こんにちは、ヒーラーの中西です。
早乙女充さんは、私が尊敬している気功師の一人です。
私が彼に声を掛け、ラジオを一緒に録り始めて、もう7回目になります^ ^
( いつもありがとうございます♪)
第7回目のラジオでは、ヒーリングのマーケット出展レポートの様な内容を、私も早乙女さんも話しました。
収録中は話しませんでしたが、率直に言うと、早乙女さんの感想は、少し限定的な視点を感じるな、と思いました。
「右と左」、「男と女」、「昼と夜」の様に、「認知科学に基づく気功」と「それ以外の目に見えない世界を用いたヒーリングの世界」を、対立するもののように観ているのかな、と言うことです。
「変性意識によるスプーン曲げの説明が通じなかった」というときのがっかり感のようなものだったり、雰囲気から、そう感じました。
※あくまで、個人の感想ですが。
ただ、私も以前は、「認知科学に基づく気功(長いので以降、"現代気功"とします)」と「それ以外」を分けて考えることが多かったです。
二項対立のように、相反するものと思っていました。
私の中では、
「現代気功は、絶対的に正しいとするものが無い世界」
「それ以外のヒーリングは、神だったり理念のようなものが、絶対的に正しいものとして存在する世界」
と、「明確な違い」があるものとして位置付けていたからです。
でも、ヒーリングマーケットとという、現代気功とは全く異なる場に行き、そこでヒーリングを行う中で、別の考えが生まれてきました。
「目に見えないものを扱い、人に良い影響を与える、という意味では、現代気功とそうでないものを、はっきりと区切るものはないのでは?」
という考えです。
視点を上げれば、「あちら」と「こちら」のように、明確な区別をつけられるものではないのでは?ということです。
我々現代気功師は、「植物から気を感じるね」とか、「場を感じる」と、日常的に言います。
また、一見何もない、よくて空気のかたまりにしか見えないもの(気の球)から、清々しさや心地よさ、または抽象的な「世界平和の気」や、逆に物理に近い、「猫の気」を、受け取ることが出来ます。
気功を全くやらない方からみたら、ただの不思議ちゃんです。
現代気功師と、「○○の神に聞いてみたらね...」と語るスピリチュアルなヒーラーは、「見えないものについて語っている」という視点で言えば、違いが明確にあるとは言えないのではないでしょうか。
(抽象度の高低、アプリオリの有無、何を前提にしているか、という視点で言えば、また違うのでしょうけれど)
まとめると、
「現代気功とそれ以外のヒーリングって、必ずしも対立するものではなく、境目をはっきりさせられない部分もある。そして、そういう視点の方が、自由な視点ではないかな」
ということです。