自分でもちょっとびっくりする
ことに気づきました。
私、ここ数ヶ月で感じた
"なんとなく苦手だな、
なんとなく嫌だなって思った子が
"実はすごく苦手で嫌い”
だったのかもしれないです。
自分に衝撃です
*
わたしの声に従って生きることをはじめてから
価値観、大切だと思ってきたもの
守らないといけないと信じてきたルールなど
いろんなものが覆されていっています、、、。
わたしは本当はこれをしたくないとか
わたしは本当はこれが好きじゃないとか
恐いなって感じながらも
”わたし”にそぐわないものを
どんどん削ぎ落としていくことで
どんどんスッキリして
どんどん自分と繋がって
どんどん自分の体が軽くなって
エベルギーが透き通って
きているのを感じてます。
よって☆
”好き”がものすごく心地いいし♡
”嫌い”がものすごく耐えられない。。。
好き、嫌いがピピピーと”わたしセンサー”☆
でキャッチできるくらい敏感になった気がします。
*
今まで
”好き、嫌い”は感じていても
”嫌い”って思うことはいけないこと
だと思ってきました。
それが対人関係なら、なおさら。。
人を嫌ってはいけない
人のいいところを見つけて
好きでいるようにしなければならない
長年の付き合いがあるのだからこれからも
上手く付き合っていかなければならない
だから私も
嫌われないようにしなければならない
などの制限がありました。
その制限が
好き嫌いのセンサーの精度を下げて
(感情をありのまま感じないようにして)
嫌いでも好きでいなければいけない
って自分の中の事実をまげることが
”あたり前”だと思ってきたんです。
だから”嫌い”を存在させることを
自分に許さなかった。
センサーの精度を下げないと
生きていけないぞ。
いろんな感情を敏感に感じる
私はダメな子なんだぞ。
と繰り返し言い聞かせて
どんな時も、
苦手な人でも、
いいところを見るようにして
気持ちを誤魔化す。
ないものにする。
無理やり感情を置き換える。
我慢、我慢、我慢。
そうやってどんどん自分の感覚を鈍らせて
好きも嫌いもちゃんと感じることが
できない自分になっていったんだと思います。
*
でね、”なんか合わない”と
感じるようになった
(正確には感じてた)
友達から離れたことと
自分の本当の感覚がよみがえってくる中で
見えてきたのは
”なんか合わない”と思っていた人は
”苦手”もこえて、、
実は嫌いだったんじゃないかなってことです。。。
今、私がほんとに無理っ!って感じるのは
私を見下す。
私が弱くてなにもできない子だという位置で
私のことを見る。
私が変わろうとすると
嫌そうな態度をする。
足をひっぱる。
嫉妬する。
コントロールしようとする。
変わらないで!という
エネルギーを感じる相手。
そしてこれは今日気づいたことなんだけど
上に書いたことと
常識に従うべき!
完璧にこなすべき!という思み込みで
生きている自分の生き方を人に押し付ける人。
自分の機嫌をあからさまに態度に出す
”人を選ぶ”人。
(自分より上に見てる人にはとてもいい顔する。)
そういう人のエネルギーを感じたり
触れたりすると
私は落ちてうつっぽくなるみたいです。
うつスイッチが作動しそうになるの。無理やり自分の感情を
押さえ込む時の
”抑圧”の感覚を思い出したり
その人の出す
マイナスのエネルギーを
察知してズドーンっと闇を感じて
閉じ込められるように感じるんです。
*
それでね、そういうことか!ってわかったのは
わたしはそういう人が大嫌い!!
ってこと。
(今やっと言葉にできた。。)
本当は
そういう人とお付き合いすることが
わたしずっとずっと窮屈だったんだ
窮屈で窮屈でたまらなかったんだ
嫌だったんだー*
だから
嫌なことは
嫌だって感じていい
嫌なことをしてくる人からは
離れていい
ちゃんと私の中に存在させて
自分を守ってあげる。
*
そして、嫌ー!と感じるのは
私に対しての嫌ー!でも
あって。
わたしに我慢させないで。
感情を誤魔化さないで。
わたしを見下さないで。
合わないところにわたしを
無理やり押し込めないで。
ってメッセージ。
*
私は周りの世界を強く大きく
見すぎていたんだろうな。。。
だから
感覚や感情を”自分”に取りもどす☆
そして感情をありのまま感じることは
私の中に確かにあるものを認めること、
それは私という存在を
認めてあげることなんだなって
思っています。