シスターで文学博士の鈴木秀子さんが『聖書』ヨブ記を紹介しています。

ヨブは義人と言われた人で、日頃から善行を重ね、徳も財もあり、この人ほど立派な人はいないと皆から慕われていた。

ところがある時を境にヨブの身辺が一変する。

親友に裏切られ、災害で財産を失い、家族全員を疫病で亡くしてしまうのだ。

この世の苦しみを一身に受けたヨブは、「自分は何も悪いことをしていない。立派な人間として生きようと毎日努力している。なのに、なぜ自分だけこんな辛い目に遭うのですか」と神に訴える。

だが、神は何も答えない。

絶望のどん底で、もうこれ以上生きられない、死のう、とヨブが思った時、「ヨブよ」と呼びかける神の声が聞こえてきた。

ヨブは神が「お前はよくここまで頑張った」と慰めてくれるだろうと期待して耳を澄ました。

はっきりとした神の声が響いた。

「ヨブよ、腰に帯して立ち上がれ」。神がくれたのはこの一語だけだった。

 この文章を読んで皆さんはどう感じるでしょうか?

「神はなぜ、苦しみの中にある人間に対して、さらなる努力を要求したのでしょうか?」。

 メンタル的に平静を失い、死をも覚悟している人間に対して、「腰に帯して立ち上がれ」と言ったら、現代の日本人の感覚からすると“パワハラ的”とか“いじめ”と捉えられるかもしれません。しかし神の要求は「腰に帯して立ち上がれ」です。

             

次に孟子の言葉を紹介します。

天の将(まさ)に大任を是(こ)の人に降さんとするや、必ず先(ま)ず其の心志(しんし)を苦しめ、其の筋骨(きんこつ)を労せしめ、其の体膚(たいふ)を餓(う)えしめ、其の身を空乏(くうぼう)せしめ、其の為さんとする所に払乱(ふつらん)せしむ」。

【解説】天は、この人こそ後々大きな働きをしてもらうべき人間だとすると、必ずまずその心(やる気)を苦しめ、その筋骨を疲れさせるほど働かせ、その身を貧窮に追いやって飢えを体験させ、その人の行いのすべてを思い通り円滑に進まないようにして、とことん辛酸を舐めさせる。

                                                                                         

 この文章も『聖書』ヨブ記と同じく、人間の成長に必要なのは、艱難辛苦に耐えることだと言っています。

 辛い体験をすることで喜びや幸せの本質を知り、他人の心の痛みが理解できるようになり、さらに、少々のことでは挫けない人格力が身につき、将来必ずやってくるであろう“苦難というチャンス”に対処できる人間になる。

 “難有(なんあり)”を“ありがとう”と表する日本人の根底にある気質(人間としての本質)ではないでしょうか。