僕らはしばらくボロ小屋にいたけど、結局なんの解決にもならないので、僕の家で作戦を練ることにした。

 僕とヤゴは冷凍庫の奥に母ちゃんが隠しておいたアイスキャンディーを見つけ出し、ベランダから国道を走る車を眺めながら食べた。虫かごの中のクワガタは食いかけのスイカに群がっている。僕らはお互い何を話せばいいのかもわからず、ただ黙々とアイスを食べていた。本当は今頃、僕は自転車を組み立て父ちゃんに三百円もらい、午後にはバナのところでトランペットの練習をしているはずだった。でもなんとしても金を払わず、殴られないですむ方法を考えなくちゃならなかったので、今日の予定は全部変更することにした。

「ねえ、やっぱり素直にお金払ったほうがいいよ、お母さんに言えばなんとかなるからさ」

ヤゴは融けだしたアイスを食べるのに苦労しながらそう言った。

「絶対イヤだ。あいつに金払うくらいなら殴られたほうがまだましだよ」

「僕は嫌だよ、殴られるなんて。あんな太い腕で殴られたら眼鏡は割られるし、顎だって砕けちゃうよ」

「そこまでじゃないよ、あいつはただのデブさ。体はでかいけど、脂肪ばっかりで筋肉なんかあるもんか」

「じゃあカルはあいつとけんかして勝てるの?」

正直そんな自信はなかったし、殴られるのはヤゴと同じで怖かった。でもそんな風に言うのは悔しかったので何も答えなかった。

 僕らは海岸まで行くことにした。海岸ではみんな泳いだり、ビーチボールで遊んだりしていて楽しそうだった。僕とヤゴはテトラポットに座り海を眺めていた。相変わらずお互いにほとんど会話もなく、ただ時間がゆっくり過ぎてくれるのを心の中で祈っていただけだった。しばらくして僕はあの夜のことを思い出しヤゴに話した。

「えっ!大鷲?」

ヤゴは驚いて目を丸くしそう言った。

「うん、すごい大きくて・・このくらい、いやもっとあったな・・」

僕は手を広げてどれだけ大きかったかをヤゴに教えてあげた。

「それで、その大鷲はどうしたの?」

「僕の目をじーと睨みつけて、それからバタバタッて海に向かって飛んでいったよ。」

「海?・・どうして海に向かって飛んだんだろう?」

「うーん・・・どうしてだろう?」

僕らは水平線の向こうに少しの間だけ夢を見ていた。

「おーい!」

そこに釣竿を持ったダッタが現れた。ダッタはランニングに半ズボンをはいていて、漁師のおばさんが被るようなつばが波打った茶色の帽子を被り、自慢の筋肉をむき出しにしていた。

「何やってんだ?」

「いや、別に・・・ダッタは?」

「おれは今夜のおかずを獲りにきただけだ。親父が知り合いの葬式で明日までいないんだ。だから家で食べるくらいの魚はおれが獲らなきゃならないんだ。」

ダッタは僕らより少し海寄りのテトラポットに座って、釣り針に餌をつけ始めた。後ろから見るダッタの筋肉はまた一段とたくましく見えた。そこで僕はいいことを思いついてダッタに相談した。ダッタは“そりゃあおもしろい”とその相談に二つ返事で応じてくれた。

 

シモの家はヤゴが知っていたが、誰も行ったことはなかった。三角屋根の傾斜がやたらと急なシモの家は住宅街の道から少し坂を上がったところにあった。坂の下でヤゴは大きくため息をつくと、それを見たダッタが言った。

「心配するなって、おれにまかせとけよ」

そして三人でその坂道を上がって行くと、そこにはとんでもない光景があった。僕らはそれを見てそれ以上進むのをやめようかとさえ思った。砂利の敷かれたその坂道は黒いものが一面に広がっていた。よく見るとそれは潰されたクワガタの死骸だった。しかも全部で何十匹、いや何百匹もあった。

「なんだよ、これ・・・」

僕らはそれ以上言葉にもできなかった。

「もう頭にきた、なんてことするんだあいつ、絶対許さない!」

僕はクワガタの死骸を避けながら歩きだすと、ダッタが僕の肩を掴んだ。

「待てよ、きっとシモってやつは頭がどうかしてる。カルは手出しするな。おれにまかせとけ」

そう言うとダッタは僕に釣竿を預け、一人シモの家の玄関前に進み、ドアをノックした。するとシモがパンツ一枚で魚肉ソーセージをくわえたまま玄関のドアを開けた。

「誰だお前?・・・うん?」

シモはダッタの後ろに立つ僕とヤゴを見た。僕がヤゴの方に目をやると、ヤゴの足はガタガタと震えていた。

「なんだ、お前らか。年貢は持ってきたんだろうな?」

するとダッタはシモの目線をさえぎるように立ちこう言った。

「押忍!おれはカツアゲ防止協会のダッタです。それで、クワガタ愛護協会のダッタです」

僕はおかしくてふきだしそうになった。

「何言ってんだ?お前」シモはダッタの顔をその太い首をかしげてまじまじと見た。

「クワガタ潰したのはあんたですか?」

「何か悪いことでもしたって言うのか?おれのクワガタだぞ、どうしようが自由だろ!」

「それは自由じゃないです。カツアゲは犯罪です。それと、クワガタはあんたのものじゃないです。クワガタは誰のものでもないです。父ちゃんが言ったので本当です。だからあんたを逮捕します」

「馬鹿野郎!何が逮捕だ。カツアゲなんかしてねえよ、クワガタはおれのだ、お前おれにけんか売ってるのか?」

「いえ、けんかは売りません。けんかを売ったら道場の人に怒られます」

シモは顔を真っ赤にして今にも沸騰しそうだった。

「このお、殴られたいのか!殴られたくなけりゃあ金置いて帰れ!」

「あんたにあげるような金はないです」

「てめえ!」

シモはダッタのランニングをつかもうとした。するとダッタは軽くシモの左手を右手でふりほどき、体を少し引いたと思ったらすばやく左足を軸に回転し、空を切るような鋭さで右足を蹴り上げ、そのつま先はシモの鼻先一センチ手前で止まった。

シモは息をのみ、何も声にすることができなかった。そして持っていた魚肉ソーセージを思わず地面に落とした。

「押忍!もしまたこんなことしたら次は本当に逮捕します。わかったですか?」

ダッタはそう言うと、はいていたスニーカーのつま先でシモの鼻先をくるくると撫でた。

「は、はい・・・」

“すげえ、ブルース・リーみたいだ!”僕は感動して拍手しようかとさえ思った。

 僕とヤゴ、ダッタ、それにシモの四人で黒いジュータンのようなクワガタの死骸を一匹ずつシモが用意した赤い大きな袋に入れた。その中にはオオクワガタやカブトムシも混じっていた。そして僕らはその袋を持ってボロ小屋へ行った。ボロ小屋の近くの、ちょうどタバコ畑の見下ろせる崖の上に穴を掘り、そこに袋を逆さにして全部のクワガタを落とし、土をかけて埋めた。枯れ木を墓標にみたて、ヤゴがそこにオオクワガタの絵を描いた。シモはダッタに促され、ひざまずいて手を合わせた。僕らもその後ろで一緒に手を合わせた。

その間シモ以外の僕ら三人は、にやにやしながらこづき合っていた。墓標の前でダッタにびびりながら手を合わせるシモの、今にもズボンが張り裂けそうなでかい尻がおかしくてしょうがなかったのだ。僕がシモの背後に近づき、七年殺しをやるふりをすると、ヤゴは耐え切れずふきだしてしまった。

 帰り道、僕とヤゴとダッタの三人で自転車をこぎながらシモの悪行がこれでなくなるだろうと話をしていた。

「でも、やっぱりシモはただのデブだったな」と僕が言うと。

「いやそうでもないよ。あんな巨漢に、もしつっぱりでもくらったらおれだって吹っ飛んだよ。あいつは意気地がないだけだ」

僕はシモの相撲取りみたいなチョンマゲ姿を想像し、一人で笑った。