1947年、京都大学の久松真一は茶道を「喫茶を契機として創造せられた、芸術、道徳、哲学、宗教など文化の色々な部面を含んだ総合文化体系である」とする言説を唱えた。

1980年代初め頃には、日本の茶道の所作は中国茶(茶芸)に用いられるようになった。

裏千家をはじめとする茶道界はこの言説を取り入れ、日本固有の文化の保存という存在意義を茶道に浸透させていった。

一方、急速に進む「アメリカ化」による日本文化喪失に対して危機感を持つ人々もあった。

直近での中国茶(茶芸)の「茶巾をたたむ」所作は、日本の茶道の影響の表れであるといえる。

戦後は海外にも茶道は広まり、茶道の大衆化は世界的レベルとなっている。

戦後、知識層から多くの伝統技芸が戦前・戦中のナショナリズム醸成に加担したとみなされ、茶道の家元も「権力者に近づき、特配をうけていた」などと批判、追及された。


茶道 道具 中古