書くことが好きな女...
考えてみれば、幼い頃から書くことが本当に好きだった。 無地ノートには、勉強した跡より、あれこれ書き残しの跡のほうがもっと多かった。 
その時その時の感情を表現した数多くの文が残念ながら今は存在しない。 
すべて捨てた。

学生時代書くのが苦じゃなかった頃は
未練もなかったようだ。その中にあった人生のエピソードが今の私を作ったものなのに··· 地道に日記を書いてきた人たちがうらやましいのは、このためだろう。

たくさん読んでいると、書いてみたくなるのが人情の常。
中学·高校の時、主にはまっていたのがロマンス小説だった。少なくとも1日1冊は読んだ。
気の合う友達二人と、決まった筋書きなしにリレーで恋愛小説を書き下ろした。

話がどこに飛ぶか分からなかったが、それが妙味であり、わくわくする遊びであった。筋書きなしでも私たちは恋愛小説をたくさん読んできたので、基本的な枠組みの中で自分等のロマンス想像力を広げることができた。 
その本はクラスのみんなの間で有名となり,順番を決めて待つようになった。たびたび「次回はいつだ」と催促されたりもした。

今読んだらどうかな。さぞ恥ずかしいだろう。しかしその時その感性に再び向き合うことができないというのは本当に残念だ。

再ペンをとったのは子供たちのためだった。 初産が老産の私にとってこんなに簡単に妊娠できるということも、元気に出産できたことも奇跡のように感じられた。
なので成長過程を几帳面に記録したかった。
こうして始まった成長日記だけに最初はやる気満々だったが人は本当に忘却の動物だ。 ペンを置いて7年···

必ず記録しておかなければならない出来事があり、再び取り出した成長日記はすでに色はせていた。
紙からブログに移してみよう。
それは子供たちの成長だけでなく私の成長日記でもある。
毎日が感謝であり、奇跡である。