さくら、満開ももちろん華やか晴々しく見惚れますが、なぜかより惹かれるのは大雪の如く舞い、一面ピンクの花弁絨毯の時。
去年はそのシャワーを思いきり浴びることができましたが!、今年はタイミングによってか?既に散った後の薄らピンクの絨毯を歩きました@
小川に小さな花びらがさらさら流れるのも奇麗でした♪
夜桜も好きで、先日少しの間ですが観ることができました。
どこか怪しげで艶やか?子どもにしたらお化けが出そうで怖がりそうでもありますが!
むしろお昼にはないそんな表情の美しさに惹かれます。
何日か前ですが熊本の樹齢400年の桜が満開とニュースであり、桜にしたら人の一生って、
うたた寝の間の夢物語だったりして?!とか。。
幼い頃は自分がおばあさんになるなんて気が遠~くなるくらい…先のずっとずっと先と思っていましたが、そうは決して思えなくなりました、年齢にかかわらず、誰でも明日の命はわからないものだと。。
もう20年程前、友人と海外への飛行中窓から豆つぶ位の人々や家々を観て、とっても小さな存在なのだなぁと。
どっちがエライとか、どっちの家が大きいとか、ちっぽけなことだな~とか。
更に高くの天から神様が、人やお家をチェスの如く操って遊んでいるようにも感じたり、、
無限の宇宙に比べたら、ほんの僅かなひとときの人が生きている時間。
昨日コンサートでテルミンのようこさんも同じこと話していましたが生きているわたしたちは、日々を大切にしていきたいと、長寿の桜を観てもまた思います。
茨木のり子さんの詩「さくら」
大切な有限の時間、ムダに争うことなく…精一杯生きたいものですネ*
ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
据えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を
ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と
yozakura