意識と無意識の話し その二 | ドブネズミのシャララ A面

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心の話をします。宗教とかスピリチュアル系ではありませんので。
心の病、その対処法、周りのサポート等、いろいろな心にスポットを当ててお話していきたいと思っています。

はい、みなさんこんにちは!


ドブネズミです。


週末企画として哲学のお話をします。



お知らせ
ドブネズミのシャララ B面」ではより詳しい心の病にスポットを当てて記事を書いています。

よろしければ一度覗いてみてください。


前回のお話では哲学とはなんぞや?ということから「有意識」と「無意識」のお話をさせてもらいました。


今回はその続きです。

フロイトの思想を簡単にまとめます。

1 人間が生きる上で性の力が源にある

2 人が司る無意識というものはその人を形成するものではなく産まれてからの習慣

3 人のなかにある無意識というもののなかに光はない。


はい、こんな具合に本当に簡単に纏めました。

哲学愛好家の方から見ればいろいろ違うと指摘されるかもしれませんが、まったく知らない人向けに書いてますのであしからず。

フロイトの思想はとても現実的です。

無意識というものは存在はするが、そこになにかを変えるものがあるわけではなく、無意識は無意識でしか有り得ないという感じです。
人が生きるために「考える」ということを有意識のなかで行っていると仮定し、それに伴って無意識も移り変わるものだと。


次にユングです。

1 人間が生きる上で生の力が源にある

2 人間が司る無意識というものでその個人が形成されている

3 人のなかにある無意識というもののなかに光はある


はい、ざっと纏めましたがこれを見て分かる通り、対照的ですよね。

フロイトは超現実的なのに対して、ユングは理想主義です。

無意識の集合体で個人を形成しているのなら、無意識に訴えかけることによって、その人の精神病は回復するのでは?と謳ったユングだからこそ、無意識のなかに光はあると主張したんですね。


みなさんはどう思いますか?


僕はどっちもどっちだと思います。

フロイトの言う現実的な無意識についての解釈もその通りだと思いますし、ユングの言う理想主義的な捉え方もそうだお思います。

ただ、どちらも両極端ですよね。


フロイトはオカルトじみた理想論を振りかざすユングを嫌っていました。

ユングは現実的なことばかりで無意識の可能性について聞く耳持たないフロイトに疑問を感じました。


そこで決別と。


フロイトは無意識は後天的なものと捉えました。
つまり、なんでもかんでも閉じ込めて蓋をするもの。

ユングは無意識を先天的なものと捉えました。
つまり、膨大な無意識の集合体から有意識が生まれるものだと。


これらの解釈の範囲の違いからユングの方が無意識についての影響は現代に対して大きいです。

ですが、フロイトの唱えた理論も現代臨床心理に多大な影響を与えた人物として今も尚受け継がれています。


つまり、二人ともレジェンド超人です。(笑)


僕は今回の記事で何が言いたかったかというと、僕のブログで紹介している言葉や普段生活していて発見するあれやこれ。

きっかけとなるような出来事はそこらじゅうに溢れています。

あなたの足元にも。あなたの目の前にも。あなたのポケットの中にも。


それは意識していないだけで、あなたが気づいていないだけで、今をよりよいものにできるきっかけは常にそこにあるわけなんです。


それに気付けないのは「無意識」が邪魔をしているから。

それを気づくことができるのは「無意識」が働きかけているから。


音楽や言葉、物語や人の人生、日常の出来事。


なにか一つとってみても、いろんな「角度」から見てみると様々な捉え方ができるものです。


その「捉え方」を瞬時に決めるのはやはり「無意識」です。


その「無意識」を揺るがすための哲学を名言を通してご紹介したいと思いました。


うつ病は心の風邪という比喩が有名ですが、僕のご紹介している言葉は風邪を予防するための一つだと思っていただけたらと思います。


ですが、人生なにが起こるかわかりません。

ひょっとしたら、ただの言葉ひとつで人生が変わるなんてこともあるかもしれません。


タイトルだけでもいいのでこの哲学者や人生のプレイヤーたちの言葉を通して、なにか「考え」、考えたものを「無意識」に蓄積していってほしいと思いました。

それらはいずれ、あなたやあなたの大切な人を守る力に変わると僕は信じています。


はい、朝からすみませんでした(笑)


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