タコさんの庭

タコさんの庭

ビートルズの歌詞和訳に挑戦

"Julia"

Writers : credited Lennon-McCartney (by John Lennon )

Artist :  The Beatles

Recorded : 1968/10/13 EMI Studios

Released : 

1968/11/22(UK), 25(US)「The Beatles」A面6曲目

1996/10/26「The Beatles Anthology 3」 (Take2) 

2006/11/20「Love」

2018/09/11「The Beatles 」Special Edition 

          (2018 Mix)

          (Esher Demo)

            (Two Rehearsals)

         

 

同日、和訳変更あり

      <歌詞和訳>"Julia" 邦題 "ジュリア"

[Intro]

Half of what I say is meaningless

But I say it just to reach you, Julia

    僕の言うことの半分は 意味がない

    でも 僕はあなたに届けるためだけに言葉にする ジュリア

 

[Verse 1]

Julia, Julia

Ocean child calls me

So I sing a song of love, Julia

    ジュリア ジュリア

    海の子 大洋の子が僕を呼ぶ

    だから 僕は愛の歌を歌うよ ジュリア

 

[Verse 2]

Julia, seashell eyes

Windy smile calls me

So I sing a song of love, Julia

    ジュリア 貝殻の瞳

    風の微笑みが 僕を呼ぶ

    だから 僕は愛の歌を歌うよ ジュリア

    

[Bridge]

Her hair of floating sky is shimmering

Glimmering in the sun

    漂よう空を 彼女の髪が

    太陽に 反射してちらちら輝いている

   

[Verse 3]

Julia, Julia

Morning moon, touch me

So I sing a song of love, Julia

    ジュリア ジュリア

    朝の月 僕に触れてくれ

    だから 僕は愛の歌を歌うよ ジュリア

 

[Intro Variant]

When I cannot sing my heart

I can only speak my mind, Julia

    自分の気持ちを歌えなくても

    僕は 自分の考えを話すことだけはできる ジュリア

 

[Verse 4]

Julia, sleeping sand

Silent cloud, touch me

So I sing a song of love, Julia

    ジュリア 眠っている砂

    話さない雲 僕に触れてくれ

    だから 僕は愛の歌を歌うよ ジュリア

 

[Verse 5]

Hmm hmm hmm

Calls me

So I sing a song of love for Julia

    Hmm hmm hmm

    僕を呼ぶ

    だから 僕はジュリアのために愛の歌を歌うよ

 

[Outro]

Julia, Julia

    ジュリア ジュリア

 

 

??????

ジョン一人だけで、レコーディングしたそうです。

「the complete BEATLES Chronicle Vol.2 1965-1964」370ページ

マーク・ルイソン著 ビートルズ・シネ・クラブ監修・翻訳

 

ジョンひとりで"Julia"を録音
10月13日(日)
EMIスタジオ、第2.スタジオ
London

いよいよしめきりが近づき、2月11日に "Hey Bulldog"を録音して以来の日曜セッションが行なわれる。アルバムのための最後のレコーディングとなる32曲目は、胸をうつようなジョンのバラード "Julia"だった。ビートルズの作品のなかでは、唯一のジョンのソロ・レコーディングとなる。アコースティック・ギターを弾きながら、ボーカルを2テイク録音した。
午後7時から午前6時までのセッションの最後にはミキシング作業が行なわれ、"Julia", "Dear Prudence", "Blackbird"のモノおよびステレオ・ミックス、また、"Wild Honey Pie", "Back In The U.S.S.R." のステレオ・ミックスが作られた。

 

「ジョン・レノン&オノ・ヨーコ プレイボーイ・インタビュー1980完全版」

デヴィッド・シェフ著 山川真理訳 331ページ

 

――〈ジュリア〉

 

ジョン : それはぼくだ。


――ジュリアというのは誰ですか。

ジョン : ジュリアはぼくの母親だ。でもこれはヨーコと母親のイメージを重ねて一つにした合成のようなものだ。曲はインドで書いた。《ホワイト・アルバム》に入ってる。《ホワイト・アルバム》の曲はみんなインドで書いた。そのあいだにぼくらがマハリシに金をあげてたって噂があるけど、それはまったくの嘘だ。ぼくらはマントラをもらって唱え、山が見えるところで瞑想し、質素なヴェジタリアンの食事をして、曲を書いていた。インドでは山ほど曲を書いたよ。

 

BEATLES BIBLE より

 

Julia was my mother. But it was sort of a combination of Yoko and my mother blended into one. That was written in India. 

 

ジュリアは僕の母親だ。だけど、それはヨーコと僕の母親をひとつにブレンドして2で割ったような人だった。それはインドで書かれた。

情報提供元(著作権者)英辞郎

combination of : 《~ A and B》AとBを足して2で割ったような人

 

[Intro]

Half of what I say is meaningless

But I say it just to reach you, Julia

    僕の言うことの半分は 意味がない

    でも あなたに届けるためだけに言葉にする ジュリア

 

「完全版 ビートルズ全曲歌詞集」 スティーヴ・ターナー著 藤本国彦 日本語版監修 富原まさ江訳 251ページ

 

歌詞の最初の2行は レバノン出身の神秘主義者ハリール・ジブラーンの箴言集 Sand and Foam (1927年初版) から引用された。ジブラーンはこう書いている。「私の話すことの半分は無意味だ。だがあとの半分が届くようにと思いながら話している」。

 

↑のサイトは、ジョンも見たかもしれないハリール・ジブラーンさんが書いた『Sand and Foamの本を、手に取るような感覚で読むことができます。

↓14ページの真ん中に、それはありました。

Half of what I say is meaningless ; but I say it so that the oter half may rech you

「僕の言うことの半分は 意味がない。でも残りの半分は君に届くかもしれないので僕はそれを言葉にする」
 

これを、ジョンは後半の部分だけ変えたのですね。

「Half of what I say is meaningless. But I say it just to reach you, Julia

「僕の言うことの半分は意味がない。でも僕はあなたに届けるためだけに言葉にする ジュリア

 

 

[Verse 1]

Julia, Julia

Ocean child calls me

So I sing a song of love, Julia

    ジュリア ジュリア

    海の子 大洋の子が僕を呼ぶ

    だから 僕は愛の歌を歌う ジュリア

 

「完全版 ビートルズ全曲歌詞集」 スティーヴ・ターナー著 藤本国彦 日本語版監修 富原まさ江訳 251ページ

 

 ジョンの詞には、10代で母親を失くしたことで負った心の傷の影響が多く見られる。 「ジュリア」は、ビートルズの曲でははじめて彼がストレートに母親のことを歌った作品だ。 ジュリア・スタンリーは1914年にリヴァプールで生まれ、1938年にアルフレッド・レノンと結婚する。ふたりの子どもはジョンひとりだけだ。ジョンが5歳になるころ、ジュリアはほかの男の子どもを産み、ジョンはジュリアの姉ミミの家に預けられた。彼の母親は魅力的で奔放な女性だった。ジョンのユーモアのセンスや音楽への興味は母親から受け継いだのだろう。ジョンは母親にバンジョーの弾き方を習い、またエルヴィス・プレスリーも彼女から聴かされたのが最初だと言われている。
 1958年7月、ジュリアが交通事故死する。ちょうどまた、ふたりのあいだに交流が生まれ始めていたときだ。ジョンはブロムフィールド通りのジュリアの家を、クオリーメンの練習に使うようになっていた。家で騒々しい音楽を演奏するのを、伯母のミミが好まなかったからだ。「ジョンはひどいショックを受けた」とジョンの幼なじみのナイジェル・ウォーリーは語る。彼は事故の目撃者でもあった。「外ではいつも強がっていたけど、本当は母親を愛していてよく一緒に過ごしていたよ。人には見せたがらなかったけどね。外ではタフな男を演じていたんだ。それでも、あのときは打ちのめされていたよ。 父親が出ていって、伯父のジョージも死んで、今度は母親だ。次はどうなるんだろうって。運が悪いよな。僕やアイヴァン・ヴォーンやほかの友達には両親がいる、安定した家庭があった。そういうものがない環境で育ったことは、ジョンに少なからず影響を与えていたはずだ」

 「ジュリア」は母親に向けた曲だが、新しい恋人ヨーコへの暗号めいたメッセージでもある。ジョンはヨーコを好んで「mother (母さん)」と呼んだ。歌詞に「ocean child」 が僕を呼ぶ、とあるが、これはヨーコのことで間違いない。ヨーコという名は「大洋の子(child of the ocean)」 の意味を持つからだ。

 

同じハリール・ジブラーンさんが書いた本で『THE PROPHET』という本に、

以下のラインがありました。偶然かもしれませんが、ちょっと似ていました。

The sea that calls all things unto her calls me, and I must embark.

(万物を呼び寄せる海が僕までも呼ぶ。だから僕は乗り出さなければならない。)

 

↓8ページ、下から8行目です。

 

私の誇大妄想。

ジョンは、17歳の時に交通事故で死んだ『ジュリアの死』をずっと認めることができなくて、

いつしか、「mind」の中には、ジュリアが棲みついてたのだと思う。

母ジュリアのことを考えてしまう、この感情が何なのか、ずっと悩んでいたんだと思う。

ジュリアへの想いを歌にしたと思える曲が、1965年12月3日リリースのアルバム「Rubber Soul」までは、何曲かありました。

でも、1966年8月5日リリースのアルバム「Revolver」以降、

ジョンが作った、誰かへの愛の歌はないような気がします。

1967年7月7日リリースのシングル"All You Need Is Love" は、「love」が歌詞に出てきますが、ジョンは自分に「君に必要なのは愛だけ」と歌っているのだと思います??

そんなジョンが、1968年やっと、"Julia"で「愛の歌を歌うよ」と言えるようになったのだと思います。

BEATLES BIBLE より

 

As an exorcism of years of hurt and regret at losing her, ‘Julia’ marked the point at which Lennon laid bare his soul after years of writing allusions to mother/lover figures. The song implies that he has, in Yoko Ono, finally found a love to equal his mother’s, and was thereafter free to lay his soul bare to his new muse.

 

彼女を失ったことによる長年の傷と後悔を払いのける「ジュリア」は、母親や恋人を暗示する曲を何年も書いてきたレノンが、ようやく自分の心をさらけ出した瞬間だった。この曲は、彼がオノ・ヨーコにようやく母親に匹敵する愛を見つけ、その後は新しいミューズに自分の心をさらけ出す自由を得たことを暗示している。

 

Google Translate による翻訳

 

 

[Verse 2]

Julia, seashell eyes

Windy smile calls me

So I sing a song of love, Julia

    ジュリア 貝殻の瞳

    風の微笑みが 僕を呼ぶ

    だから 僕は愛の歌を歌うよ ジュリア

 

seashell eyes / Windy smile」の歌詞は、

インドで超越瞑想を一緒に学んでいたスコットランドのミュージシャン、ドノヴァンが手伝ったそうです。

 

Wikipediaより

 

Composition

構成

 

"Julia" was written by John Lennon (credited to Lennon–McCartney) in the key of D major and features Lennon on vocals and acoustic guitar. It was written during the Beatles' 1968 visit to Rishikesh in northern India, where they were studying under the Maharishi Mahesh Yogi. It was here that Lennon learned the song's finger-picking guitar style (known as 'Travis-picking') from the Scottish musician Donovan. Donovan later explained:

 

「ジュリア」はジョン・レノン(ジョン・レノン=マッカートニーのクレジット)によってニ長調で書かれ、ボーカルとアコースティック・ギターでジョン・レノンがフィーチャーされています。この曲は、ビートルズが 1968 年にインド北部のリシケシを訪問し、そこでマハリシ・マヘシュ・ヨーギのもとで学んでいた際に書かれたものです。ここでレノンはスコットランドのミュージシャン、ドノヴァンからこの曲のフィンガーピッキングギタースタイル(「トラヴィスピッキング」として知られる)を学びました。ドノヴァンは後に次のように説明した。

 

He [Lennon] told me he wanted to write a song about his mother. He said, "Donovan, you're the king of children's songs. Can you help me? ... I want to write a song about the childhood that I never really had with my mother." He asked me to help him with the images that he could use in lyrics for a song about this subject. So I said, "Well, when you think of the song, where do you imagine yourself?" And John said, "I'm at a beach and I'm holding hands with my mother and we're walking together." And I helped him with a couple of lines, "Seashell eyes / windy smile" – for the Lewis Carroll, Alice in Wonderland feel that John loved so much.

 

彼(レノン)は、母親についての曲を書きたいと僕に言いました。彼はこう言った、「ドノヴァン、君は子供の歌の王様だ。手伝ってくれないか?...僕は母親と一緒にまったく過ごしたことのない子供時代についての曲を書きたいんだ。」彼は、この主題についての曲の歌詞に使えるイメージを手伝ってほしいと僕に頼みました。そこで僕はこう言いました、「この曲について考えるとき、君はどこをイメージする?」そしてジョンは、「僕は浜辺にいる。そして母親と手をつないでいる。そして僕たちは一緒に歩いている。」と言いました。だから、僕は2行の歌詞を手伝ったんだ。"Seashell eyes / windy smile"。ジョンが大好きだったルイス・キャロル、不思議の国のアリスの感じを出すためにね。

 

ジョンは、子供の時に母ジュリアと一緒に歩きたかったのですねタラー

それが "Julia" という曲のイメージなんですね。

 

 

[Bridge]

Her hair of floating sky is shimmering

glimmering in the sun

    漂よう空を 彼女の髪が

    太陽に 反射してちらちら輝いている

 

floating」が「sky」にかかっているのか、「hair」にかかっているのか迷いましたが

「sky」にかかっていると考えました。

 

 

shimmering」と「glimmering」について勉強しました。

 

shimmer

- 揺れやちらつきの効果で輝いたり光ったりする柔らかいまたは穏やかな光を説明します。 

- 柔らかくまたは微妙な輝きまたは輝きを作り出す方法で光を反射する表面を指します。 

- 絶えず変化または変動しているように見える品質または特性について話す。

 

glimmer

- 断続的にちらつくまたは照らすかすかなまたは薄暗い光を指します。 

- 希望、可能性、または約束の小さなまたは弱い兆候を説明する。 

- 感情や感情など、何かのわずかなまたは微妙な兆候について話す。

 

この二つの単語の似ている意味

1. どちらの言葉も、光や輝きの種類を表しています。

2. どちらの単語も、微妙またはかすかなものを説明するために使用できます。

3. どちらの単語も、絶えず変化または変動しているものを説明するために使用できます。

情報提供元(著作権者)Weblio

shimmer : ちらちら光る、かすかに光る、揺らめく

glimmer : (ちらちらと揺れて見える弱い)かすかな光、微光、かすかな現われ、気配(けはい)、(…の)おぼろげな理解

 

勉強しても、「shimmering/glimmering」の訳に迷いました。悩みました。

「in the sun」は「shimmering」と「glimmering」の両方にかかっている訳にしました。

意訳かもしれません。

「Her hair of floating sky is shimmering / glimmering in the sun」

(漂よう空を 彼女の髪が 太陽に反射して ちらちらと輝いている)

 

 

 

[Intro Variant]

When I cannot sing my heart

I can only speak my mind, Julia

    自分の気持ちを歌えなくても

    僕は 自分の考えを話すことだけはできる ジュリア

 
BEATLES BIBLE より

 

Lennon also adapted the lines “When I cannot sing my heart, I can only speak my mind” from Gibran’s “When life does not find a singer to sing her heart she produces a philosopher to speak her mind”. 

 

レノンはまた「When I cannot sing my heart, I can only speak my mind」という歌詞もギブランの詩から引用した。「When life does not find a singer to sing her heart she produces a philosopher to speak her mind

↑のサイトの、15ページ1行目に、そのラインはありました。

 

「When life does not find a singer to sing her heart she produces a philosopher to speak her mind

(人生で彼女のheartを歌ってくれる歌手が見つからないとき、彼女は自分のmindを語ってくれる哲学者を生み出す)

 

「mind」の訳には、いつも悩みます。

「heart」と「mind」の違いを勉強しました。

「mind」も「heart」も、日本語の「心」として使われることがよくあります。

両者の違いは「mind」は頭脳を使い、「heart」は感情を使うところにあります。

 

"Julia" で、

ジョンは「ジュリアを愛している」とか「ヨーコを愛している」とか、自分の感情(heart)を

ひとつも歌っていません。「僕は愛の歌を歌う」と言っているだけです。

 

なので、「heart」を「気持ち」、「mind」を「考え」で訳すことにしました。

When I cannot sing my heart

I can only speak my mind, Julia

    自分の気持ちを歌えなくても

    僕は 自分の考えを話すことだけはできる ジュリア

 

heart」を歌えないと思ったジョン。

それは、妻シンシアへの優しさでしょうか。それとも、うしろめたさでしょうか??

 

 

[Verse 4]

Julia, sleeping sand

Silent cloud, touch me

So I sing a song of love, Julia

    ジュリア 眠っている砂

    話さない雲 僕に触れてくれ

    だから 僕は愛の歌を歌うよ ジュリア

 

洋子さんは、インドにいるジョンに手紙を書いていました。

「A HARD DAY’S WRITE」スティーブ・ターナー著 洋書 163ページより

 

「I am a cloud, watch for me in the sky.」

 

[Verse 3]

Julia, Julia

Morning moon, touch me

So I sing a song of love, Julia

    ジュリア ジュリア

    朝の月 僕に触れてくれ

    だから 僕は愛の歌を歌うよ ジュリア

 

妄想です。

洋子さんからインドにいるジョンに宛てて、

[Verse 4] の「cloud」のように、「moon」というワードが入っている手紙が届いたのだと思いました??

 

 

[Verse 5]

Hmm hmm hmm

Calls me

So I sing a song of love for Julia

    Hmm hmm hmm

    僕を呼ぶ

    だから 僕はジュリアのために愛の歌を歌うよ

 

「完全版 ビートルズ全曲歌詞集」 スティーヴ・ターナー著 藤本国彦 日本語版監修 富原まさ江訳 251ページ

ドノヴァンの言葉です。

ジョンは母親に対する感情を解放したんだろう。《ジュリア》を作ったことで、わだかまりを手放すことができたんだ。

 

妄想です。

洋子さんは、インドにいるジョンへ「愛している」と言う言葉はいっさい使わず、

「私は雲よ」とか「私は~よ」という手紙を送ったのだと思いました。

その手紙で、ジョンはインドの自然の中、洋子さんが自分のそばにいてくれるのを感じた。

ジョンは自分の新しい愛に気が付いて、隠していた気持ちが解放された。

そして、その感情を自分のマインドの中にいる母ジュリアに報告しているのだと思いました。

「僕は、これからは愛の歌を歌おうと思う」

 

 

誇大妄想です。

「母さん、僕はヨーコへの愛に気がついた。僕はずっとあなたのことが好きだったよ。」??

 

 

「完全版 ビートルズ全曲歌詞集」

「完全版 ビートルズ全曲歌詞集」 スティーヴ・ターナー著 藤本国彦 日本語版監修 富原まさ江訳 251ページ

 

JULIA (ジュリア)

 ジョンの詞には、10代で母親を失くしたことで負った心の傷の影響が多く見られる。 「ジュリア」は、ビートルズの曲でははじめて彼がストレートに母親のことを歌った作品だ。 ジュリア・スタンリーは1914年にリヴァプールで生まれ、1938年にアルフレッド・レノンと結婚する。ふたりの子どもはジョンひとりだけだ。ジョンが5歳になるころ、ジュリアはほかの男の子どもを産み、ジョンはジュリアの姉ミミの家に預けられた。彼の母親は魅力的で奔放な女性だった。ジョンのユーモアのセンスや音楽への興味は母親から受け継いだのだろう。ジョンは母親にバンジョーの弾き方を習い、またエルヴィス・プレスリーも彼女から聴かされたのが最初だと言われている。
 1958年7月、ジュリアが交通事故死する。ちょうどまた、ふたりのあいだに交流が生まれ始めていたときだ。ジョンはブロムフィールド通りのジュリアの家を、クオリーメンの練習に使うようになっていた。家で騒々しい音楽を演奏するのを、伯母のミミが好まなかったからだ。「ジョンはひどいショックを受けた」とジョンの幼なじみのナイジェ ル・ウォーリーは語る。彼は事故の目撃者でもあった。「外ではいつも強がっていたけど、本当は母親を愛していてよく一緒に過ごしていたよ。人には見せたがらなかったけどね。外ではタフな男を演じていたんだ。それでも、あのときは打ちのめされていたよ。 父親が出ていって、伯父のジョージも死んで、今度は母親だ。次はどうなるんだろうって。運が悪いよな。僕やアイヴァン・ヴォーンやほかの友達には両親がいる、安定した家庭があった。そういうものがない環境で育ったことは、ジョンに少なからず影響を与えていたはずだ」

 「ジュリア」は母親に向けた曲だが、新しい恋人ヨーコへの暗号めいたメッセージでもある。ジョンはヨーコを好んで「mother (母さん)」と呼んだ。歌詞に「ocean child」 が僕を呼ぶ、とあるが、これはヨーコのことで間違いない。ヨーコという名は「大洋の子(child of the ocean)」 の意味を持つからだ。「ヨーコが僕に手紙を寄こし始めたのはインドにいたときだ」とジョンは語っている。「《私は雲。会いたいときは空を見上げて》みたいな文章を書いてきた。わくわくしながら読んだものさ」

 歌詞の最初の2行は レバノン出身の神秘主義者ハリール・ジブラーンの箴言集 Sand and Foam (1927年初版) から引用された。ジブラーンはこう書いている。「私の話すことの半分は無意味だ。だがあとの半分が届くようにと思いながら話している」。ジョンによると、残りは帰国後にヨーコ本人に手伝ってもらって完成させたという。芸術家、映画監督であるとともに、ヨーコはミニマリズムの詩人でもあった。
 「ジュリア」のギターはドノヴァンの奏法に影響を受けている。「なかでもジョンはとくにフィンガーピッキングに興味を持った」とドノヴァンは当時を回想する。「パターンをいくつか教えてほしいというので、いいよと答えた。彼はとても熱心で、複雑なパターンをたった数日でマスターしたよ。たいていのソングライターは、新しい演奏スタイルを学ぶと曲作りも変わってくるんだ。インドで深く瞑想するうちに、ジョンは母親に対する感情を解放したんだろう。《ジュリア》を作ったことで、わだかまりを手放すことができたんだ。 新しく覚えたフィンガーピッキングで作った曲でね。《ジュリア》をギターで弾いてみたとき、曲の雰囲気が自分の曲にそっくりなので驚いたよ。とてもレノンの曲とは思えなかった」

 

アルバム「The Beatles」通称「ホワイトアルバム」が訳し終わりました。

ビートルズが個々にインドから帰ってきて、

最初にEMIスタジオでレコーディングしたのは "レボーリューション"。1968年5月30日

それから5か月弱。

1968年10月13日、"Julia" のレコーディングを終えて、

アルバム「The Beatles」に収録する曲が、やっと全部そろいました。

1968年11月22日(UK)リリースです。

 

その間に、色々なことが起こりました。

自分たちの会社、アップル社を設立しました。

ジョンは洋子さんと結ばれ、シンシアとは離婚調停中です。

ジョンは洋子さんとの活動を始めました。

ジョージは、映画『ワンダーウォール』の音楽を担当し、1968年11月にはサウンドトラック「ワンダーウォールミュージック」を発売しました。

ポールはジェーンと婚約を解消し、リンダと交際を始めました。

リンゴが一時「ザ・ビートルズ」を抜けるということが起こりました。

リンゴは3歳と1歳の男の子のお父さんです。

 

洋子さんがレコーディングに参加したり、個々にレコーディングしたり…

4人が一緒にレコーディングしていた頃とは、すっかり変わりました。

 

ハーモニーが聞けないことを寂しいと思うのか、それとも個々の成長として認めるべきなのか…

歴史を知っているのに悩みます。

当の4人は、さぞかし困惑したことでしょう。

 

そんな状況に、ポールが思いついた企画が、翌年1969年1月2日から始まります。

通い合宿状態で4人で新曲を作り、原点に戻ってライブ・パフォーマンスをしたいというのが、ポールの考えだったようです。マイケル・リンゼィ・ホッグ監督のもと、撮影も行われました。

そしてその映像が、52年経った2021年11月に、

映画『ザ・ビートルズ:Get Back』となって、ディズニープラスで全世界に配信されました。

(私は、その映画で「ザ・ビートルズ」を知り、ファンになりました。遅咲きです。でも新曲 "Now And Then" を、待ちわびる気持ちを味わうことができましたラブラブ)

 

その1969年1月に歌われた曲 ("Across The Universe"は除く)は、

1969年5月30日リリースのシングル"Old Brown Shoe" や

1969年9月26日リリースのアルバム「Abbey Road」や、

1970年5月8日リリースのアルバム「Let It Be」や、

解散してからのそれぞれの「ソロアルバム」に収録されました。

 

アルバム「Let It Be」は、最初に訳し終えています。

次回、訳すのは"Old Brown Shoe"です。

 

 

辞書

情報提供元(著作権者)Webliogoo辞書

say : (…と)言う、言う、話す、述べる、言われている、(…と)書いてある、出ている、示す、さす、表わしている

meaningless : 意味のない、無意味な、つまらない

say覚え方 : ある内容を(口頭であるいは文字で)言う

     「音を出す」のspeak, 

     「言葉を通してのやりとりをする」のtalk, 

     「内容を誰かに伝える」のtellに対して,

      sayは「何かを言う」ということに焦点が置かれる

reach : 到着する、着く、届く、達する、入る、(…に)及ぶ、(…に)広がる、わたる、及ぶ、出す

seashell : 貝、貝殻

windy : 風のような,激しい
float : (水上に)浮く、浮かぶ、(空中に)浮かぶ、(中空に)かかる、(水上・空中を)浮動する、漂う、広がる、流布する、(あてもなく)転々とする、流浪する

heart : 心臓、胸、(感情、特に優しい心・人情が宿ると考えられる)心、(知・意と区別して)心、心情、気持ち、気分、愛情、同情心
mind(身体と区別して、思考・意志などの働きをする)心、精神、(感情・意志と区別して、理性を働かせる)知性、知力、精神の正常な状態、正気、記憶、回想
mind意見,考え; 意向.

silent : 黙っている、無口な、声を出さない、無言の、無声の、静かな、静寂な、音のしない、沈黙を守って、言及しないで

silent〈人が〉言葉を発さない,無言の,黙った,(驚いて)口がきけない;〔限定〕〈男などが〉無口な,寡黙な(quiet