さらにさらに気いたコト☆☆




私にとっての与えるは
いろーんなことが絡み合ってました



自分だけでは申し訳ないという罪悪感と

助けてあげようという勘違いと
(助けて欲しいのは自分だった)

自分だけが突き抜けるのが怖くて

自分を低く見積もって

正しいのか間違ってるのかが
わからなくて自信がなくて


そして
何かを人に与えないと私には価値がない
何かを人に与えないと認めてもらえない
何かを人に与えないと愛してもらえない




そんな風に
私、だいぶだいぶこじらせてました






そして
与えたのに奪われると
腹が立つという矛盾と

”奪われる”
ということが起きるのは





私がわたしから離れるから





私がわたしを
(わたしの才能、センス、直感)
受け取らず
まずは他人に”勝手に”分け与えて



自分から自分を奪っていたから





だから私のアイデンティティー
(才能、センス、直感)を誰かに
”奪われる”という現象が起きていた








きっと
与えようとするから奪われる” の









そもそも”与えよう”なんて
考えなくていいことなんだよね




与えるとは自動的に起きることだから





何もしなくても
存在しているだけで
いい(与えている)のだから




だから


”与える”とは”受け取ること”








私は長年大きな勘違いをしてきました