Toney penna irons
トニーというと何を連想しますかね。ブログ主世代には古い記憶からすると、素人のど自慢の司会にトニー谷という人がいた。そろばんを持ってガシャガシャと音を立て、独特なリズムで登場者にインタビュー、あなたのお名前なんてぇの、って尋ねると〇〇〇と申します、って答えるのがお約束。これってラップの走りじゃないかとも思える。
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時は下って、トニーローマっていうレストランが流行ったことがある。その売りはスペアリブと箱状に揚げたオニオンフライで、おねーちゃんを伴って何度も行った記憶はある。スペアリブを異性の前で女子がどんな風に喰らうかで脈のあるなしも判断できるなんて言われた時代もあった。話は飛びますが、アメリカの歌うたいにトニーベネットってぇのがいらっしゃった。少し前にご逝去されましたが、動画に残るレディーガガをはじめ、数々の女性シンガーとデュエットを残している。これは時々、もう一度見るってぇカテゴリーから薄型液晶テレビの音を大きくして視聴しております。
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ってんで人それぞれにいろんなトニーのイメージがある事と思いますが、この趣味で登場するのはトニーペナであります。往時にマクレガーのパーシモンを手にした方や、クラシッククラブのブームに興味を持った方には知られた名前だと思いますが、この方には逸話が多いのです。正統派の資料ではマクレガーのクラブデザイナーであるとされていますが、古いメディアには沼沢巨匠が生前にインタビューをした記事がありました。
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これによると、自分はデザインを確かにしたが、当時はセールスマンとしてクラブを積み込んで、アメリカ中を営業に回っていた時間が長かったとの事。その延長でトーナメントにもエントリーしたことがあるし、成績を収めたこともあったらしい。マクレガー好きのブログ主からすれば、大戦中に鍋釜を作らされていたマクレガーの工場で、早々に仕事を終えてオリジナルのアイアンを試打してデザインを決めたって話しが興味深い。
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そのクラブはM85で、試打のたびにフェイスにチョークの粉をはたいて打点を確認し、デザインを決めたとの事。その名残ともいえるのがウィングバックが番手なりにフローしていないのです。山裾の高さが番手によって逆転していたり、ソールの厚さも隣同士の番手で同じだったりするのです。このウィングバックのフローは後の後継モデルにもみられることがあって、引き継ぐべき優秀なデザインだったのかもしれません。他にもマクレガーパーシモンの三段インサートはアイオマティックと言われています。
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これも当時に業者が持ち込んで解説した、オートマティックにターゲットに合わせられるという部分を聞き違えて、アイオマティックと呼ばれるようになったという話もある。加えて、営業としてライバルよりも存在を際立たせるために、それまでは天然レザーのナチュラルカラーだけだったキャディーバックに色を取り入れたのもペナであるとされました。
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インタビューのポートレートを見ても、齢を重ねてもマッシュルームカットで個性豊かな御仁。80年代後半になると新素材の先駆として登場したチタンを使ってウッドをデザインし、アイアンもキワモノに近い変わったモデルをリリースしていた。ブログ主はこの趣味になる以前はこの印象が強くて、アメ横というよりはディスカウントショップの並行物という印象だった。
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でも、ここに紹介するように80年代前半には職人製作の切れ味鋭いアイアンがあったし、アシックスの扱いでジニアスとかイノベーターっていうモデルもあった。これにご本人が関わっていたかは不明ですが、逸話を積み上げてみればそんな人のブランドなんだねって想像するのも楽しいものです。

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