Dunlop irons
世代で言うなら、大陸製とか半島製に島製なんてのがある。そんな製品はどーも安かろう悪かろうのイメージがあった。しかし現代で言うならパソコンをはじめ、生活用品の多くがそんな国で生産されている製品ばかり。
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一時のような品質に劣るといったような印象はない。コストの面ではかなりお手ごろなわけで、日本と工場の立地や光熱費、運送費などに加えて割高の根源たる人件費を比較するなら、輸入という手続きを経てもそんな国からの製品が身近な現代。このブログでもグリップについてはそんな話がネタになりました。
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ってぇのもいつもの導入話。今回のネタはダンロップであります。世界初の空気を入れたゴムタイヤを発明して商品化したのは確か英国でのことだった。自動車の発展には欠かせない製品で、瞬く間に世界へと発展し、各地で現地の法人が立ち上がった歴史は古い。
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確かに英国の道路事情と例えば当時の米国の道路事情は全く別物と想像できるわけで、英国からの製品よりも自国の環境に適合した製品を現地法人が企画して生産するのが都合いい。石畳の旧市街を走るタイヤと埃だらけの簡易舗装を走る性能は全く違う。こんな背景からか、ブログ主の知る範囲では英国ダンロップ、米国ダンロップ、日本ダンロップなんかが担当の国の環境に合わせてタイヤを生産して企業組織を拡大、一方でゴム製品としてのゴルフボールからゴルフクラブへと発展したってな物語は容易に想像がつく。
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ってんで、各国エリアでの環境に適したゴルフクラブがそれぞれのマーケットで古くから展開されて、アメリカダンロップではマクスフライブランドができたわけだし、英国ダンロップの傘下なのかそれとも豪州ダンロップがあったのかもしれませんが、オーストラリアンブレードってぇのがデビッドグラハムの設計で世の中に残ったわけです。日本ではトイチのウィザードってぇのが日本ダンロップ初期のモデルと思われますが、世界にいくつかあったダンロップ製品が交雑を繰り返し、徐々に一つのものになっていくのです。
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例えばアメリカダンロップのマクスフライはブログ主の経験ではトムワトソンのツアーブレードとして日本でも紹介され、オーストラリアンブレードは日本でも別名で流通したという記録もある。同じブランドの傘下で製品のやり取りをするのは当然のこととしても、それが80年代に入ってからは全世界へ向けたブランドの製品が日本製に収束したように見える。
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現実的に80年代中ごろのオーストラリアンブレードは日本デザインになって米国で流通したとある。そうして勢いのある大きなものに小さなものが飲み込まれていったわけですね。DPシリーズが101から連綿と続くのが日本ダンロップなわけですが、ブログ主にはアメリカマクスフライとか、豪州物の印象もあって当初は古鉄ミュージアムでも輸入物のカテゴリーに入れていました。
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でも今の流通に目にするほとんどのダンロップは国産企画の日本ダンロップなわけだ。実際の設計がそれぞれの地域によるものだとしても、生産はどこでされたのかはわかりません。姫路かもしれないし、もしかしたらアジアかもしれない。
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マクレガーでもタイニーマックというブランドは正式なデータはありませんが、マーケットではタイワンマクレガーといった印象がありました。時代もあってタイニーマックはアメリカ製品にいくらか劣ったという印象がありますが、今に楽しむならそんなこたぁどでもいい。トニーシェモデルはそっちから生まれたようにも見えるのです。こんな基本設計がどこにあるのかなんてぇのを考えてみると、ちょいとまた興味が拡大する。
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これもひきこもりの最近、保管場所からこちらをうかがってくる多くのクラブ達の視線を感じるのは気のせいでしょうか。