アザラシ(ゴマちゃん 、しろたん)大好き、ゴマちゃんパパです。


 今夜は、大河ドラマ📺「光る君へ」ですね。
 日本史オタクの私は、藤原一族の権力闘争から院政期、源平合戦(一昨年は、「鎌倉殿の13人」でした口笛)までの流れが好きです。

 先週の第2話から、主役のまひろ(紫式部)も藤原道長も、それぞれ子役から吉高由里子さん、柄本佑さんに変わりましたね。
 で、道長は、仕事中に姉の詮子(歴史の本では「せんし」、役名は「あきこ」、吉田羊さん)に呼ばれて困っていますが、詮子は「だって、道長しか心を許せる人がいないんだもん」、「幼いころから、お前だけは、私の味方だったのに。」と言います。
 この詮子と道長の絆が、後に道長が権力闘争に勝つ要因になっていきますニヤリ

 別の場面で、道長と詮子の父・右大臣藤原兼家(段田安則さん)は、娘詮子に「皇子を連れて実家に帰って来い。一人息子の皇子を人質に取る。」と言います。詮子は、「今、出て行くのは、負け犬のようでいやだから。もう少し考えさせて。」と言います。その後に、先ほどの道長との会話が挟まりますが、詮子にしてみれば、父も兄たち(井浦新さん、玉置玲央さん)も、自分のことを皇子を産む道具としか思っていない、出世や一家の繁栄に利用しているだけという不満があります。夫の円融天皇(坂東巳之助さん)も、詮子の背後に兼家の権力欲を感じるから、愛情を持てないところがあるようです
 それよりも、関白・藤原頼忠(橋爪淳さん、兼家の従兄弟)の娘遵子(じゅんし、のぶこ、中村静香さん)を気に入って、子を産んでいないのに中宮にします。まあ、こちらの后の方が優しくて癒し系だから、天皇も気が安らぐのでしょう。

 そして、詮子は、久しぶりに天皇と合い、「子をなすことは、帝の務め」と言われ、子作りが終わればもう愛情がないことを知ります
 傷ついた詮子は、今週以降、父の言うとおり、皇子を連れて実家に帰るのでしょう。歴史の本を読むと、兼家も皇子を人質に取って仕事をサボるようになり、(ドラマ📺では毒を盛られて体調も悪いし)円融天皇は退位に追い込まれると書かれています。

 さて、ネットでは、初回の詮子を吉田羊さんが演じているのは、年齢的に無理があるのでは?という声もあったそうです。たしかに、道長を柄本佑さんが演じるなら、その姉でよいですが、初回は道長(三郎)が子役でしたから、詮子もまだ15歳くらいでしょうから、たしかに吉田羊さんだと大人すぎるかてへぺろ
 まあ、ドラマ📺では、どの時点を中心に考えるかで、配役は変わりますよね。大河ドラマ📺真田丸の時は、子供の時から堺雅人さんが演じていましたし

 10年以上前の大河ドラマ📺平清盛では、鳥羽天皇の2人の后が登場しました。最初にいたのが、中宮の璋子(たまこ、しょうし、待賢門院)で、檀れいさんが演じていました。璋子が産んだ皇子が、後の崇徳天皇(井浦新さん)と後白河天皇(松田翔太さん)です。井浦新さんは、この時も長男(で最後は弟に全てを持って行かれる)の役だったんですね。で、後から来た若い后が得子(とくし、なりこ、後の美福門院)が松雪泰子さん。年齢的には合わないのですが、美福門院は、後に宮中の権力者として君臨するので、そのイメージで松雪さんにしたのでしょうねてへぺろ


 ところで、皇太子の師貞親王(本郷奏多さん、後の花山天皇)は、檜扇を足で開いたり、女遊びが大好きで、好色なバカ殿というキャラですが、史書にも実際にそう書かれているようです。まあ歴史の敗者(今後、わかるでしょう。)だから悪く書かれているところは、あるでしょうね

 で、面白いのが、秋山竜次さん演じる藤原実資(さねすけ)です。
 蔵人頭ですから、今で言えば、天皇の侍従長と首相官邸の幹部を兼任しているような重要ポストです。実資は、道長の家系でなく、関白・頼忠の甥(後に祖父・実頼(関白)の養子となり、形式的には頼忠の弟になりました。)です。957年生まれだから、966年生まれの道長より9年年上になります。なんと、90歳まで長生きしびっくり、1046年に亡くなります。
 日記「小右記」を残していることで知られますが、相当に優秀な人で、右大将を42年も務め、道長の政権でも長く大納言を務めました。
 ドラマ📺の進行よりかなり先の話になりますが、1021年(道長は1027年没ですが、19年に出家しています。)、左大臣の藤原顕光(道長の従兄弟、ドラマ📺では宮川一朗太さん)が亡くなり、右大臣の藤原公季(きんすえ、兼家の弟)を空席の太政大臣に、関白内大臣の藤原頼通(道長の子、平等院鳳凰堂を建てた人)を関白左大臣に昇進させることになりました。そして、大納言の実資は、ついに右大臣になります。内大臣には、頼通の弟で権大納言の教通(のりみち、後の関白)がなりました。
 それから亡くなるまで25年くらいありますが、87歳まで右大将を務めたそうですびっくり(たぶん右大臣も続けていたのでしょう。) 


 それでは、8日(月・祝日🎌)に、東京国立博物館で「博物館に初もうで」を見た後に、総合文化展(常設展示)を見たので、その紹介です。






























 続きます