今日、ふとRadiohead "OK Computer"のよさがわかった。自分にとって最高のアルバムの一つになった。衝撃的な出会い。

 

 

午前デイケアだった。おそろしく疲れた。デイケアの空き時間は本を読むしかないんだけども、同じ本でも、家では楽しく読めるのにデイケアで読むと全然面白くないという現象がある。今日も谷川俊太郎の本を持っていったけども、デイケアで読んでもおもしろくなかった。

 

デイケアではうとうとしていた。起きているのか寝ているのかわからないような、意識の混濁したような状態。

 

帰りは、あまりにも身体が重くて、横になりたいという気持ちがとても強かった。道路の上、駅のホームで横になろうかとも思ったけど、そこは越えてはならない一線なので、耐えた。一度それをやってしまうと、救急車とか警察を呼ばれかねないし、顔を覚えられたら一巻の終わりだ。横になったところで、家に帰れるわけでもない。どこでもドアはないから。

 

電車の中ではいびきをかいて寝てしまった。

 

帰りにスーパーで麦芽コーヒー豆乳、アイスコーヒー、アルフォートなどを買った。こういう買い物でもしないとやってられない。

 

やはりオランザピンはもとの量の2.5mgが自分には合っているのかもしれない。今の3.75mgは、自分には多すぎるのかも。

 

家に帰ってネットのニュースを見たら、村上龍が亡くなったとのこと。びっくりした。以前に『共生虫』という小説を途中まで読んで止まっていたのを思い出したので、引っ張り出してきた。

自分と自然とが一体となっているという感覚について、谷川俊太郎が話していた。ぼくが18歳ごろから24歳ごろまでにかけて経験した、世界と自分とが一体となっているという全一的な幸福感に近いものなのだろうと思う。ぼくの場合は離人症と診断されていて、世界との親しさを失ってしまったと感じていて、それを再び取り戻すということが自分にとっての課題だった。

 

精神科の薬を使わずに、世界との接触、親しさを取り戻すために、坐禅の真似事のようなことをした。大学の講義に出るのを中断したり、無念無想のようなことを一日中、毎日続けたり、森田療法で使われる方法の絶対臥褥というのを自分ひとりで行ってみたり、修行のような日々を過ごした。そして、音楽との関わりかたは自分の生活の仕方、生き方と密接不可分なのだということがわかった。枝葉末節にとらわれるのではなく、西洋医学的方法だけでなく、東洋的な方法、つまり森田療法を実践しようとしていた。

 

そうして、村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』を片手に、自己の井戸にもぐろうとしていた。そうしているうちに、度々、世界との一体感を取り戻すことができるようになった。それは完全な幸福感だった。

 

コスモスというふうなものを感じ取れたのは、青年のころ、この北軽井沢の自然の中にいたからだと思うのですけれども、十代の終わりから二十代の初めにかけて、自分が自然というものと一体になっちゃっているような状態、一体になっている状態がそのまま生きるということで、そこで自分がほんとうに幸せで完全だったような状態があったんですよ。そのばあいは、自然というふうな言葉で人間と対立したものとしてとらえるよりも、コスモスという言葉で自分と自然と全部ひっくるめてとらえたいという気持ちがありましたね。無機物から進化してきた人間の生命も、地球という星も、空に散らばっている他の星も、全部むすばれているという一種の汎神論みたいなものがあった。(谷川俊太郎『人生相談 谷川俊太郎対談集』朝日文庫、p25-26)

 

上の引用の谷川俊太郎の言葉にも、森田療法の考え方と重なるところがあると思う。つまり、自然対自分という対立ではなく、自分と自然とを分けて考えるのではなく、自分は自然の中にあるというふうに考える。森田療法で、あるがままという言葉がある。例えば、神経症の症状、手が震えるとか赤面するとかいったことについて、これを不自然なものとして捉え、これを排除しようとするのではなく、手が震えるのも赤面するのも、人間に備わっている自然な心の動きや反応であると捉え、あるがままとして受け入れる。

 

ぼくの場合、離人神経症と診断され、対人恐怖症、強迫神経症、離人症などの神経症の症状があって、それを森田療法によって克服しようとしていた。克服というか、症状を、人間の心の自然な動きとして受け入れようとしていた。それで、そうした取り組みを通して、度々世界との一体感、全一感を取り戻すことができた。

 

そのあと統合失調症を発症してしまって、世界との一体感やら、完全な幸福感などはおじゃんになってしまった。

谷川俊太郎『人生相談 谷川俊太郎対談集』を買った。今読んでいる。とてもおもしろい。いま最初の谷川徹三との対談を読んでいる。

 

月曜にオランザピンが増えてから、心拍や血液が身体の中を流れる音がうるさく感じられる症状が強くなっているように思う。頭に血がのぼって、ゆでだこ状態というか。

 

ここ何日か、耳、目から世界が侵入してくるとか世界が身体を刺してきて痛いという症状は後ろに引っ込んで目立たなくなっているように思う。その代わりに、心拍、血の流れる音がひたひたというのがとても気になるし苦しい。常に体の中でどくどく言っている。やはりオランザピンを増やしたのはよくなかったのかどうか。

大学は六年在学して中退したんだけども、大学を卒業しようと考えたことがなかったことに気づいた。数学の授業が全然わからなかった。一年次の必修の数学で扱っていたのが線形代数、微分積分、行列というやつで、これは高校の数学が理解できていないと、わからないらしい。シグマとか出てきたけども、チンプンカンプンだった。


大学を卒業するためには、まず対人恐怖症を治さなければならなかった。音楽をやることが、神経症の治療につながるのでは、と考えていた。森田療法の本を読み、軽音サークルでギターを弾いていた。


大学3年目でギターをやめ、ジャズドラムを始めた。ジャズのセッションにも行くようになった。


今は福祉に守られているから生きていられるのだと思う。第一にやるべきことは、病状を安定させること。悪化を防ぐこと。働くとしても、作業所で無理のないペースで働くというのが合っているんじゃないかと思う。どうなんだろう、長期目標として、週5日、9時から5時までフルで働くというのを目指すべきなのか。自分にそれができるのかどうか。


昔作業所に行っていたとき、自分の限界を知りたいと思って、週4日の9時から5時まで、通所していた時期があった。あのとき、意外とできるものなんだなと、充実感のようなものを感じた。


あと、役所での実習に参加したとき、名札を首にかけて仕事をしていた。そのことで誇りのようなものを感じた。作業所の所長も、その名札の件について、気になったみたいで、駅弁祭りさんには可能性を感じる、もっと上を目指せるし、目指すべきだと思う、といっていた。


自分にできることをする、というのが大事だと思う。まずはできることをして、その次にできることを増やして、できないこともできるようになるといいと思う。それで人のために働けるといいと思う。