夏休みだというのに、僕の貯金箱には一円玉と五円玉しかはいっていなかった。僕は父ちゃんのタバコのお釣り以外には、特に決まった小遣いをもらっているわけじゃない。だから僕は時々母ちゃんにノートを買うとか、鉛筆を買うとか嘘をついてはお金をもらい、それでお菓子や漫画を買ってくる。もちろん嘘だとばれたら大変だ。さんざん怒られたうえに、一ヶ月間何のお金ももらえない。それが本当にノートや鉛筆を買うとしてもだ。でも一番嫌なのは、お仕置きとして町の最長老シメジばあさんの世話をさせられることだ。シメジばあさんは今年九十九歳だ。来年百歳になれば町から表彰され、新聞やテレビも取材に来るだろうと町内総出での長生き作戦をやっている。 

今年の春、僕は母ちゃんのブラジャーを盗み、いちご農家の畑にある案山子の頭にかぶせて遊んだことがある。へのへのもへじと書かれた顔のどこにでもある案山子の頭にブラジャーをかぶせ、足にパンティーストッキングをはかせて、ほっぺたには赤いマジックでぐるぐる巻きの化粧をした。なかなかかわいく出来上がったその案山子は友達の間では好評だった。ダッタと二人でやったその遊びは僕らの考えた遊びの中でもかなりおもしろい部類にはいる。でもいちご農家のおじさんはそうでもなかったらしく、犯人が僕らだとわかると家まで怒鳴り込んできた。父ちゃんと母ちゃんと僕は何度もそのおじさんに謝ったのに、なかなか許してもらえず、仕方なく自転車を一台ただでそのおじさんにあげることになった。このときはさすがに僕も反省した。だってあの自転車は家の店の中でも三番目に値段が高いものだったのだ。これで僕は今月無一文だ。そう思いながら母ちゃんに怒鳴られていたけど、僕の不幸はここから始まった。

シメジばあさんは耳が遠く、体も不自由で思うようには動かない、家族は遠くに住んでいるので一人暮らし、そこで町内の人が順番に毎日めんどうを見にいっている。ちょうど案山子のいたずらがバレた時、僕の家に順番がまわってきた。

土曜日の午後、学校が終わってから僕は母ちゃんに米と野菜に魚、それとお茶の葉を持たされシメジばあさんのところに行った。シメジばあさんの家の玄関を開け、“こんにちは”とあいさつをしたけど誰も出てこない。何度言っても何の反応もないので荷物を置いて帰ろうかと思ったその時“ガターン”と大きな音がした。僕は家の中に入りトイレらしきドアを開けた。するとばあさんは尻を半分出したまま便器の横に倒れていた。大変だと思い、僕は起き上がらせようとシメジばあさんの両脇に手をかけた。

「何するんだい、あんた!どこのどいつだい!」

「僕はそこの自転車屋の息子で・・・」

「あぁっ?何言ってんだいこの子は、あたしはね耳が遠いから・・なんだよあんた痛いよ!」

僕はばあさんが思ったより重いので、引きずるようにトイレから連れ出し、居間まで連れていった。その間もばあさんは僕に文句ばっかり言っていた。尻を半分出したまま。

やっと尻を隠してちゃぶ台の前に座らせると、シメジばあさんは僕にお茶を入れてくれと言った。僕は今までお茶なんて一度か二度くらいしかいれたことがなかったけど、なんとかやってみた。

「ぷっ、ニガッ!なんだいこれは、あたしはお茶をいれろと言ったんだよ。これじゃああんたの胃液飲まされてるみたいだよ!」僕はもうその時から嫌になってきていた。それから掃除をやらされ、洗濯もさせられた。掃除はまずハタキから作らされた。ぼろぼろになったハタキの先っぽの部分をはさみで切り落とし、使い古しのパンティーストッキングを二十センチくらいに切ったものを棒の先っぽに巻きつけ、それをシメジばあさんの古くなった浴衣を切り刻んで作った紐で巻いて縛る。その間も僕は“仕事が遅い”“本当にあんたは不器用だ”と何度もばあさんに怒鳴られた。それからそのハタキで部屋の埃を落とすわけだけど、それだってシメジばあさんは何かと気に入らないらしく、僕が箪笥の上からパタパタとハタキをかけ始めると。

「掃除っていうのはね、上から順にやってくもんだよ。ほらそこの天井にくもの巣が張ってるだろう。まずはそいつから取るんだよ」って感じで、とにかく注文が多い。

洗濯は一応洗濯機があったから楽だったけど、シメジばあさんの真っ赤な腰巻を干している自分の姿が鏡に映ると、なんだか情けない気持ちになった。でも問題は食事だ。僕の作れる料理といえば、ご飯を炊くこと、あとは卵焼きにチキンラーメン。その日のメニューはシメジばあさんに言われるがまま、お粥にじゃが芋の味噌汁、ほうれん草のおひたしにいわしの煮付けに決まった。当然僕がそんなものつくれるはずがない。そこで僕はヤゴに電話をした。三十分ほどでヤゴは姉ちゃんを連れて来てくれた。たまたまその日、ヤゴの両親はPTAの集まりがあるとかで、もともとヤゴの姉ちゃんが晩御飯を作ってヤゴと二人で食べることになっていた。ヤゴの姉ちゃんは料理が得意で手際よく四人分の料理を作ると、ばあさんの明日の朝飯まで作ってしまった。その間僕はヤゴの姉ちゃんのエプロン姿にちょっとドキドキしながら、それを悟られまいとヤゴの話す電車の型番の話や、何線の車両がかっこいいとか、そんな話を聞いてるふりをしていた。何故かシメジばあさんは、ヤゴとヤゴの姉ちゃんには文句一つ言わなかった。僕はそうとう嫌われているらしい。

四人でちゃぶ台の前に座りワイワイ話をしながら食事をした。シメジばあさんは耳が遠いから、僕らが何の話をしているかはほとんどわからなかったみたいだ。それをいいことに僕はさっきシメジばあさんが尻を半分出したまま僕にトイレから救出された話をした。僕とヤゴは大きな声で笑っていたけど、ヤゴの姉ちゃんはシメジばあさんに悪いと思ったらしく、最初は必死に笑いをこらえていた。それでも僕はなんとかヤゴの姉ちゃんを笑わせようと大げさなジェスチャーをしながら話すと、我慢できずに大きな声で笑った。しかも我慢していたせいか、涙まで流していた。僕はすごいうれしかった。ヤゴの姉ちゃんのはにかむような笑顔もいいけど、楽しそうに笑う姿はもっときれいだった。するとシメジばあさんが突然箸を置いた。まずいバレたかな?僕ら三人はちょっとばつが悪い顔をしながらばあさんのほうを見た。ばあさんは僕ら一人一人の顔をながめるとポツリと言った。

「なつかしいね。本当になつかしい・・・」

 帰り際シメジばあさんは最初とはうって変わって、穏やかな顔をしながら僕ら一人一人に礼を言ってくれたうえに饅頭までくれた。実は結構いい人なのかもしれない。だけど僕はあんこが嫌いなのであとで全部ヤゴにあげた。何かすごくいいことをした気分だった。だけど、やっぱりこのお仕置きはもう二度とやりたくない。

 

せっかくの夏休みだ。僕はなんとか小遣いをもらおうと、父ちゃんに相談したが、父ちゃんは店の前でタイヤのパンクを直しながら、タバコに火をつけてこう言った。

「うーん、そうだな・・・。俺は少しくらいお前に小遣いやってもいいんだけど・・母ちゃんが何て言うかなぁ」

「だめだよ、母ちゃんに言ったら」

「そういうわけにもいかないだろう。足りないか?タバコ代の釣りじゃ」

「うん」

「そうだよな・・・。よし、じゃあお前仕事しろ」

「えっ、仕事?」

「あぁ、自転車の組み立てだ。工場からくる自転車はみんな部品がバラバラだ。タイヤにハンドル、スポークにサドルにペダル、それからチェーン、あとブレーキや変則切り替えのワイヤーも付いてない。それを組み立てて店に出す。子供用なら百円、大人の婦人用で二百円、サイクリング車なら三百円、ただし夏休み中だけだ。どうだ、乗るか?」

「乗った!」

というわけで、僕はその日から自転車の組み立てに精をだした。でも自転車なんてせいぜい週に三四台も売れればいい方で、パンク修理なら一日に十人くらいは来るからその方がお金になりそうなので父ちゃんに相談すると、パンクなら一台三十円しかくれないと言うのでやめた。店では一台五百円もとってるのに、ひどい話だ。その日は組み立ての終わっていない自転車は子供用、つまり補助輪のついた十インチくらいのが一台だけしかなかった。父ちゃんに言われた通りやってみると思ったより簡単で、一時間ほどで完成した。つまりその日の仕事はそれで終わり。収入はたったの百円。やっぱりパンク修理のほうがよかったかもしれない。

 それでもないよりはましだ。その日の午後バナのところでトランペットの練習をしたあと、父ちゃんからもらった百円でアイスキャンディー二本を買い、バナのビルの屋上で食べた。トランペットの音はその日もでなかったけど、初めて自分で稼いだお金で買ったアイスの味はいつもよりずっとおいしく感じた。