その者青き衣をまといて金色の野に降り立つ〜中村哲氏を偲んで〜 | のぶりんのマガジンラック

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わんばんこニコニコ

長いあいだこちらのブログがお座なり、放置プレイ状態ですガーン

今年もいろいろな事がありました。

日本人的にはやはり、ラグビーワールドカップの応援の盛り上がりで「ONE TEAM」を再確認。
感動が大きかったですおねがい

さて、12月に入って一つの残念なニュースが飛び込んできました。

「中村医師が銃弾に倒れた。」。

わたしが初めて彼を知ったのは80年代末。
当時はソ連のアフガン侵攻の影響で、パキスタンにも多数の難民が押し寄せていて、彼はその医療支援を行なっていた。
その後も内戦の続く現地に残り、医療ボランティアをしていた。

当時の私はまだ若かったので「何かウサン臭いオッさん。偽善じゃないの?」とか「こんなアブナイ所にノコノコと。自己満もいいけど自己責任だよ。もし人質にでもなったら日本政府に迷惑だ。」とか思っていましたえー

しかし…この人は「ホンモノ」だった…おねがい
彼は2000年代に入り、壁にブチ当たります。
それは大規模な干ばつによる飢饉、疫病で簡単に何百万人と言う生命が失われていく事実。

「いくら治療しても解決にならない」。
医療活動に限界を感じた彼が次に打った手立てが
「緑の大地計画」。

砂漠や枯れた耕地を生き返らす。
「一本の用水路は何百人もの医者に匹敵する」!!

まずは生活基盤をしっかり再建するインフラ整備を行い、地域の生存キャパシティをアップさせること。
最も基礎的な現地の水の安定供給と食料の生産から。

(こちらにも関連記事あります↓ウインク)


彼は白衣を脱ぎ、勉強し、故郷の筑後川の「山田堰」の技術を取り入れて図面を引き、重機を扱い、現地の作業員に混じって「マルワリード(真珠)用水路」と名付けられる工事に邁進。

この頃から彼の顔つきが、何か神がかって変わっていくのをわたしは感じていました。

心がけたのは「施し」ではなく「恊働」。
現地の人が自力で工事を継続し、広めていくため一緒に現場で働き、国の再建のやり方を学ぶ事。

そんな中村さんの本気が伝わり、タリバンや北部同盟兵として別れ、戦い合ってきた男たちも銃を捨て、一つの目的、用水路建設のために戻ってきた。
戦や悪事は長くは続けられない。

家族や農業をベースとするべきだと皆思っていたんだねウインク

そして、27キロのマルワリード用水路の他、多数の取水堰や井戸などの改善を行い、65万人の生活を取り戻す緑の大地が荒野に開ました。

また、現地の要望を受けて「モスク」(イスラム教の寺院や子ども達の学校)も建設。地元の人々の心の支え、文化を大切にする姿勢にみんな大変喜んだとの事。

中村さんが亡くなった事は悲しい事であり、犯人が懺悔する事は歴史がすぐに証明する。

しかし、彼は自分は長くない事を前提に、現実に道筋はつけている。
たくさんの彼を慕う日本での留学生や現地の後継者が育っているおねがい

中村さんは現地でヒーローとなり、やがてその伝説は神話として永遠に語り継がれることになる。
かつてのマヤ、アステカ文明の神。地域に文明をもたらした「ケツァルコアトル」のようにおねがい

日本にもサブカルではありますがこのようなリーダーが活躍するアニメがあります。
ご存知「風の谷のナウシカ」(1984)


「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」



「失われし大地との絆を結び、ついに人々を清浄の地へと導かん」

神になる人の過程をリアルタイムで感じる。

地球に生を受け、80年前後の時間を与えられた我らの目指すところは一つ。

多くの人々の幸せを願い、実現すること。
我々にそれを実行する勇気を与える事ができるのがリーダーであり、ヒーロー。
それを体現し、世界に示した人。おねがい

中村さんご冥福をお祈りします。
ありがとう。