アザラシ(ゴマちゃん、しろたん)大好き、ゴマちゃんパパです。


 引き続き、17日(日)に皇居三の丸尚蔵館で見た

皇室のみやび-受け継ぐ美-
第3期:近世の御所を飾った品々


の紹介です。


 源氏物語図屏風が2種類





 こちらは、2つ目の屏風。

(右隻)



(左隻)

 これは、「若紫」で、光源氏が柵の向こうをのぞいているところですねえー










 次は、和漢朗詠集。「伝藤原行成」とありますが、説明文を見ると「源兼行の筆と推定されます。」と書いてありますびっくり 英文を読むと、歴史的には藤原行成筆とされてきたが、最近の研究では源兼行筆の方により近いとされているということのようです。
 この藤原行成は、書の名人で、日本史の試験によく出る「三蹟」の1人です。大河ドラマ📺「光る君へ」では、渡辺大知さんが演じています。この和漢朗詠集の撰者は、藤原公任。関白頼忠の子で、和歌、漢詩、管弦のすべてに優れていた文化人です。大河ドラマ📺では、町田啓太さんが演じています。
 この作品1つで、大河ドラマ📺の登場人物が2人も関係しているのですね
 ところで、ドラマ📺では、藤原道長(柄本佑さん)、藤原公任、藤原斉信(金田哲さん)、藤原行成の4人が年代の近い仲良しグループで、いつも一緒に学問を学んでいたりします。金田哲さんが、この4人を藤原4(通称F4)と名付けたそうです。
 ただ、これは若い時の話であり、道長が左大臣として政権の筆頭となった時は、もはや4人組とは行きません
 むしろ、一条天皇の時代の4賢人として、「寛弘の四納言」と言われる人がおり、藤原斉信、藤原公任、藤原行成が入っています。もう1人は、後に道長の妻となる源明子(瀧内公美さん)の兄・源俊賢(本田大輔さん)です。いずれも蔵人頭を務めた優秀な人たちです。
 ちなみに、道長から見ると、斉信は従兄弟(斉信の父・為光(阪田マサノブさん)が兼家(段田安則さん)の弟)、公任は又従兄弟(道長の祖父・右大臣師輔は、公任の祖父・関白実頼の弟)、行成は従兄弟の子(行成の祖父・摂政伊尹は、兼家の兄)となり、みな親戚です。






 こちらも、有名な更級日記で、藤原定家の筆です。





 さて、この17日の夜に見た大河ドラマ📺「光る君へ」では、前回、花山天皇(本郷奏多さん)をだまして退位・出家に追い込み、一条天皇(高木波瑠さん。大人になると塩野瑛久さん。)の践祚により祖父の兼家が摂政となりました。
 そして、摂政・兼家は、早速、臨時の除目(人事)を行います。

 実は、このドラマ📺が始まった頃、円融天皇(坂東巳之助さん)の時代で、藤原頼忠(橋爪淳さん)は関白、兼家は大納言でした。そもそも、兼家の長兄で円融天皇の摂政・太政大臣だった伊尹(これただ、これまさ)が亡くなった時、頼忠は右大臣、兼家は大納言、兼家の兄・兼通は権中納言と弟に先を越されていました。兼家は、自分が摂政関白になれると思ったのでしょうが、大鏡によれば、兼通は、妹・安子(円融天皇の母)が「摂政関白は、兄弟の順番に」と書いた紙を天皇に見せ、兼家を飛び越えて関白になったと言われています。この本によると、実際には兼通はすぐに関白になったわけではなく、まず内大臣として内覧の機能を与えられ、2年後に関白太政大臣となったようです。それから3年後、兼通が病気になると、兼家は天皇に「自分を関白に」と頼みに行きます。兼家が見舞いに来たかと喜んだ兼通は、兼家が自分の屋敷をスルーして天皇の所に行ったと知って激怒しますムキー 病を押して直ちに参内しますが、大鏡には、天皇と兼家が話し込んでいるところに、いきなり痩せ衰えた兼通がすごい顔して現れたとか書かれています。そして、兼通は、次の関白を弟・兼家でなく、従兄弟の左大臣・頼忠とします。たしか、兼家は、大納言と右大将を奪われ、治部卿に格下げされたはずです。そこからようやく復活して大納言、右大臣まで上ったのが、初回の話でした。
 
(参考文献 特に右の「道長と宮廷社会」)

 で、今回の除目では、摂政の自分が一座(筆頭)となり、頼忠を太政大臣、源雅信(益岡徹さん)を左大臣、弟の為光(阪田マサノブさん、斉信と亡き忯子の父)を右大臣としました。

 花山天皇の時代は、頼忠が関白太政大臣、源雅信が左大臣、兼家が右大臣という序列でしたが、一条天皇になり、祖父の兼家が摂政となったため、頼忠は関白を辞めて太政大臣のみとなったわけです。左大臣の雅信はそのまま。
 で、兼家は右大臣を続けてもよいのですが、そうすると、右大臣としては、頼忠や雅信の下になってしまうので、右大臣を辞めて摂政のみとなり、天皇から「一座宣旨」を受けたそうです。ドラマ📺で兼家が「一の座は、摂政藤原兼家」と言っていたのは、そういうことですね
 花山天皇の退位は6月23日ですが、参考文献の記述を見ると、兼家が右大臣を辞めて摂政のみとなったのは7月20日の除目なので、ドラマ📺に出た除目は、この時のことですね。
 そして、ドラマ📺では、長男の道隆(井浦新さん)を権大納言に引き上げたところだけ映していましたが、兼家が読み上げた紙を見ると、右大臣の次には、大納言・源重信がいました。権大納言も3人いて、藤原朝光(あさてる)、道隆、済時(なりとき)の順でした。本によると、この3人は飲み仲間だったそうです。ちなみに、かつて関白兼通が弟・兼家の右大将を取り上げた時、「誰か右大将になりたい者はいるか」と言われて「こんな時しかチャンスはない。」と立候補して右大将になったのが済時です。済時の父は、師輔の弟・師尹ですから、済時と兼家は従兄弟です。後に済時の娘・娍子が三条天皇に入内すると、道長の娘・姸子とライバル関係になり、対立します。

 そして、道隆の弟・道兼(玉置玲央さん)も参議に昇進し、公卿となります。
 本によると、道隆は、花山天皇の時代は、従三位右近衞中将(非参議)でした。ドラマ📺でも三位中将と言われていましたから、公卿だけど参議でないという形でした。それが、一条天皇即位の後、参議を飛び越えて権中納言となり、父の摂政兼家が右大臣を辞めた時、5人抜きで権大納言となったと本に書いてありますから、今回のドラマ📺の除目は、やはりこの時なのでしょう。一方の道兼は、花山天皇の蔵人(左少弁)でしたが、一条天皇の蔵人頭となり(前回の最後)、道隆の後の右中将になった後に7月20日には参議となったので、ドラマ📺の除目ですね。ちなみに、前回まで、道兼は道長と同じ赤い服でしたが、今回から黒を着ています。NHKのホームページを見たら、四位以上は黒、五位は赤なんだそうです。

 除目と違い、公卿会議(陣定)には、本来、摂政、関白、太政大臣は出ないはずです。摂政関白は、天皇の代理として陣定の報告を受ける側であり、太政大臣はいわば名誉職だからです。しかし、ドラマ📺では、公卿会議らしき場に関白頼忠(今回から太政大臣のみ)や摂政兼家がいるのが、不思議です。後に、道長が、あえて関白にならず、左大臣のままでいたのは、関白になると陣定に出られず、太政官を仕切れなくなるからだと言われています。

 さて、一条天皇の即位式を前に、皆が腰を抜かすような高御座で恐ろしいことが起きたようです 道長が何かを「鴨川に捨てて参れ」と言っていたけど、何があったのか? リアルタイムに見ている時は、気づきませんでしたが、NHK出版の大河ドラマ📺ガイドであらすじを読むと、子供の生首が置かれていたと書いてあります たしかに、録画をもう一度見ると、その通りでしたガーン なんという恐ろしいことを
 しかし、道長は、これをなかったこととして無事に儀式を成功させ、父・兼家にほめられます。兼家も、子供の時に天然だった道長が実は、しっかりしていると気付いていますねチュー
 もともと、道長は豪傑で度胸がよいというイメージがあります。ドラマ📺でやるかと思ったらスルーされましたが、花山天皇が道長たち兄弟に肝試し👻をさせた話があります。現代と違い、街灯もないわけで、夜中に遠くまで行かされるのは、かなり怖かったでしょう。兄たちが「化け物が出た」とか言って震えて帰ってきたのに、道長は平然とミッションをクリアして帰ってきたという伝説があります。

 そして、今回から、道隆の息子・伊周(これちか、三浦翔平さん)が登場しました。これも、かなり気が強く、生意気な青年です。安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)に「父上には気をつけろ」と言う伊周に、祖父の兼家も「こいつ、言うなあ」と感心している様子でしたねグラサン 後々、道長のライバルとなり、対立することになりますが、たしか、大鏡には、道隆、伊周の中関白家で弓🏹の競技をしているところに道長が乗り込んで、バシバシ当ててくる🎯というエピソードがあります。今回のドラマ📺では、弓🏹のシーンが多いから、この話は使うかもしれませんね。伊周もかなりいい度胸ですが、道長の方が上手なのでしょうニヤリ

 しかし、態度の大きさでは、伊周はかなりのものですてへぺろ さっきの本を見ると、道隆は、父・兼家の後に関白になると、息子・伊周を後継者とするためか、どんどん昇進させています。994年には、伊周はわずか21歳で内大臣となり、前代未聞の若さでしたびっくり この時、先任の権大納言・道長を抜いたことになります。ちなみに、平安時代の終わりに保元の乱で死ぬ悪左府・藤原頼長(道長の曾孫の孫)は、18歳で大臣になったそうですから、さらにすごいですねガーン
 で、伊周は、まだ大納言の時に、宴席で、大臣の座る上座に座っていたので、さすがに父・道隆が注意して下座に下げたそうです。こんなエピソードがなぜ残っているかというと、藤原実資(ロバート秋山竜次さん)が日記「小右記」に書き残しているからですグラサン

 それから、私がとても気になったのは、晴明が、道隆の娘・定子(一般的には「ていし」ですが、ドラマ📺では「さだこ」。後に、高畑充希さんが演じます。)を紹介され、定子の顔を見ている時に渋い顔になることです
 たしかに、定子は、道隆の言うとおり、後に、一条天皇に入内し、愛されて皇子も産まれます。そして、定子には清少納言(ファーストサマーウイカさん)が仕えます。しかし、定子は、25歳くらいで死んでしまうのです 私の感想ですが、晴明なら顔を見ただけで、「この姫は早死にする」と見抜いたのではないでしょうか

 そして、兼家や道隆一家が盛り上がっているところに、弟・道兼が怒って登場しますムキー
 たしかに、花山天皇をだまして退位させた最大の功労者ですから、「手柄を立てたのは、兄上でなく、私だ」と言うのももっともではあります。
 兼家も「いずれは兄を超えることもできる。」となだめていますが、実際にはその気はないでしょうし、道隆も弟に譲る気はないでしょう。道隆は、弟に摂政関白の座を譲るどころか、息子・伊周に譲る気ですから。(結局、一条天皇は、道隆→道兼→道長と兄弟での継承にしましたが、それはかなり先の話です。)



 続きます