
森田ゴルフのウィニングショットをきっかけに、印刷資料をひっくり返してみた。このご時世、ネットに残る情報というのはいわゆる歴史と同じく勝者が書き残すもの。決して敗者とは言えないモノの、倒産してしまったメーカーの情報をネットに探したところで管財人の公開文書程度しか残らない。
探したところで調べてみたい関西のクラブメーカーの情報ではなく、九州の小売会社の情報に留まる。BtoB、いわゆるブランドからブランドへのご商売をしているのかも知れませんが、一般消費者への情報はなかなか行き着かない。ってぇこたぁ、印刷資料に頼ることになるわけで、ブログ主の下でそんな印刷物は81年のカタログ年鑑的資料が最も古い。そこには4ページに渡って大阪高槻市に拠点を置いたモリタゴルフ株式会社の製品情報があって、当然のことながらウィニングショットなんてぇのが登場するわけもない。周辺重量ちょいと前の低重心モデルが並び、他にも木質素材を使った芸術品的なクラブとか、興味深いマッスルモデルはステンレス。
思い起こすなら、80年代初めってぇと、名門コースでも週末に昼を頂いても1万2千円くらいでラウンドできた。スタートを取るにも苦労することもなく、メンバーの家族でも簡単にコンペの予約ができた。改めて国産に限ってこの時代のモデルを見ると、ブログ主の手元にあるのはメジャーメーカーの継続モデルばかり。ダンロップのワトソンモデルとか、ミズノなら一連のMS―3がニューモデル。ゼットならアルカディアのプロモデルだし、ダイワはアドバイザーモデルとか。マルマンでもフラッグシップモデルがスパークルだった時代だし、マイナーならアリガのメダリスト。
ブログ主からすると多くが試行錯誤の時代に見えて、今に見かけたとしてもふぅ~ンってモデルが多い。やっぱり輸入物が目を引くのですが、それでも直輸入モデルではなく、日本アレンジの加えられたOEMモデルが並んでいる。多くが日本の環境やゴルファーに合わせたアレンジがされているとあって、別に悪いこっちゃないのですが、強烈な個性を持つモデルは少ない。なぜかジャンボさん不調の時期とも重なりますが、これが5年ほど経って、状況が変わると会社のコンペを取ろうとしたらどえりゃ難しい時代になった。
会社のビジネス電話機はもちろんプッシュホンでしたが、1か月前の同じ日の朝9時から電話で予約受付なんてことが多く、もちろん上司には内緒で時間になったら若手が一斉に電話をかけたもの。やっとリダイヤルの機能も付き、何度もかけても電話中だった記憶がある。ただ単にダラリと時間を過ごしてしまったゴルフ好きのおじさんの昔話でス。ウィルソンがソニーで扱われていたとか、スポルディングはまさしくモリタゴルフのOEMで、赤トップもどきのプロカスタムはブリヂストンが扱っていたとか、へぇ~ってな事実がたくさん残ります。ピンシーカーってちょいと変わったモデルはつるやゴルフで、スタントンプソンも扱っていた。もちろんピンアイアンも大阪銀座ゴルフのダイギンから掲載されていますが、ホンの一角の事。
当時としてみれば新しいアイデアを絞り出して何とか次世代につなげようとしていた時代に見える。詳しく見れば知りたかった情報もキャプションに載っていたりしますが、それも些細な事。横文字情報なら結構豊富にある過去の資料ですが、縦文字には残るものが少ないのが我が国の企業文化でもあるような気がします。