ボロ小屋と呼ばれるその場所のことはみんな知ってはいたけど、行ったことのある人はあまりいなかった。ヤゴがどうしても行きたいと言うので僕も付き合うことにしたが、正直あまり気がのらなかった。その場所へ行くためにはいろいろ手続きがいるのだ。まずは年貢といわれるチョコボール五個とキャラメルコーン三袋に一リットル瓶のコーラが必要だった。これは全部ヤゴが用意した。これを持って僕らより二つ年上のシモという人のところへ行かなくてはならない。このシモはあまり僕らの間ではいい噂がない。体格はかなり太っていて、絶壁の刈り上げ頭がみかん箱みたいに大きかった。同級生からはいじめられていたけど、僕らにはえばりくさっていた。それで何かと言えば“年貢を納めろ!”とうるさいのだ。ボロ小屋のことを知りたければ、必ずこのシモにきかなければならないことになっていた。もし僕らの誰かがボロ小屋のことを他人に教えたりしたら何をされるかわからない。シモは相撲取りみたいな体だったから僕らじゃとても勝ち目がない。どうしてそこまでしてみんなボロ小屋のことを知りたがるのか。それはそこがクワガタがたくさん捕れる伝説の場所だからだ。そしてシモはその辺りでは有名なクワガタ捕りの名人だった。僕もクワガタのことは好きだったけど、育てるのは苦手だったので、二三日スイカを食べさせたり、オス同士戦わせたりしたあとは山に帰した。でもヤゴは昆虫が大好きだったので、クワガタにカブトムシ、蝶にバッタにアリ地獄、どんな昆虫のこともよく知っていた。クワガタは幼虫を捕ってきては、おがくずだらけの水槽の中で成虫に育てていた。そのヤゴでさえボロ小屋がどこにあるかは知らなかった。

僕らはシモがいつも行く小さなゲームセンターに行った。入口から中を覗くと、店の中には十台くらいのゲーム台が置かれていて、シモは手前から二台目でゲームをしていた。その場所は入口からは手元がよく見えるけど、奥の店員からはあまり手元が見えない。

シモは機械が百円玉だと間違えるように、五円玉をかなづちか何かで潰したものでゲームをやっていた。つまりズルと言うか、犯罪だ。シモは持っていたぺしゃんこの五円玉を使いきると、大きな体を左右に揺らしながら店の外に出てきた。僕とヤゴはお互いに背中を小突き合った。言いだしっぺのヤゴは僕に押し出されてシモの前に出て行った。

「うん?なんだお前ら」

「あのぉ・・・」ヤゴはびくついて、シモと目を合わせることができなかった。仕方がないので僕がシモに言った。

「ボロ小屋のことを教えてほしいんです」

「そうか、じゃあ年貢を出せ。」僕とヤゴは持っていたお菓子とジュースを恐る恐るシモに差し出した。

「おぉ」

シモは鼻息を荒くしニヤニヤしながら紙袋の中身を確かめると、その場でコーラの口を開けぐいぐい飲みだした。そして一気に半分くらい飲むと、“ゲェーッ“と炭酸ガスを口から吐き出した。僕はウルトラマンに出てくる海底怪獣を思い出した。

「じゃあ明日の朝四時に、自転車で駅の西口にある銅像の前に来い」

そう言うとシモは停めてあった赤い小さな自転車の籠にお菓子とコーラを入れると、無理やりまたがった。ぼってりとした大きな尻がサドルを隠し、タイヤは空気が抜けているみたいに沈みこんだ。シモは器用にバランスをとりながらまるで酔っぱらってるみたいにヨロヨロと走っていった。僕はおかしくて笑いをこらえるのに必死だったが、ヤゴはまだ体を硬直させたままじっとシモを見送っていた。

 

いくらなんでも四時は早すぎる。東の空もまだ青白くなり始めたばかりで、空にはまだ星がでていた。朝というよりはまだ真夜中だった。僕はシモに言われたとおり自転車に乗った僕は、誰もいない商店街をぬけてから、電車のガード下をくぐり、駅の反対側の銅像に向かって走っていった。するとちょうどヤゴが坂道を降りてきて僕と合流した。

「おはよう」虫かごを肩からさげたヤゴはにこにこと笑っていたけど、僕は眠たさのあまり返事をすることもできず、ただボーと自転車をこいでいた。

銅像の前にシモはまだ来ていなかったので、僕とヤゴは僕の母ちゃんがつくったおにぎりを半分にわって食べた。ヤゴの持ってきた水筒の中には冷たい麦茶が入っていて、僕らは交替にそれを飲んだ。おにぎりを食べおわる頃には辺りもだいぶ明るくなってきて、何人かの人が駅に向かって歩いていた。電車の始発がでた頃、やっとシモが例の小さな自転車に乗って現れた。シモは自転車から降り、リュックから1リットル瓶のコーラを取り出しぐいぐいと三分の一くらい飲み干し、それをまたリュックにしまいこんだ。

「こっちだ」と一言僕らに言うと、シモは再び自転車にまたがりゆっくり走り出した。僕とヤゴもあとを追って走り出した。

しばらく線路沿いに走ったあと、僕らは山へ向かう坂道を上がっていった。僕とヤゴはスイスイと坂を上がっていったが、シモは自転車から降り、肩で息をしながらゆっくりと上がってきた。百メートルも上がらないうちにシモは道端に座り込み、またコーラを飲みだした。そして今度は一気に残りを全部飲んでしまった。シモはいつもの強烈なゲップをだすとヤゴの水筒を指差した。ヤゴは一瞬考えたが、仕方がないといった様子でシモに水筒を差し出した。シモはヤゴの麦茶をカラカラと氷の音をさせながら蓋のコップに注ぐと、それを三回繰り返した。そしてシモはやっと立ち上がり、自転車を押し出した。僕とヤゴもシモに付き合って自転車を押して上がった。少し行くとお地蔵さんが道端にいた。僕らはそのお地蔵さんの横の細い道から林の中へと入っていった。道といってもとても人が歩けるようなところじゃない。木は折れて道に倒れているし、草も膝くらいまで茂っていた。これ以上自転車では入れなくなったので、僕らは自転車を置いて更に奥へと歩いて入っていった。僕はクワガタなんかどうでもいいから、早く帰ってもう一眠りしたいと思っていたが、ヤゴは普段よりも早足で歩いていたし、シモも歩きなれているらしく、あの重そうな体のわりにはスタスタと先へ進んでいった。

しばらく行くと僕らが歩く左手が崖になっていた。そしてその下には見たことのある景色が広がっていた。そこは去年僕と父ちゃんで自転車を届けにきた家のたばこ畑だった。畑にはこんな朝早くだというのに、家族総出で大人の背丈ほどもあるたばこの木から葉をもぎ取っている姿が見えた。たばこの黄色い葉に反射した朝日が僕の目に照り返し、僕は手で顔を覆いながら道を進んで行った。

そこから更に先に進むと、急に開けてなだらかな谷になっていた。そしてそこには何か木で造られたような建物の残骸があった。それはもうどんな建物だったのかも全然わからないくらいにボロボロで、柱は腐り、屋根は潰れ、ガラスも割れて散らばっていた。シモはその場に座り込み、ヤゴの水筒の麦茶を一気に飲み干した。

「ここがボロ小屋だ」そう言うとシモはまた大きなゲップをした。

「何か仕掛けはしてあるの?バナナを置いてあるとか、木に傷をつけて樹液を出しておくとか」ヤゴは真剣な顔でシモにきいた。

「お前馬鹿か?そんなめんどうなことするなら他にもクワガタくらい捕れる場所はいっぱいあるだろう?ここは普通の場所じゃねえんだ。ただその辺の木を蹴ればいいんだよ」

そう言うと、シモは水筒の中に残った氷をボリボリと音をたてて食べだした。

僕とヤゴは近くの木を見上げた。するとどうだろう、そこには何匹ものクワガタが、どの木にも、どの枝にもとまっていた。

「すごい・・・」僕らはあ然としてそれ以上声にもならなかった。早速ヤゴは木の幹を思い切り蹴った。バサッ、バサッとクワガタがくさやぶに落ちる度に音がした。

「あっ、ミヤマだ、こっちはノコだ!」ヤゴははしゃぎまくり、僕も一緒になってクワガタを拾ったり、木を何度も蹴飛ばしたりした。ヤゴは捕まえるたびに一匹一匹をじっくりと観察し、大事そうに虫かごの中にしまった。僕はそんなにたくさんはいらなかったから、一番大きなクワガタを一匹だけ持って帰ろうと思い、拾うごとに見比べて、小さいほうをヤゴの虫かごに入れ、大きなほうはかぶっていた野球帽にしまった。クワガタは僕の帽子の中から逃げ出そうと動き回るのでつむじのあたりがむずがゆかった。ヤゴは十匹くらいはほしいと言っていたが、その目標はたった十分くらいで達成してしまった。ヤゴは虫かごの中からお気に入りのヒラタクワガタを取り出し、僕は一番大きかったミヤマクワガタを帽子から出してボロ小屋の腐った材木の上で戦わせた。最初はお互いに自分のはさみを持ち上げ、威嚇し合っていたが、突然ヤゴのヒラタが僕のミヤマのハサミの付け根辺りをはさみこんだ。ミヤマはよほど痛いのか必死にもがき、それを振りほどこうとした。やっとの思いで僕のミヤマはヤゴのヒラタからの攻撃を逃れるとすぐに反撃にでた。そのうちお互いにはさみ合う形になり、完全に力比べになった。その真剣勝負は一進一退でどちらもなかなかゆずらない見ごたえ十分の戦いになったが,最後は僕のミヤマがヤゴのヒラタを投げ倒して勝負あり。

僕とヤゴは満足したので、そろそろ帰ろうとするとシモが僕らを見て言った。

「もういいのか?」シモは立ち上がり、グルッと辺りの林を見回すと一本の木に目をつけ近づいた。そして重そうな足を持ち上げると、全体重をかけるようにドカンッとその木の幹を蹴った。バサッバサツバサッ・・・それはまるで大粒の雨が降ってきたみたいだった。

シモは重たそうな体でくさやぶをかきわけ、クワガタを拾い集めた。その数二十三匹。さすが名人だと思った。シモはそのクワガタを、まるでゴミでも集めるみたいに無造作に自分のリュックの中に投げ入れた。クワガタを全部リュックにしまい終わると、シモはヤゴの虫かごを覗きこんだ。

「いち、にぃ、さん・・・全部で十一匹でメスが二匹か、お前は一匹だけだな。じゃあオスが百円、メスが五十円だから・・二人でえーと・・・千五十円だな」

「えっ!金とるの?おかしいじゃないか、このクワガタは僕らがとったんだぞ!」

僕は計算が間違っていることに気づいていたけど、頭にきてそれどころじゃなかった。

「この場所を教えてやったのはおれだぞ!さぁ早くだせ」

僕はお金を持ってきてなかったが、ヤゴは財布を出して中身を見た。

「ヤゴ!金なんかだすことないよ。場所を教えてやったって言うけど、お菓子とジュースをあげたじゃないか!」

「三百二十円しかないよ・・。」ヤゴはすまなそうに手のひらの上に小銭を出して見せた。

「しょうがねぇな」

シモはヤゴの手のひらから金をとった。

「残りの、えーと・・・六百七十円は今日の三時までにおれの家まで持って来い。もし持ってこなかったら、お前らぶん殴って、倍のえーと・・・千四百二十円にしてやるからな」

そう言うとシモはリュックを背負い、重たそうな体を揺らしながら帰っていった。

僕は悔しくて、涙がでそうだった。

「なんだよあいつ、あんな簡単な計算もできないくせに・・・ヤゴ!どうして金なんかだしたんだよ」

「だってさ、殴られると思ったんだよ」

「クソー、どうしよう・・・」

僕はその場に座り込んだ。ヤゴは突っ立ったまま、十秒ごとにため息をついていた。