こんばんは。 
今日はモヤっとした感情が湧いてきたので、
その時の心境を振り返りながら
こちらに綴りたいと思います。


今日はあるところで
ヴィーガンの方達とお料理を作って
食べる会に参加しました。

私は現在 菜食主義ではないです。

自分一人の食事の時は
ほぼ菜食ですが、家族のご飯を作る時や、
外食時はこだわりません。

そんな私が なぜその会に参加したのかというと、その会の主催した方の一人が
夢に出てきて 優しくしてくれたから
(女性ですよ〜)という 
ちょっとメルヘンチックな件があるので、
そこは、、
端折りますてへぺろ



メンバーのうちで雑談しながら
料理をしている中で、
菜食は親がしていたから自然とそうなった、
とか
元々 肉が苦手だった
とか

色んな理由や、そうなった流れってあるよねー
なんて話す中で、

、、、あーこれ。
この感じ。。
なんと言ったらいいのかショボーン
というのが出てきました。

批判です。

なんで動物を殺してまで
食べるのかしら?
かわいそう。
あそこの物は〇〇だから
買わない。

わかります。
なぜなら6年前の私もそうだったから。
世間に対する怒りが
たくさんあった時でした。

当時の自分自身を、見るような
何とも言えない気持ちになりました。



わたしは現在
雑食ですが、11年間
菜食 
マクロビオティック 
ヴィーガン
などなど アレコレ試行錯誤しながら
よりよいものを、、とトライしてきました。

いまわかるのは 
そのコダワリがある限り
理想とする世界は遠く、
いつまでたっても平行線だ、という事です。

宇宙には善悪とか
多分 無いんですよね。
ネガティブも
陰も 闇も。
全部あってよしとされてて、

だとしたら
あるがままを見て
それが ただ 有る
と認識する それだけだと 思います。

そうして
じゃあ自分が心地よくあるのは
どこなのか。
そこに集中する。

そうして
気持ちいいなー しあわせだなー
この粒子で満ち満ちた状態が
周囲に変容をもたらす事ができる
のだろうなぁ。
と感じました。


私が
もう アレコレこだわるのはエゴだな。
と心底 感じた、雑食に戻った
流れは
田畑をやっていた時でした。

遺伝子組み換えの種、
消毒してある種。
農薬、化学肥料
避けたいものがたくさんありました。
空気の汚染、水は綺麗なのか。


そんな中で懸命に手掛けた野菜や米が
実る。
それはそれは美しい風景でした。
稲穂がザワザワーと揺れる景色は
涙が出るほど輝いていました。


その場所から自宅に戻って
ご近所さんから
家庭菜園の夏野菜を頂きました。
無農薬か?とか肥料が、、とか
聞きませんでした。

だって、、

瑞々しく喜びに満ちた様子の
お野菜と、その方の満ち足りた表情が
とても輝いていたからです。
そして それはそれは美味しかった。

自然農の田畑の野菜と
この家庭菜園の野菜 どちらが
優れている命か なんて どうして
考えたりできるだろうか。

またある時は田畑の周辺で
獣害だとされている
猪のモモを一本頂きました。
かわいそう なのか、
獣害とされ
廃棄されるのがいいのか。

生命に貴賤や
善悪とかないんだな、とジーンと
ハートに響いた
瞬間でした。

身体にとって
異物は入れない方がよいでしょう。

ただ
その異物は誰が作ったものなのか。
同じ人間が作った。
そんで、野菜たち 養殖された生き物は
勝手に選別されて、

口に入れたくないとか 嫌がられたり 
なんだかとてつもない エゴだな。
と感じたのでした。

それから 頂いた物はなんでも
有り難く頂戴するようになりました。


今日感じたこと。
過去の自分と
今の自分が同じ場所にいるかのような
そんな 気持ちになりました。

いつでも 同じ場所に様々な視点がある。
これを意識するだけで
調和できる。
やっとこれを意識してできるように
なってきたのかも知れません。

そんな一日でした。