今読んでいる本に、こんな一節があった。重要なので、抜き書きしておく。
村上『アウトサイダー』に出て来る芸術家は、みな自我と超越のぎりぎりのところで悩んでいます。でも僕自身に引きつけて言えば、そこに職能的モラリズムがあればうまく越えられると読みながら思いました。毎日仕事をすればいいじゃないか、ということですね。(村上春樹、柴田元幸『本当の翻訳の話をしよう』新潮文庫、p167)
この問題については、ぼくもずっと悩み続けてきた。この問題について悩んでいる人がいるとは知らなかったので、上の一節を読んで安心した。神秘思想家として知られる、マイスター・エックハルトも日々、雑務の仕事に追われていたとどこかで読んだ。村上春樹が訳しているサリンジャーの『フラニーとズーイ』にも、神秘思想に没頭している姉だか妹を、兄だか弟が外の世界に引っ張り出すべく救い出すということが書いてあった。
日々の仕事が大切だということは、例えばヒルティの『幸福論』の冒頭にも書いてあるし、確かラッセルの『幸福論』にも書いてあった。トルストイの本にも書いてあったと思う。
ぼくも昔、就労移行支援事業所の所長さんに、ぼくの「自分探し」について、「自分探しも、仕事をしながらのほうが捗るんじゃないかな?」と言われた。それはあとになって正しいとわかった。ただ、ぼくは統合失調症なのであって、仕事をするのは簡単ではない。今日も休みの日でほとんど家から出なかったのに、ものすごく疲れた。
今となっては、神秘思想だとか哲学については情熱のようなものを感じることはない。ただ疲れている。確かにプラトンとか井筒俊彦とかを読んでいると、面白味を感じる。ぼくが数学の勉強を細々と続けているのも、哲学への関心と関係があるように思う。単純に数学の美しさに惹かれるということもある。
働かないで生活をしているとある種のうしろめたさを感じる。それは健全な感覚だろう。働くといっても、普通の人のように週40時間働くというのは自分には無理だ。作業所での週9時間労働くらいが自分にとっての限界なのではないかと思う。今は週9時間どころか、まったく働いていない、ゼロだ。デイケアに週二日通っているだけだ。
自分探しということについては今は関心を持っていないけども、ぼくの場合、かりに自分探しをするにしても、仕事をすることなしにすることは不可能なんじゃないかと思う。