Maruzen  Daffco
現代でもいろんな業種にマルゼンという会社組織が存在します。ネットでググるとタイヤ屋さんが最もネット広告にコストをかけているようで筆頭に登場。きっと店舗スタッフを起用した昭和な広告を見た記憶がある。
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他にはプロ向けの厨房器具屋さん。幼少の頃は下町に過ごしたブログ主からすると、合羽橋という商店街では見かけたような気もする。ついでにバイク少年時代に入り浸っていたバイク屋さんの常連に、このマルゼンの社長さんがいたような記憶もあり、でも、このブログで言うのは日本橋丸善の事。なんとなく言葉の響きが似ているサカゼンは、日本橋横山町の衣類問屋でも小売りを始めた先駆。
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坂本善十郎という創業者の名前を略した店名ですが、当時は3店舗あって、サカゼンのほかにも善十郎の店っていう店舗があった。じゃなくて、書籍を扱う丸善は著作にうるさいので、間違いがあってはいけませんが、モデル名にもある1869年だったか、横浜で柱時計の輸入に始まった輸入商社らしい。その後財閥の参入で独自のビジネスを展開した典型的な日本の商社で、書籍に特化しているように見えても、日本橋の店舗へ行くと老舗の旦那衆へ御用聞きに出た営業が商売できそうな品物を取りそろえている。
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そんな商社体質が確認できるのは、81年も丸善と紹介されてはいますが、ゴルフグループとしてマルエムゴルフ、パロット、三国ゴルフって名前も並ぶ。マルエムってぇと脱税で名を馳せた銀座の飲み屋さんが入るビルのイメージですが、関係はない。80年後半にはマルゼンゴルフという工房レベルのメーカーの情報がありましたが、その関連はわかりません。
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んで、そのモデル名がダフコですが、なんでダフコなのってぇ正解があった。データ・フィリング・アンド・フル・コミュニケーションってぇメーカーのコンセプトを繋げたらしい。広告のコピーにはお客様のニーズとデータを責任もって保管・管理し、さらにお客様との十分な対話の中から生み出される、いつまでも価値を失わない画期的なゴルフクラブです、とあった。
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ってぇ事は基本オーダークラブ屋さんであって、書籍を買いに行ったついでに売り場に行って買うクラブじゃなく、やっぱり日本橋辺りの老舗の総務課にアポなしで訪問し、当月分の事務用品の請求書を届けたついでに、きょう社長はご在社ですかぁなぁんてノリで、重役室に新しいゴルフ用品のカタログを持ち込んだりした。なぁんて、あくまで想像の世界です。知り合いの老舗の社長室には往年の名器が所在無げに立てかけられていたなんて話も聞きましたし、そんな企業組織も再開発での引っ越しで、廃棄処分の中にM85のウェッジを見つけて、電車で持ち帰った事もありましたねぇ。
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となると、本来クラブには名前が入っていたりするのでしょうが、ケネススミス同様、オーダーだけではビジネスが息切れし、吊るし製品の販売に軸足を移したと思われます。初めてダフコを手にしたのは985スタイルの二段バックデザインのアイアンを見つけたからで、エスプリ・マーク2とかスーパー2なんてモデルを手にしてみた。
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ついでにサンケイに挿されていたスパイルシャフトも輸入元としてマルエムマルゼンの広告も確認しました。まぁ、オオサワと同じで儲かるものに手を出しては下火になれば人知れずフェードアウトするのが商社ビジネス。でも、早稲田カラーのインサートのパーシモンは綺麗なフォルムです。
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