“わたし”の令和的エネルギーの方向性。 | beavisの感覚を言葉に。

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このblogにおいて

"わたし"とは

"あなた"でもあります♾


みんな違うけどみんな同じ。

"あなた"の中にも

"わたし"がいて



"わたし"の中にも

"あなた"がいる。



そんな"せかい"です。


4月に仕事を手放した。

だいたい3年周期でやってくるこの作業。。。



今回は

障害者の介護とサロンでの揉みほぐし、

美容院でのヘッドスパ、シャンプー、受付業務から

様々な人々の精神、肉体を観察することができた。



そうして“わたし”の中に湧く疑問たちに

仮説をいくつも作り、

“見せられるせかい”が教えてくれる

先人の知識、知恵たちから精査された


“わたし”なりの答えたちが集まった。




一度見つけた答えも

角度を変え、深さを変え、

その答えがひとつではない事や

180度転換し、全く逆の答えとなること、


むしろ答えなんて無くて

その時点ではそれがその人の答えの集合体である事。。。



意識が広がるにつれ

ある立ち位置での答えと

また別の立ち位置での答えは変わることを体験できた。



そのような事を

アイデンティティの崩壊と確立

と言うらしい。



言語として言葉にする時

人とコミュニケーションをする時


つまり3次元のこの“せかい”的解釈をする時。



全体での表現が出来ず、

ある視点から見た一部分を切り取って

伝えるために

矛盾ともとれる現象が起こる。






意識にある答えを全ての角度から

全ての深さ、全ての領域を

伝えるにはテレパシーで意識全部を

伝えられたら簡単なのに。。。




思う。



けれど


この“せかい”ではまだテレパシーは

標準ではなく

“わたし”も使いこなせない。





5、6月。

新たな人間関係がやってきた。


同じような意識の領域をもつ人々。

これぼど容易に伝わるものなのか。

これこそテレパシーな領域。



見つけた“わたし”なりの答えは

なぜ、わからなかったのか疑問になるほど

肚に落ちるものもあったけど

4月までは、伝えることが困難だった。



ここ最近の

“伝わる”事が当たり前の様な

居心地の良さは“わたし”に安堵を与えた。




自己との向き合いが深まるほどに

深さを知らされた


“わたし”の中の

自己不信。

自己肯定感、自己信頼の低さ。


“伝わる”体験は傷を癒す。


それでも

俯瞰力のついてきた今、

真逆の見方もできるけど

未だ湧き上がる。




どうやら今は

ぬるま湯に浸かったリラックスタイム。




また新たに

別のギャラクシーで

人々を観察し


”伝わらない“人々に

コミュニケーションの智慧を振り絞り


“伝わる”喜びを感じるために


旅に出る準備期間。



嵐の前の静けさ。



楽しめるように

エネルギーを蓄えておこう。

そして整える。心と体。


無理にすぐ気がつけるように。

突っ走らない。亀になる。



“せかい”の

ピラミッドの崩壊を穏やかにすべく。