世の中の恋愛テキストにはこう書いてあります。


自分を一番に大切にしてくれない男性、自分を一番に愛してくれない男性、
自分を一番にしてくれない男性とはキッパリ別れること。
大切な人生の時間の無駄使いです...。




きっと今までの恋愛だったらそれを適用できたでしょう。。
キッパリ別れを決めることができたでしょう。。




でもそれが通用しないんです。



私は彼にとっての一番ではないけれどとても大切にされていると感じるしとても愛されていると感じます。
それは今までの恋愛の形、目に見える形、いつも愛してるよと言ってくれること、愛し愛されているといえる男女の関係と言う概念、そのどれもに当てはまらない形で。




そして終わろうとしても終われない。
”終わらない”んです。




終わろうとすればするほど頭の中にメッセージがガンガン降りてきて心の中のスペースは彼で埋め尽くされて、
離れようとすればするほど引力は強くなって、即座に目の前の出来事を通して”彼ですよー”というサインが送られてきます。





そして私のことが大切だったら毎日連絡をくれるハズ。
たくさん会いにきてくれるハズ。
一緒にいてくれるハズ。

そういう既存の恋愛の形に当てはまらない関係は愛とは呼べない、愛されているとは言わない。
だから私は愛されてなどいないのだ、この関係を終わらせなければ。
そう考えると自分が自分の価値を下げているように思えて。
私はただの都合の良いオンナなのかもしれない。
これはただの執着かもしれない。って
迷いと悲しみのループに迷い込んでしまいます。




自己否定です。




でも実はそう考える思考回路(概念)が間違いだったりして...
もしかしたら今まで信じてきた恋愛の常識さえも覆していくんだよって意味だったりして...とか。
最近、あまりに辛く感じる自己否定からそんなことを感じてました。
(ここでの自己否定とは自分の思いをなかったことにすること、否定すること)







そしてたどり着いたのは
離れることなどできない。
自分を誤魔化すこと自分に嘘をつくこともできない。
どうしても愛してしまう。






もうね、参った。
降参。


終わることはないのだという諦め。






世の中の常識に沿うことを諦めようと思う時、
今まで信じてきた、これが恋愛なのだという価値観を自分から切り離した時、自分の思いに降参した時。
それをすべて受け入れたとき、
私はとてつもない”自由”を感じます。






これはずーっと欲しかった感覚。








『あなたのことが大好き』

『私はあなたと一緒にいる』


自分の本当の気持ちを”自分が”素直に受けとめた時、
自己否定は一変して、自己受容に変わる。





その瞬間、私の魂は喜びを感じます。





自分に素直になることで”私が”嬉しい





私がわたしの思いに素直になることで自分の中から愛があふれ出てくる。

...そうか。
終わることのない愛ってこういうことなのかな。







自分の心(本当の自分)は、誰にも支配されない、自分以外の誰にも決められない、ダメ出しなどされていいはずのない、自分だけのもの。自分だけが知っているもの。

 
だから自由でいい♡
もっともっと大事にしていい♡