります。樹齢650〜800年、高さは20メートルにもなる巨木で、地上2メートルのところには大穴牟遅神の彫刻が彫られています。
 
 

■子だき狛犬
石段を登り切ったところにある狛犬です。

子どもを抱いた狛犬で撫でると安産にご利益があるといわれています。ニコニコ
 
 
 
■拝殿
社伝によると、山の中腹にあった社殿が焼失後現在の場所に移され、慶長六年~七年(1601~1602)にかけて島津義弘の命により現社殿に改築されました。

薩摩国にはもともと枚聞神社という一之宮がありましたが、新田神社が島津氏から崇拝を受けたため、一之宮の地位が新田神社に移ったそうです。そんな経緯もあって今も薩摩国には一之宮が2社あります。
 
 
 
■可愛山陵

本殿に向かって右手に行くとニニギノミコトの陵墓である可愛山陵があります。
 
 
 

神社のそばに陵墓があるのは珍しいそうです。辺りは凛とした雰囲気に包まれています。
 
 
 

新田神社から中陵神社・端陵神社へ、、、
もと来た石段を下り、二の鳥居を右へ山際に沿う感じで進んでいきます。
りは住宅街が広がります。

入口らしき場所から雑木林に入ると、中陵の案内板と鳥居が見えてきます。
 
 
 
■中陵神社

古墳の上に建てられた神社です。被葬者(御祭神)はニニギノミコトの長男のホスセリノミコト(海幸彦)です。三男のホオリノミコト(山幸彦)に服従し、隼人の祖先となったと伝わります。
 
 
 
明治時代に比定された陵墓ではありますが、神話時代の神様の陵墓が語り継がれて残されていることに驚かされます。
 
 
 
■端陵神社

こちらはニニギノミコトの妻のコノハナヒメノミコトを祀っています。
 
 
 

コノハナヒメノミコトはニニギノミコトが一目惚れしたほど、美しい神様だったと伝わります。
 
 
 

川内川沿いにフラフラ、、、
川内川の川岸には神社が点在しているようなので、それを巡りつつ河口にある甲冑工房丸武に向かって歩きます。
 
 
 
■九樓神社・守公神社(新田神社末社)
小学校の近くにある神社です。守公神社は薩摩国総社とも伝わる神社です。
 
 
 
■武内神社(新田神社末社)

御祭神の武内宿禰は日本初の大臣だった人です。
私が大学浪人していた時、予備校の日本史の先生が73世武内宿禰だったので、気になる神様でもあります。
 
 
 
お社の横には沖縄でよく目にする石敢當がありました。びっくり
川内港から薩摩に渡った琉球人の子孫がこの辺りに住んでいるかもしれません。
鹿児島のお墓には沖縄のお墓と同じく家形のものが多くみられ、琉球の影響を感じることがあります。
 
 
 
■霧島神社

霧島神社なので御祭神はニニギノミコトでしょうか。。。

 
 
 
川内川をひたすら、、、
川の土手をひたすら歩きます、振り返るとパルプ工場が小さくなってました。
だいぶ歩いた感じですがまだ予定の道のりの半分しかきてません。。。ガーン
 
 

■南方神社

ちょっと無理な計画だったと反省しながら歩いていると、2つ横並びの鳥居が見えてきました。

 
 
お賽銭箱の横に、A4の紙にコピーされた由緒書きが置いてありました。小さな神社は来歴不明で困ることがあるんですが、作成された地元の方に感謝です。
地域に愛されている神社なんでしょうね。照れ
 
 
 
由緒書きによると御祭神は健南方命と八坂刀賣命。明治時代までは諏訪神社と呼ばれていたそうで、寛文八年(1668年)島津氏によって勧請されたと伝わります。
 
もともとは上社と下社に分かれていたそうですが、明治時代に合祀されたため鳥居が2棟並んで立っているそうです。
 
南方神社を過ぎると市街地に入ります。目的地の甲冑工房まであと少しです。アセアセ
 
 

■甲冑工房丸武

閉まってました。。。ガーン
やはり電車2駅分の距離を徒歩で移動するのは無理があったようです。。。
 
 
 
ここは大河ドラマで使用されている鎧兜を作成している工房で、いまも工房では職人が手作業で鎧の作成をしてます。
展示館には大河でも実際に使用された戦国武将の鎧兜が展示されています。
 
 
 
■船間島神社(新田神社末社)
川内川を河口に向かって歩いて行って、とうとう川内港まで到着しました。

今は埋め立てられていますが、ここはもともと島で太平洋戦争中には特攻艇「震洋」の基地がありました。
 
 
 

御祭神は御伴神(十郎大夫)で、ニニギノミコトのお供でこの地に来て亡くなった神様と伝わります。周囲は空き地も多い工業地帯なのでひっそりとしています。
 
 
 
ここまできて日が暮れてしまったので、最寄りの草道駅から帰ることにします。
今回の旅は時間的に無理があったのが反省点ですね、、、
 
九州の一之宮は神話に関わる場所が多く、モデルになった話があるのではないかと思ってしまいます。そういや、神話に描かれる敵役の神様は素戔嗚尊や海幸彦など海にかかわる神様が多い気がします。
 
その反面、神社は山の上に建てられることが多く、古代の日本人は山に、より神聖なものを感じていたのかもしれません。川内川の川岸を延々と歩いて、少しは古代の人の気持ちを感じることができたような気がした旅でした。
 
 
 
 
 
日本全国の一之宮をフラフラ巡っています。ほかの神社の旅はこちらでニコニコ
 
 
 
 

A.川内駅
JR鹿児島本線 川内行60分
片道950円
 
B.新田神社・可愛山陵
川内駅から徒歩30分
所在地:鹿児島県薩摩川内市宮内町1935

C.中陵神社・端陵神社
新田神社から徒歩10分
所在地:鹿児島県薩摩川内市宮内町
 
D.九樓神社・守公神社
新田神社から徒歩30分
所在地:鹿児島県薩摩川内市宮内町
 
E.武内神社
九樓神社・守公神社 すぐ
所在地:鹿児島県薩摩川内市宮内町1614
 
F.霧島神社
武内神社から徒歩30分
所在地:鹿児島県薩摩川内市五代町375-1
 
 
 
 

B.南方神社
霧島神社から徒歩30分
所在地:鹿児島県薩摩川内市湯島町3194
 
C.甲冑工房丸武
南方神社から徒歩30分
営業時間 9:00~17:00
所在地:鹿児島県薩摩川内市湯島町3535-7
 
D.船間島神社
甲冑工房丸武から徒歩20分
所在地:鹿児島県薩摩川内市港町 船間島神社
 
E.草道駅
船間島神社から徒歩40分
肥薩おれんじ鉄道で川内駅乗換
鹿児島中央駅まで1時間20分
片道 1,230円

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
なんば駅から近鉄奈良線準急で40分。枚岡駅に到着です。駅を降りて線路の反対側に出るとすぐに鳥居が見えてくる駅チカの一之宮です。
 
 
 
■枚岡神社(河内国一之宮)
後背山の神津嶽における山岳信仰から始まるといわれ、神社の創建は神武天皇紀元前3年です。御祭神は4柱の神様です。第1殿と第2殿は天児屋根命とその妻の比売御神。
第3殿と第4殿は香取大社の経津主命と鹿島神宮の武甕槌命が祀られています。
 
 
藤原氏が春日大社を創建した際に枚岡神社の天児屋根命・比売神が勧請されたので、枚岡神社は「元春日」ともよばれます。
 
 
■なで鹿
武甕槌命が鹿島に旅立った際に、鹿に乗って旅立ったという故事にちなんで狛犬ではなく子鹿を抱える鹿が置かれています。
なでると健康と家族の平安、旅の安全にご利益があるそうです。今回の旅の安全を祈願して撫でておきました。ニコニコ
 
 
■拝殿
お参りをした2月1日は例祭だったので、参拝者は多めでした。本殿からは時折ご祈祷の開始を告げる太鼓の音が聞こえてきました。

扁額の揮毫は三条実美によるものです。
 
 
■若宮社
祭神は天押雲根命で天児屋根命の御子(若宮)です。
 
 
■天神地祇社
明治5年の神社整理に際して、境内にあった19の末社と近村にあった神社13社を合祀した神社です。
 
 
 
 
枚岡神社から神津嶽本宮へ、、、
御朱印をいただいたので、社務所の横からスタートするハイキングコースを通って元宮に向かいます。
道は整備されているので登りやすいですが、ここまで階段が続くと息が上がります。道には所々にベンチが設置してあり、休憩を取りながら進んでいけます。
 
 
汗だくになって進むと、急に開けた場所に出て展望台がありました。ここで一休みです。
 
 
展望台のベンチに座ると大阪平野が一望でき、大阪湾まで望めます。夜景も相当きれいなんでしょうけど、夜中にあの道を登る根性はないですね、、、アセアセ
 
 
 
■枚岡神社神津嶽本宮

一息入れたので、気合を入れなおして出発したのですが、、、
展望台を少し進むとすぐに神社が見えてきました。ガーン
 
 
元々神津嶽は禁足地だったそうですか、昭和56年に石碑が、平成5年に石祠が建てられ整備されたそうです。
 
 
 
 
神津嶽本宮から暗峠へ、、、
暗峠は暗越奈良街道の最大の難所で、麓から峠まで約2.5kmにわたって急な坂が続きます。鬱蒼と木々が生えているので暗がり峠とも、馬の鞍がひっくり返るくらいの坂道が続くので鞍返り峠が転じたとも伝わります。
車一台が通れるくらいの幅に急な坂道、こんな山道ですが立派な国道です。。。びっくり
 
 
■石碑群
急な坂道を下ってしばらく歩くと鳥居が見えてきました、その奥にあるのが石碑群です。
(色々調べましたが来歴はわかりませんでした。)
 
 
石碑を見てみるとお初大神と刻まれているものもあったりなので、江戸時代から明治くらいのものなんでしょうかね、、、キョロキョロ
 
 
■暗峠観音寺

真言宗のお寺です。境内の中に川が流れており、天龍の滝という行場があります。
 
 
滝はコンクリートで補強されていて、趣きはないですが、崖崩れの恐れもあるので、これも仕方がないのかもしれません。
 
 
■木魚岩(中村茶屋跡)
お寺の説明板によると、中村茶屋は奈良街道を通る諸大名や文人が休息をとった茶屋だそうです。そこにあったのがこの木魚岩。
 
 
 
子供にお乳を与える時間になると、この岩から木魚の音がしたと伝わる不思議な岩で、付近にある蜘蛛岩、長持岩の3つで枚岡三石と呼ばれているそうです。
ほかの岩はこの先にあるようなので残りを探しながら歩くことにします。ニコニコ
 

■松尾芭蕉句碑

「菊の香や 暗がり登る 節句かな」

松尾芭蕉の最後の旅が奈良から大阪への旅で、そこで詠んだのがこの句です。芭蕉はこの句を詠んだ1か月後に亡くなります。
ちなみに最後の旅の目的は門弟の喧嘩の仲裁だったそうです。。。アセアセ
 

■長持岩
松尾芭蕉の句碑をから少し進むと休憩所が見えてきました、建物は古くなっているのか立入禁止になってました。立札に長持岩前と書いてあったので、あっさりと長持岩を見つけられました。
休憩所は使えないのでそのまま進もうとすると、道路脇に豊浦谷1号墳とかかれた小さな案内板がありました、一之宮の周りはやはり古墳が点在していますね。
気になり案内の方向に行ってみると、休憩所の場所が古墳になってました。
 
 
古墳の上に休憩所を作っちゃうのが何とも言えないです、、、びっくり
 

■日蓮宗勧成寺

立札によると生駒トンネルの開削による事故の犠牲者63人の過去帳が納められています。
 
 
こちらにも、芭蕉の句碑があります。
山津波の影響で行方不明になっていたものが大正2年に発見され、こちらのお寺に移されたそうです。
 
 
 
暗峠から石切剣箭神社へ、、、
勧成寺を過ぎると住宅街に入ります、スタート地点の枚岡駅の近くに下りてくるので、ここまででもよかったのですが。まだ時間があったので、足を伸ばして石切剣箭神社に向かいます。
 
 
 
■石切剣箭神社

御祭神は饒速日尊とその御子の可美真手命の2柱の神様です。
この神社はでんぼ(関西弁で腫れ物のこと)の神様として知られ、お百度参で全国的に有名です。参道にはこれまで見たことがない、現代的なコンクリート製の鳥居が立ってます。
 
 
■拝殿

石切神社は、お百度詣でをすると腫れ物(転じて癌にも)ご利益があるとされており、拝殿の前では大勢の人がお百度をしてました。
 
 
■石切参道商店街

石切神社の門前はにぎやかな商店街になっています。お土産物や食べ物のお店が軒を連ねてます。この商店街ですが関西圏でも有数の占いスポットで、テレビへの出演実績を宣伝する占い店があちこちにあります。
 
 
■石切大仏
商店街を抜けて、住宅街にはいるといきなりあるのが石切大仏です。住宅街の中にある大仏ということでもネットでも評判になったことがありました。

建立したのはサカンポー株式会社(阪本漢法製薬)のオーナーだった阪本昌胤という人物です。

 
阪本漢法製薬は精力剤で有名な会社です。
石切剣箭神社の門前には阪本昌胤記念館が建っており、独特な世界観を醸し出してます。。
 
 
■石切剣箭神社上之社
石切参道商店街から上之社は細く急な坂道が続きます、今回は昼から登ったり下ったりです。ちょっと無茶だったかなと反省しつつ、ようやく上之社に到着しました。アセアセ

上之社の御祭神は饒速日尊と可美真手命の荒魂です。饒速日尊は神武天皇と敵対していた長髄彦が信仰していた神様です。饒速日命の墳墓は暗峠の先(奈良県生駒市白庭台)にあります。
 
 
石切剣箭神社は神武天皇2年(枚岡神社創建の5年後)に宮山に饒速日尊を祀ったことが起源です。その後、饒速日尊を祀る「上之社」と可美真手命を祀る「下之社」が創建されるのですが、明治時代に上之社は下之社(今の石切剣箭神社)に合祀されます。
 
 
 
合祀後の上之社は石碑のみがある場所だったそうですが、昭和47年に再興されます。本殿は昭和7年に解体保存されていた石切剣箭神社の本殿が使われています。
 
 
 
■天然温泉風の湯
急な坂道を登ったり下ったりの道中でヘトヘトなので最後は温泉で締めます。石切剣箭神社の最寄り駅の新石切駅から徒歩10分の所にあるスーパー銭湯です。入湯料は750円、タオル貸出は250円でした。
 
 
 
実のところ、今回は一之宮の枚岡神社よりも石切剣箭神社の方が印象が強い旅でした。
真剣にでんぼの神様にお百度参りをする人を見ていると、この人たちの思いが神様に届くように思ってしまいます。
健康な体で寺社仏閣を巡る旅ができることに感謝ですね。照れ
 
 
 
日本全国の一之宮をフラフラ巡っています。ほかの神社の旅はこちらでニコニコ
 
 
 

※枚岡神社から枚岡神社神津嶽本宮のルートは google map で表示されないのでハイキングコース出口にある神津嶽ふれあい広場からのルートになります。

 
・枚岡駅
近鉄奈良線 大阪難波駅から準急で40分
片道 360円
 
・枚岡神社
枚岡駅から徒歩すぐ
所在地:大阪府東大阪市出雲井町7-16
 
・枚岡神社神津嶽本宮
枚岡神社から神津嶽ハイキングコース 徒歩40分
 
A.神津嶽ふれあい広場
枚岡神社神津嶽本宮から徒歩10分
 
B.石碑群
神津嶽ふれあい広場から徒歩30分
 
C.観音寺
石碑群から徒歩10分
所在地:大阪府東大阪市東豊浦町1219
 
D.勧成院
石碑群から徒歩20分
所在地:大阪府東大阪市東豊浦町8
 
E.石切剣箭神社
勧成院から徒歩50分
大阪府東大阪市東石切町1-6-36
 
F.石切剣箭神社上之社
石切剣箭神社から徒歩30分
所在地:大阪府東大阪市上石切町2-34
 
G.天然温泉「風の湯」
所在地:大阪府東大阪市西石切町7-1-25
 

 

 

 

奥武山公園駅からモノレールで10分程度。壷川駅に到着です。

降り立ってみると周囲は国道沿いのビルが立ち並んだ場所でここに神社があるのか少々不安な気分になりました。アセアセ

大通りから一本中に入ると今度は住宅街の雰囲気、逆にこんなところに神社があるのか不安になりました。アセアセ

 

 

 

■神徳寺
安里八幡宮の別当寺で真言宗のお寺です。中には人がいてお祈りをささげている様子。


お祈りをしている人を見ると、沖縄の参拝の方法は本土とは違っていますが、信仰心はほかのどの地域よりも強いのではないかと感じさせられます。キョロキョロ

 

 


■本堂

他の寺社仏閣と同じく本堂は赤瓦で敷かれています。ニコニコ
 

 


■安里八幡宮(琉球八社)

第6代琉球王 尚徳王の時代(15世紀中ごろ)の創建。御祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫命です。


創建は尚徳王が鬼界島討伐の際に吉凶を占うため天に矢を放った伝承に基づきます。王の軍は見事に勝利し、放った矢(神通矢)を垂迹として八幡大菩薩を号したと伝わります。

 

 


本殿は幼稚園に隣接しており、園庭の中に神社があります。

琉球八社の神社はすべて波上宮を除いてすべて近代社格制度の無格社となっています。
これは、沖縄の神社に氏子の制度がなく、王府からの経済的支援によっていたことが原因となります。キョロキョロ

 

琉球処分後は王府からの経済的支援がなくなったため、明治末年には美麗な建築として知られていた拝殿は倒壊してしまい、本殿は沖縄戦で被災全焼したと伝わります。ガーン
 

 


■シュガーローフ

「ありったけの地獄を詰め込んだ」とまで言われた沖縄戦で最大の激戦地です。この丘を巡ってアメリカ兵2,662名の戦死傷者を出しました。
日本兵に関しては人数すら記録に残っていません。

 

 

 

現在、丘の上には那覇市水道局の貯水塔が立っており、周りは安里配水池公園として整備されています。

 

 

 


公園内には鎮魂碑もなく、案内板と卒塔婆があるだけで、ひっそりとしています。


この周辺は戦後は米軍基地となり、返還後は再開発され新興住宅地になっています。
 

 



安里八幡宮から波上宮へ、、、
琉球八社のうち安里八幡宮、末吉神社、天久宮の4社の御朱印は波上宮で拝受することになります。行ってない神社の御朱印は頂戴できないので、今回は安里八幡宮の御朱印をいただきます。
 

県庁前駅で下車して波上宮に向かいます、社務所で安里八幡宮の御朱印をお願いすると、書置きの御朱印をいたけました。

時間的に余裕があるので、瀬長島温泉に向かいます。ニコニコ

 


■琉球温泉「竜神の湯」


モノレール赤嶺駅からバスで10分瀬長島という島にある温泉です。ここの名物は、オーシャンビューの露天風呂とロウリュウサウナです。

 

 

 

 

琉球八社も3社を巡りました。残りのうち3社那覇市にあります。

フラフラ歩いて巡る旅なので時間がかかっていますが、自動車であれば頑張れば1~2日で回ることができるのではないでしょうか。

 

全く意図していないのですが、琉球八社の旅は沖縄戦の戦跡とセットで紹介する感じになってきてます。南国のリゾート地というイメージが強い沖縄ですが、今回の旅を通して沖縄の別の側面を見ているように感じています。

 

 

 

 

琉球王国の巡礼地、琉球八社をフラフラ巡ってます。他の神社はこちらでニコニコ

【琉球八社】まとめページ 日本最南端の巡礼地

 


 

 

A.安里駅

ゆいレール県庁前駅から10分

 

B.安里八幡宮(琉球八社)

沖縄県那覇市安里124

 

C.シュガーローフ

 

D.おもろまち駅