佐藤栄作とケネディ大統領の会談について」
 今から60年も前の話ですが、当時の政治家が倫理道徳観をベースに持っていたことを示すお話を紹介します。(下記作品の原作著者は評論家の伊藤肇氏(1926-1980年)です。)

 佐藤栄作がまだ総理の座についていない昭和37(1962)年10月、アメリカへ表敬訪問に行った。時のアメリカ大統領はケネディである。
 ところがそのタイミングが良くなかった。後に「キューバ危機」と言われ、核戦争を回避するために米国内が大騒ぎしている真っ只中の訪問だった。
 ホワイト・ハウスが重大な政治決断をしようと緊張と混乱の中、ケネディにとっては、日本は“アジアの一小国”という認識しかなかった。


 当然、ケネディの部屋へ入ると、剣もほろろの態度で、とりつくしまさえもなかった。仕様がないので、佐藤は一応、形式的な表敬訪問の言葉をのべ、さて、帰ろうとする時に一言聞いた。


 「大統領、シュバイツァーをご存知ですか?」シュバイツァーは宗教家・哲学者であり、バッハやゲーテの研究家であり、特に赤道アフリカのランパレネに病院を建設、悲惨な状態にあった人たちに救いの手をさしのべたことでノーベル平和賞を受賞した人である。欧米では「聖人」と言われている。その名前をアジアの一小国の政治家の口から聞いたのだ。             
  ケネディは、はっとして佐藤を見直した。
佐藤は、「シュバイツァーがこういうことを言っています。
『戦に勝ちし国は敗れし国に対して喪に服するの礼をもって処さねばならない』と。」


 ケネディ自身、大統領就任にあたって、「国家が諸君に何をしてくれるかを考える前に諸君が国家に何をなし得るかを考えるべきである」等、格調高き演説を行っているだけにこの言葉は一層、胸にしみたのである。
 全く儀礼的でとりつくしまもなかったケネディは急に態度を改め、胸襟を開いて会談は延々3時間にも及んだ。           


【私見:「戦に勝ちし国は、喪に服するの礼をもって、これに処さねばならない」
戦いに勝った者は、敗者を侮るのではなく、喪に服するように敬意をもって接しなさい。これは老子の「戦いに勝つも、喪礼を以て之に処り」が原文だと言われていますが、シュバイツァーもいろいろな場で使っていた言葉だったのでしょう。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉もありますが、立派な人(肩書の高い人など)ほど謙虚な姿勢であることが求められます。苦しい思いをしている人や立場的に下にある人の弱さを知り、親身になって寄り添い、一緒に向上することを願うことの重要性は今も昔も変わることはありません。】