アザラシ(ゴマちゃん、しろたん)大好き、ゴマちゃんパパです。


 また、前回から1週間も空いてしまいました

 前の週にインフルエンザ😷で1週間休んだので、仕事も忙しく、寝落ちが続きました

 昨日は、2週連続で休んだジムに久しぶりに行ったため、今日は筋肉痛ですえーん

 ジムの帰りに、マックに行きました。


 これ、まだ食べていませんでした

 新聞📰折り込みチラシの割引券もあったのですが、21日で期限切れでしたガーン

 食べたのは、スモーキーペッパーチキン、チーズダブルてりやき、フィレオフィッシュ、ポテト





 さて、前回も大河ドラマ📺「光る君へ」の話を書きましたが、あの後見た第3話は、予想どおり、詮子(あきこ、歴史書では通常「せんし」、吉田羊さん)は、皇子・懐仁(やすひと。後の一条天皇(塩野瑛久さん))を連れて藤原兼家(段田安則さん)の所に里帰りしていましたね。そこで、詮子の長兄・道隆(井浦新さん)の娘・定子(さだこ、歴史書では通常「ていし」、大人になると高畑充希さん)と皇子を遊ばせていました。
 この会でも、やはり詮子と弟・道長(柄本佑さん)の仲の良さが見えました。

 で、私が面白いと思ったのは、この親子のやり取り。
 父・兼家が「懐仁親王様に早く帝になっていただかなければ、わしも摂政になれぬ」と言い、道長が「父上は、すでに右大臣なのですから、これ以上えらくならなくても。」と言うのに対し、「上を目指すのは、我が一族の宿命である!お前も、そのことは肝に銘じよ!」と真剣に語り、道長が「私は三男ですから」と笑ったらてへぺろ、兼家が「わしも三男じゃムキー」とキレました。

 この大河ドラマ📺の時代考証を担当しているのが、倉本一宏博士(国際日本文化研究センター教授)ですが、いろいろ本📗📙を買ってきました📚 左下の「藤原氏」📗は、かなり前に買って読み終わっていますが、今週から左上の「紫式部と藤原道長」📗を読もうかな。


 右端の本「道長と宮廷社会」(大津透著)は、倉本教授の本でないですが、20年くらい前に買いました。「光る君へ」📺第1話について触れた過去記事でも参考にしています。


 で、ドラマ📺の道長は「私は三男」と言っているし、子供の頃は三郎と呼ばれていましたが、これはあくまでも、正室・時姫(三石琴乃さん)が産んだ道隆、道兼(玉置玲央さん)、道長を三兄弟と数えた場合ですね。

 ドラマ📺でも、今後、腹違いの兄として道綱(上地雄輔さん)が登場するようですが、歴史の本を見ると、だいたい、長男・道隆、次男・道兼、三男・道綱、四男・道長という順に書かれています。ただ、先ほどの倉本博士や大津先生の本でも道長は五男と書いてあります。倉本博士の「紫式部と藤原道長」には、道義という兄の名前が出ていますが、ほかで見たこともないので、若いうちに亡くなったのかも? 大津先生の本には、四男・道兼との記述もありますが、道綱より上のはずです。いずれにしても道長は、末子なんですね。

 で、道綱は、ほかの兄弟と違って摂政関白になっていません。もちろん、正室の子でなかったという家柄のハンディもあったでしょうが、どうやら道綱は、あまり仕事ができない人だったようですショボーン たしかに、道綱の母(ドラマでは藤原寧子(財前直見さん))が蜻蛉日記の作者・右大将道綱母として有名なだけで、道綱本人については、あまり知られていません。先ほどの大津先生の本を読むと、こんな話が出てきます。1019年、道綱は、弟・道長に「大納言を20年もやっているのだから、1月か2月でいいから、大臣にしてくれ」と懇願し、道長も困ったそうです。前回も有能な藤原実資(さねすけ、秋山竜次さん)について書きましたが、この実資が「器にあらず」と酷評していたそうですてへぺろ 当時、道長は摂政を息子・頼通に譲って太政大臣となっており、この年には病のため出家していますが、家柄だけで大納言に出世した無能な兄には困っていたのでしょうえー この翌年には道綱が亡くなり、前回書いたとおり、1021年には左大臣・藤原顕光(道長の従兄弟、宮川一朗太さん)が亡くなったため、(おそらく道長が退任して空席となっていた)太政大臣に右大臣・藤原公季(きんすえ、兼家の末弟。この人はあまり有名でないですが、その子孫(閑院流)は、院政期に活躍します口笛)を、関白左大臣に関白内大臣・頼通を、そして大納言・実資を右大臣に、頼通の弟・権大納言教通を内大臣に、それぞれ昇格させました。
 ちなみに、頼通(992年生まれ)が1017年に摂政、1019年に関白となり、1067年に関白を辞めるまで摂政関白を50年も務めたのでガーン、弟の教通はなかなか関白になれませんでしたえーん 倉本博士の「藤原氏」📗によると、教通は内大臣に26年も留められ、ようやく52歳で右大臣、65歳で左大臣に上がりました。77歳でやっと兄から関白を譲られたそうですびっくり

 このように、道綱はあまり仕事ができないのに家柄だけで出世したようですが、ドラマ📺では、道綱は明るくてお人好しの癒し系というキャラ設定らしいので、上地雄輔さんに合いそうですね。かつてはおバカキャラも演じていましたし

 ちなみに、先ほど名前の出た顕光や公季も、家柄だけで大臣になった、かなりダメな人たちだったそうです。道長が左大臣(内覧)から摂政になり、陣定(今でいう閣議のような会議)に出なくなるにあたり、右大臣・顕光と内大臣・公季が無能なので、彼らには任せられないとして、大納言たちに代わりにやらせたそうです。当時、大納言は道綱(上地雄輔さん)と実資(秋山竜次さん)で、権大納言は藤原斉信(ただのぶ、はんにゃ金田哲さん)、頼通、藤原公任(きんとう、町田啓太さん)でしたから、この中で有能な実資、斉信、公任あたりに任せたのでしょうね

 そして、父・兼家(段田安則さん)が「わしも三男じゃムキー」と言っているのは、家系図どおりです。
 歴史の本では、右大臣・藤原師輔(もろすけ)の子は、上から、伊尹(これただ又はこれまさ)、兼通(かねみち、顕光の父)、兼家で、その下に為光(この人の娘が、後に花山天皇(本郷奏多さん)に寵愛される忯子(歴史書では「しし」、ドラマ📺では「よしこ」、井上咲楽さん)です。)や公季が出てきます。
 これも、歴史的経緯オタクの私はには面白い話ですが爆笑、実は、藤原氏内の勢力争いというのは、だいたい長男以外が勝ち上がっているのですチュー

 まず、初めて関白になった藤原基経ですが、その長男は、あの右大臣・菅原道真の敵役として有名な左大臣・藤原時平です。道真が失脚した延喜元年(901)は、醍醐天皇の時代で、当時、関白は置かれなかったので、時平は摂政関白になっていません。

(参考記事)


 時平が909年に39歳で亡くなると、30歳の弟・藤原忠平(基経の四男、880年生まれ。)が権中納言となり、家系を継ぎました。よく、時平たちが菅原道真の祟りで倒れた中で、忠平は道真や宇多上皇と親しかったので無事だったとか言われますが、時平の子がまだ若かったのでしょう。忠平は924年に左大臣となり、政権トップとなります。妹の穏子(おんし)は、醍醐天皇の皇后でした。930年、醍醐天皇が崩御すると、穏子の子が8歳で即位し、朱雀天皇となります。天皇が幼いので、忠平が摂政となり、936年には太政大臣となります。この年には、兄・時平の長男で大納言の保忠が亡くなり、忠平から政権を取り戻すチャンスはなくなりました。翌年、朱雀天皇が元服しても忠平は摂政を辞めず、941年には関白となっています。

 朱雀天皇には皇子がなく、946年、24歳の時に弟に譲位しました。新しい村上天皇は21歳。引き続き、忠平が関白でしたが、70歳で亡くなった949年以後は、関白を置きませんでした。
 さて、藤原氏の中心は、兄・時平でなく弟・忠平が継いだわけですが、忠平の子は、上から、実頼(さねより。頼忠の父)、師輔(兼家の父)、師尹(もろただ又はもろまさ)で、忠平の死後は左大臣・実頼(小野宮流)と右大臣・師輔(九条流)の兄弟が政権を担いました。村上天皇の后は、皇后安子(あんし)が師輔の娘、芳子(ほうし)が師尹の娘でした。従姉妹安子が芳子に嫉妬して物を投げつけたムキーというエピソードもありますガーン

 967年、村上天皇は42歳で崩御しました。皇太子だった第二皇子が冷泉天皇となりますが、第一皇子は、どうしたの?びっくり 第一皇子の母は、中納言藤原元方(藤原南家)の娘。第二皇子の母は皇后安子で、右大臣の娘です。この時代、母の血筋は重要でしたから、第二皇子が産まれてから生後2か月か3か月で皇太子になりました(過去にも藤原良房の孫・清和天皇が、3人の兄を差し置いて生後8か月で皇太子になった例がありますグラサン)。元方は、これを嘆いて亡くなり、第一皇子も母も亡くなりました。そして、冷泉天皇は奇行が多く、精神障害や知的障害があったらしいのですが、それは、元方たちの怨霊のせいと言われています。ただ、この冷泉天皇は異常だったという話も、どこまで本当かはわかりません
 ドラマ📺では、皇太子の師貞親王(後の花山天皇)を本郷奏多さんが演じていますが、この人は冷泉天皇の皇子なんです。ドラマ📺では、好色なバカ殿というキャラ設定ですが、歴史の本にも奇行が目立つと書かれていて、🐮牛車の中で女を抱いたとかで、カー○ックスの元祖とか言われているのです
 先ほど、倉本博士の本の中に「三条天皇」という本📘がありましたが、三条天皇も冷泉天皇の皇子で花山天皇の弟です。この人も病気で天皇を辞めさせられたような形で、結局、冷泉天皇とその皇子たちは天皇にはなったものの、結局は冷泉天皇の弟・円融天皇(坂東巳之助さん)とその子孫に皇位を奪われた形です。そうすると、歴史書では、冷泉天皇や花山天皇について「奇行が目立つ異常な人だったから、皇位を奪われた」と言いたくて、実際より大げさに書かれている可能性はあります(歴史は勝者に都合良く書かれる面がありますからえー)。
 
 967年に即位した冷泉天皇は18歳でしたが、病気ということで、久しぶりに関白が置かれることになりました。天皇の祖父は師輔ですが、すでに960年に亡くなっていました
 このため、師輔の兄・実頼が関白となり、太政大臣も兼ねましたが、天皇との姻戚関係がないため、名ばかりの関白(揚名関白)と言われ、軽んじられましたショボーン 力があったのは、師輔の息子達で、天皇の伯父・叔父である伊尹、兼通、兼家です。そして、伊尹の娘・懐子と兼家の娘・超子(詮子の姉)は、いずれも冷泉天皇の后となり、それぞれ花山天皇と三条天皇の母となりました。

 そして、冷泉天皇の皇太子は誰かというと、同じく安子の子である為平親王とその弟の守平親王が候補でしたが、弟の方が皇太子になりましたびっくり 母も同じなのに、なぜ? それは、為平親王の妃が源高明の娘だったため、藤原氏は、高明の力が強まるのを恐れて守平親王を皇太弟に据えました。そして、安和2年(969)には、教科書にも出てくる「安和の変」が起き、源高明が追放されましたガーン もちろん、これは藤原氏の陰謀でしょうグラサン
 さて、この源高明の名前は覚えておいてください。道長は、後に2人の妻を持ちますが、正妻と言われるのが源倫子(ともこ、黒木華さん)で、第3話に登場しましたね。左大臣・源雅信(益岡徹さん)の娘です。もう1人の妻になる源明子(瀧内公美さん)が源高明の娘で、いわば藤原氏の敵の娘なんですびっくり

 そして、安和の変の後、冷泉天皇はわずか2年で退位し、弟の守平親王が11歳で即位しました。これが円融天皇(坂東巳之助さん)です。皇太子は、冷泉天皇の皇子・師貞親王(本郷奏多さん)で、その母は懐子、祖父は伊尹です。つまり、伊尹は、自分の孫を早く天皇にしたかったのでしょうてへぺろ
 引き続き、実頼が摂政になりましたが、翌年に71歳で亡くなり、天皇の伯父・伊尹が摂政となります。しかし、972年、伊尹も49歳で亡くなりました。
 この後、兼通と兼家という2人の弟が激しく「骨肉の争い」を繰り広げますムキー 高校時代、古文の教科書に「大鏡」が載っていたけど、面白かったですよ。

 まず、兼家は、「わしも三男じゃ」と言っていましたが、摂政太政大臣の伊尹が死んだ時、大納言になっていて、権中納言の兄・兼通より上でした。それより上に、実頼の子・頼忠(橋爪淳さん)が右大臣で、左大臣には源兼明(高明の弟)がいましたが、兼明は後に皇族に復帰することになります。
 さて、兼通と兼家のどちらが政権を取るか? 兼通は、妹・安子の遺言を持ち出し、円融天皇に見せます。そこには、「摂政関白は、兄弟の順に」と書いてありますニヤリ 天皇も、母の遺命ということで、兄の兼通を内大臣に引き上げ、後に関白としたと言われています。その兼通も977年、53歳で亡くなります

 ここで大鏡には、面白い話が出てきます

 重病で寝込んでいた兼通は、弟兼家が自邸に向かっていると聞いて、「弟とは色々あったが、自分が危ないと思って見舞いに来てくれるのか」と喜びました。しかし、兼家は、そんなつもりはなく、天皇に「次は私を関白にしてください」と頼みに行くところでしたてへぺろ 弟・兼家が自分をスルーして行ったことを知って、兼通は激怒ムキー 病身を押して最後の人事(除目)を行い、「関白は、従兄弟の左大臣・頼忠に譲る。兼家の右大将は剥奪し、治部卿に降格。」とします。
 このバトルこそ、大河ドラマ📺で見たかったですが、「光る君へ」は、この後、頼忠が関白で兼家が大納言という所から始まっているのです。

 長くなりましたが、つまり、藤原氏の相続争いで最終的な勝者となった道長は三男(実際は五男)、その父兼家も三男、その父師輔は次男、その父・忠平は四男で、弟が勝ち残っていったのです。道長が最終的な勝者になってから、その子孫(御堂流)が摂政関白を独占し、それも長男が継いでいくようになります。

 で、今夜は、もう第4話ですね口笛


 では、久しぶりになりますが、1月8日(月・祝日🎌)に行った東京国立博物館の総合文化展(常設展示)の紹介です。

 それから、この日に見た「博物館に初もうで」企画は、本日で終了しています⚠️



 こちらは、総合文化展。


 これは、前にも見たことあるような気がします。

(右隻)

(鷹🦅を拡大🔎)


(左隻)

(鷹🦅を拡大🔎)


 説明文では、隠し絵のようにウサギ🐇が描かれていると書いてありますねびっくり


 下の方の真ん中に、ウサギ🐇が隠れていましたチュー






 榊原康政は、徳川家康四天王の1人で、昨年の大河ドラマ📺「どうする家康」では、杉野遥亮さんが演じていましたね口笛



 続きます