家を一歩出ると、実にいろいろな方がいます。
特に電車を乗った時に感じる事ですが。
自分の事だけしか考えない人、本当に多いです
携帯電話で話す、優先席で寝たふりをして席を譲らない、降りる人をかき分けて電車に乗る人…
一昔前はあり得なかった事を、今は平気な顔をしている大人も、前はそんな事してなかったでしょ
そういう姿を見て育った子供は、何の疑問も持たずに大人になっていってしまうのです。
残念ながら、毎日、嫌な想いをしない日はありません
昨日も夕方、電車に乗ってきた学校帰りの女子高生が、持っていたビニール傘を揺らしながらお喋りに興じていましたが、周りの人に傘の先が当たっているのに知らん顔
というより、自分達の事ばかりで、周りを見ていないんですね
こういう子に限って、自分が同じ目に遭うと凄い形相で睨み付け、暴言を吐きます
皆が皆こうではありませんが、かなり多いのは事実。
これは大人の責任ですね
私は子供の頃、母に「よその人には、裕子を通してお母さんが見られているの。どんな育てられ方をしたか、親はどんな人かを全部見られているからね」と、いつも言われていました
この言葉の裏には、「だからちゃんとしなさいね」という、強力なメッセージが込められています(笑)
子供ながらに、「気を付けなきゃ」と思ったものでした。
時が経ち、気が付けば私も娘には同じ事を言っています
私がよそ様にどうこう言われたくないのではなく、「あんな親に育てられて、気の毒にねぇ」と思われる娘の事を考えると、可哀想で。
良い事(当たり前の事)を率先して親がしていると、子供は何の疑問も持たずに同じ事をしますから、それは特別な事ではないと認識します。
だから、良い事が普通に出来る。
今は、当たり前の事が全く出来ない・知らない人が多いですね。
いいですか
これは不幸な事なんですよ
幸い、娘は人として恥ずかしくない言動が出来ているようです
「今どきのお子さんにしては珍しいですね」
よく、こんな言葉を頂戴していますが。
これって、どうなんでしょうか
ただ、当たり前の事をしているだけなのに。
何だか複雑な気分になります
私も人間ですから、毎日心身共に疲れていますよ。
でも、「人として恥ずかしくない」振舞いは常にしたいですね
特に電車を乗った時に感じる事ですが。
自分の事だけしか考えない人、本当に多いです
携帯電話で話す、優先席で寝たふりをして席を譲らない、降りる人をかき分けて電車に乗る人…
一昔前はあり得なかった事を、今は平気な顔をしている大人も、前はそんな事してなかったでしょ
そういう姿を見て育った子供は、何の疑問も持たずに大人になっていってしまうのです。
残念ながら、毎日、嫌な想いをしない日はありません
昨日も夕方、電車に乗ってきた学校帰りの女子高生が、持っていたビニール傘を揺らしながらお喋りに興じていましたが、周りの人に傘の先が当たっているのに知らん顔
というより、自分達の事ばかりで、周りを見ていないんですね
こういう子に限って、自分が同じ目に遭うと凄い形相で睨み付け、暴言を吐きます
皆が皆こうではありませんが、かなり多いのは事実。
これは大人の責任ですね
私は子供の頃、母に「よその人には、裕子を通してお母さんが見られているの。どんな育てられ方をしたか、親はどんな人かを全部見られているからね」と、いつも言われていました
この言葉の裏には、「だからちゃんとしなさいね」という、強力なメッセージが込められています(笑)
子供ながらに、「気を付けなきゃ」と思ったものでした。
時が経ち、気が付けば私も娘には同じ事を言っています
私がよそ様にどうこう言われたくないのではなく、「あんな親に育てられて、気の毒にねぇ」と思われる娘の事を考えると、可哀想で。
良い事(当たり前の事)を率先して親がしていると、子供は何の疑問も持たずに同じ事をしますから、それは特別な事ではないと認識します。
だから、良い事が普通に出来る。
今は、当たり前の事が全く出来ない・知らない人が多いですね。
いいですか
これは不幸な事なんですよ
幸い、娘は人として恥ずかしくない言動が出来ているようです
「今どきのお子さんにしては珍しいですね」
よく、こんな言葉を頂戴していますが。
これって、どうなんでしょうか
ただ、当たり前の事をしているだけなのに。
何だか複雑な気分になります
私も人間ですから、毎日心身共に疲れていますよ。
でも、「人として恥ずかしくない」振舞いは常にしたいですね