またまたこちらのブログがお座なりになってしまいました。
今回は鹿児島に行ったときにどうしても訪れてみたかった場所、知覧特攻平和会館を紹介します。
太平洋戦争の末期、沖縄に進軍してきた連合軍を迎え撃つため、本土への上陸を食い止めるため、鹿児島県には2か所の特攻機の出撃拠点がありました。
一つは海軍の鹿屋、もう一つがこの陸軍の知覧です。
外には陸軍の主力戦闘機「隼」の実物大模型が展示されています。
知覧から出撃した人達の名前が刻まれた碑
出撃を待つ最後の宿舎が再現されています。
会館の入口です。展示内容はほとんど撮影禁止です。
平日でしたが、たくさんの高校生やツアー客が訪れていました。
これは海から引き揚げられた海軍の戦闘機「ゼロ戦52型」の実物です。
特に声高に反戦や賛美をしている展示ではありません。
1000人余りの、ここから出撃した方々の経歴、写真や遺品、手紙などを一人一人非常に丁寧に展示、整理し、最新の保存技術をもって保管しています。
特攻の話は昔から知っているつもりでした。
展示内容もだいたい想像はしていました。
しかし、わたしの想像を遥か斜め上を超えてきました。
実際の現場で事実だけを、実物を、これだけ丁寧に展示することで、それを目の当たりにした人それぞれの心に非常に強いインパクトで呼びかけるものがあります。
ポートレート写真は特別な人ではなく普通の若者達。
日本全国から集まった17歳から20代半ばの真っ直ぐで屈託のない笑顔。
手紙の内容はその多くが母親に向けられた思慕と感謝。
どれも心のこもった美しい文字。
膨大な展示の中、わたしは何故か穴澤大尉の写真に惹かれました。(穴澤利夫大尉23歳)
彼は根っからの職業軍人ではなく、当時としては珍しく東京の大学を卒業後、入隊しパイロットになった。
「あなたの幸せを願う意外に何ものもない、自分の亡きあとは勇気を持って振り返らず、前を向いて幸せを掴んで欲しい。」
今は本当に会いたいという気持ちと自分は笑顔でいく事を記して終わっています。
また、手紙には婚約者の女性がその気持ちをしっかりと受けとった証として、受けとった日付が丁寧にメモしてありました。
(女性はその後別の男性と結婚し、平成の最近、90歳の天寿を全うされました。)
記録動画では彼が彼女からプレゼントされたマフラーを身につけて、お世話になった地元の女学生達に笑顔で手を振り、戦闘機で出撃して飛び去る模様が収められています。
展示を体感した人々の受けとめ方は様々。
もちろん、すぐに結論を問うような生易しいものでもない。
未来に向けて、この事実を確実に継承していく事が重要だと思います。
ただ、わかったつもりでも言葉で表現しきれない感情から溢れ出る涙。
とにかく今、自分に救いが欲しい。
「6人の天女たちに救出される隼搭乗員の画」がロビーに展示されています。
穴澤大尉の手紙にも「最後に観たい」と記してある「ラファエロの聖母子像の画」の聖母と同じ柔らかい表情。
特攻隊員たちに接した自分も優しく救われたい気持ちの具現化。
そう思いました。
売店の猫。堂々と伸びています。
知覧はお茶の産地。お土産にお茶を購入。
まだまだ鹿児島には訪れたい場所がたくさんあります。
また近いうちに
また近いうちに