私ってね
自分以外の誰かを
自分の軸に置くの
今までの人生では
お母さんだった
いつも指示をうけてた
方向を示してもらってた
いつもお母さんの顔色を伺ってた
お母さんの機嫌を伺ってた
お母さんが絶対だった
それはきっとお母さんが
大好きで
嫌われたくなかったから
お父さんに対しても
そうだったなぁー
自分以外の誰かを
自分の軸に置く生き方は
私の根本にあって
その後の人間関係にも
そのまま引き継がれていった
相手がどう思っているか
相手が何を言って欲しいか
私がどう振る舞ったら
相手が喜んでくれるか
感じて読み取って
(↑自動的にしてた)
相手を軸にして
自分のことは見ないようにして
相手に合わせてきた
時に
自分を無力に
したてあげることで
相手を上にあげたりもしてきた
ずっとずっと
そうやって生きてきた
嫌われないように
見捨てられないように
自分を出さないように
相手の期待に応えるように
生きてきた
私の中に私が不在だった
気づいたら
自分はどう思うのか
自分はどうしたいのか
自分は何が好きか
何が嫌なのか
わからなくなってた
自分以外の人が軸だから
軸を失うと
自分がなくなるようで怖くなる
いつかの記事で
辛いことが起きて
苦しくなって
どうしていいかわからなくて
パニックになると
私の心の中で
”お母さんーー!!”
って叫んでいる自分を感じるって
書いたんだけど
これは
助けてって言えなかった
甘えられなかった
小さな私の叫び声でもあり
他人軸(お母さんが軸)
で生きてきた私が
”軸を失いそうと感じる瞬間”
(見捨てられ不安が作動する時)に
しがみつこうとする
自動作用のような反応でも
あるのだろうなって
今感じる
自分の軸を失うってね
自分が無くなること
自分を失うこと
生きていけない → 死 ぬ
っていうことだと
私は認識していて
だから
見捨てられる不安が起きた時
しがみつかなきゃって思ってしまうし
死 ぬんじゃないかと思うし
お母さんーって
助けてーーって叫びたくなるんだ
今までの恋愛でも
見捨てられるかもって感じると
深い暗闇に
突き落とされる
恐怖におそわれてました
でも今までは
なんとかなったというか
ここまで真剣に
向き合ったこともなかったんだけど
今は彼との関係の中で
見捨てられ不安が起きると
大きな真っ黒な波がおそってきて
のみ込まれるような感覚で
身体も波うつように痛みが走って
本当死ぬんじゃないかって思うほど
苦しくなるの
生死をさまようかのような感覚
そして
私は人生の中ではじめて
自分にある
”見捨てられ不安”を
直視するようになって
.....今やっと
私の軸には
いつも自分以外の誰かがいて
私の軸に在るべき
私がいない
事実に気がつきました
見捨てられ不安の
根本にたどりつけそう
そしたら
このフレーズが
内側から湧いてきた
私は何を感じる?
私はどう思う?
私はどうしたい?
私は何が好き?
私は何が嫌い?
私は、私は、私は
私はどこ?
私は何者なんだろう??