稲垣良典『現代カトリシズムの思想』を最初から読んでいる。とてもおもしろい。宗教、哲学関係の本を読むのは自分にとって良くないことなのではないかと考えて、遠ざけることが多い。でも、こういった本を読むのが好きだということは事実なので、そこを抑圧して我慢してしまうと、自分の生活全体のバランスがおかしくなる。今と比べると、大昔、20代のころは哲学の本をためらうことなく、熱心に読んでいた。西田幾多郎が自分のお気に入りだった。
ここ数年でとてもおもしろいと思った本をいくつか挙げると、井筒俊彦『神秘哲学』、神谷美恵子『生きがいについて』、松村克己『アウグスティヌス』、『石原吉郎詩文集』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、となるけども、どれも宗教の色が強い。昔読んだ本も入れると、西田幾多郎『善の研究』、鈴木大拙『日本的霊性』、上田閑照『十牛図』、ウィリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』なども含まれる。
宗教的な本を読むことは自分にとって有害だと考えてしまうと、20代のころの自分の考え、生き方を否定することになってしまう。それらの本を読んで、自分のことが書いてあると思ったし、そう思った原因をたどると、自分が20歳前後のときにそれらの本に書かれてあるような経験を実際にしたからだろう。
言葉にすることが難しいような、けれども自分にとって重大な意味を持つ経験を言語化することができるようになったように思う。少なくとも、それらの本を読んでいる間は、自分の経験に言葉が与えられているという安心感を得ることができた。
村上春樹もたしかにおもしろい。けれども、村上春樹だけではだめだ。宗教、哲学の本も必要だし、他にもいろいろ必要な本がある。
いまでも迷っているのが、学び直しのこと。小学校で習う内容の参考書を開くと、知らないことばかり書いてある。学校の勉強の多くは積み上げ式だから、小学校の内容を理解せずに中学校の内容、高校の内容を理解することはできないらしい。だから、ぼくが学び直しをするとなると、小学校の参考書から始めないといけない。高校の内容まで進めるにはそれなりの時間がかかると思う。
自分は何のために学び直しをするのか。どのみち、学び直しにしても、読書にしても、自分にとっては趣味でしかない。学び直しをしていると、自分がいかに勉強ができないか、ものを知らないか、という現実に直面してしまうし、自信なんて持てない。だって40歳にもなって小学校で習うことも知らないし理解できないんだから。これはとても恥ずかしいことではないかとも思うけども、苦手なことにずっとかかずらっていると、ずっと自信喪失の状態で過ごさなければならないから、やはり得意なことをやっていたほうがいいんじゃないかとも思う。
20代のころは、木村敏、西田幾多郎などの哲学の本を読んで、自分は知的なのだと思いこんでいたけども、あれはあれで幸せだった。自分はできると思いこんでいたんだけども、そういう無根拠な自信って必要だと思う。数学の学び直しを始めてから、自分は卑屈になったような気がする。でも、数学の参考書を開いて問題を解いたりしていると、充実感がある。数学は苦手だし、それはたしかなんだけども、おもしろみも感じる。
そういえば、谷川俊太郎は数学が苦手で、二次方程式もわからないということを言っていた。あんな知的な人が、と意外に思う。人生は短い。