あの日、あの時~みなさんは、何をしていましたか?

繁忙期、残業の毎日。
私は、疲労から毎日若干のめまいを起こしていたので、言われるまで気づかなかったんだよね。

それからは、社員数名が仕事をしながらwebでニュースをチェックしながら21:00まで。
帰ってテレビに映る映像の凄まじさに言葉を失ったのを覚えています。
と、同時に何事もなかったかのような自分の日常との葛藤の日々が始まったのです。
それは一年経過した今でも…


私事
当時、北海道の海沿いの街にいるはずの弟と連絡が取れず、職場に連絡をいれても
「大丈夫です」
と言われるだけ。
連絡がついた数日後…盛岡市に出張中。ライフラインも復旧のメドがつかず、仕事も思ったように進まない、仲間と励ましあって出来ることをやるしかない状況でした。


急速に復興がすすんでいるのならば違うのかもしれませんが、この一年間~長く長く感じるのは私だけでしょうか?
震災の面影(と言うには大きすぎる)、つめあとは…いまだいたる所に残り、引き続き厳しいものとなる事は否めない。


でも、そう言いつつも確実に未来への道を切り開くために歩みをすすめる人達がいる。
本当のツラさ、かなしみを理解する出来ない私がここで書き綴ることは出過ぎたまねかもしれない、でも~
どうか残されたいのちを大切に…

生きているからこそ、出来ることがある。
生かされたことに意味がある。



3.11
日曜日にあたったことは、少しでもたくさんの人が風化させることなく、心静かにあの日を思う事ができるように?
(もちろんお仕事の方もいますけど)
自責の念や同調から体調不良を訴える方もいらっしゃると聞きます…
無理せず、それぞれの過ごし方で。


14:46
黙祷します。




※長くなってしまいましたが、お付き合いいただいたことに感謝の意を。
明日を信じて、人のチカラを希望にかえて。



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