バーンと大きな出来事があってから
私の中のわたしは。
もう追いかけなくていい。
好きでいなくていい。
何もしなくていい☆
って伝えてきてくれました。
*
でも今までの思考の癖から
”本当にいいの?”
”やっぱり何かしなきゃ”
”何もしないなんて不安”
”何もしなかったら
忘れられちゃうんじゃない?”
”何もしなかったら
もうどうでもいいって思ってるって
伝わってしまうんじゃない?”
って
いろんな思いが何度も
何度も浮上してきます。
それでも
わたしの声を
信じて過ごしている中で
新たな思い込みに
気づきました☆
私の中から出てきた
「好きでいなければいけない」
は
私が好きでいないと
私は愛されない
って思っていたこと。
好きでいないととは
頑張らないと
我慢しないと
相手からは愛してもらえない
ということ、
目指している”愛”の境地に
たどり着つくためには
自分より相手を敬って
我慢することが大事、
という思い込みです。
だから私は
私自身の犠牲が
セットでした。
愛されるには
自分自身の犠牲が必要、
そのままで
愛される存在であることを
信じられていなかった
んです。
*
けれど
わたしと向き合ったと同時に
”本来の女性としての位置”
(役割?と言うのかな)
を知った気がします。
女性は
愛されること
求められること
待つこと
受けとること
の位置にいていい。
究極、
もしかしたら
何もしなくていいんじゃない?!
というところにたどり着きました。
(それが
わたしが伝えてきてくれた
何もしなくていい☆なのかな)
女性がすることは
自分を自分で愛すること
自分を自分で満たすこと。
ただただ
”私という女性”を
まっすぐ愛して
大切にすると
いうこと。
愛を外側に放つことではなくて
内側で育むことです☆
*
そして
私は本当は
愛すること
よりも
愛されたい
と願っている
自分に出会いました☆
”愛されたい”
に気づいた時、
これが
私自身の内側からの
純粋な願いなんだって
素直に感じました☆