数日前、またまたおっきい見捨てられ不安がきたんです




休日には
楽しい
騒ぐ
盛り上がる
笑う
という私の感情とは正反対
の感情をともなう予定がはいって
いたけれど


そこで誤魔化さず
寂しい
悲しい
辛い
怖い
に寄り添いました




そして

どうして私はこんなにも
見捨てられる不安があるのか

どうして私はこんなにも
見捨てられることが怖いのか

ってことを
見つめてみたんです





そしたら自分の中から
応えがぽんっ、ぽんっと
浮かびあがってきました





私は愛されない存在だから
彼に愛してもらうために
彼を気持ちよくしなければならない


いつだって
彼にいい気分になって
もらわなければならない


そうしないと
愛してもらえない






私は自分が存在していることが
申し訳ないから



だから
自分を出してはいけない

自分を出したら嫌われる








私は嫌われる
私は嫌われている
が前提だから




彼に嫌われてはいけない




彼に愛されるために
彼が嫌な気持ちにならないために
彼に合わせなければならない

彼に見捨てられないために
彼に合わせなければならない
彼の気持ちを読みとらなければならない

彼を優先しなければならない.....




↑↑↑




ぜーーーんぶ彼が軸
(他人軸)でした





彼を軸にしている間

私は自分を見失っていたんだよね


私が不在だったんだよね






私は自分の存在価値を
すべて相手
(自分以外の人、彼)
に委ねていたの



自分には価値がないからって
他人に自分の価値を明け渡していたの




だから
絶対に見捨てられてはいけないんだって
思ってた
見捨てられたら死 ぬんだって思ってた

(↑この辺りの感情は
幼少期の体験からきてるかな)




だからね
嫌われたくないから
怖いから
見捨てられたくないから
選びとる
言葉も行動は
すべて他人軸で


私は自分より
自分以外の相手に
価値を置いてた




自分以外の人を
見上げてた








他人軸で過ごしてきた
これまでの時間を振り返った時
ずしーんとした
脱力感、疲れ、重たいものを感じました


辛かったよね、私






自分以外の誰かに
自分の価値なんて
決められないのにね

自分の価値を決められるのは
自分だけなのにね


みんな平等に
命という生きているという
存在しているという
価値があるのに.....






私が信じてきた価値って
頑張って
努力して
弱い本当の自分を隠して
”得るもの”

形として
目に見えて
そして”誰かに与えてもらえるもの”
”誰かに認めてもらえるもの”
だった



だから
自分以外の誰かに
認めてもらうことが
絶対的に必要でした








”他人軸  と  自分軸”

自分を見つめていると
他人軸と自分軸の違いが
より明確になってきて

そして薄々、わかってきたことが
あります





それは
私のこれまでの人生は
他人軸で選びとってきたもの
なんじゃないかってこと



だから
他人軸で選んできたものに対して
今、違和感を感じてるんじゃないかな









これからは自分軸で生きたい

これからは

★私の価値は
他人によって決められるものではない

★私は愛されている

を前提に生きたい






いつだって
自分を見失わないで

いつだって
私の中にはわたしがいて良くて

いつだって
わたしを最優先に選んでいい




そして
自分の人生のすべてを
自分で選びとっていい



自分の気持ち
自分の感情を
打ち消さず
自分の気持ち
自分の感情を
選びとっていい






見捨てられ不安を感じた時は
とことん自分(寂しさ、怖さ)に寄り添って

その度に
自分以外の人を軸にしていないか
自分に聞いて、問いかけて



そうやって
私を見つめながら
生きていきたいな






そうそう
いつの日か
自分の中から響いた言葉を
思い出しました





誰かのために生きない
私は私のために自分を生きる






他人軸の人生から自分軸の人生へ