Macgregor Tourney R68
よく見知った者やモノが齢を重ねたり、新たに刷新されると付き合いが長ければ長いほどこうあるべしといった第三者のイメージがある。古来を維持するという意味ではなく、変化してはならないという意味でもない。
Macgregor Tourney R68
あの知人ならばそう考えても然るべきという理解に収まるならそうあるべし、あるブランドが新製品を出すなら時流を捉えてそうなるだろうという事。受け取り側に理解を得られるかどうかがテーマとなるわけですが、人間社会ではそう簡単なことでもない。人付き合いでも相手の環境が変われば理解を超えた変化(へんげ)をするし、受け取り側が理解を試みるか、相手に起こった変化に気づくことができなかった事もある。話題の新興宗教なんてぇのも、誰かが入信したなんてぇのはこんな話に収まるだろうし、新興宗教の集金システムも巧妙な論理武装で法律の網をくぐる。
Macgregor Tourney R68
選挙ボランティアには議員さんが揉み手でお相手しましたが、何が悪いのか分からない国政政党は世論に反応して、その日の日和見対応でのらりくらり。ゴルフトーナメントにも開催団体の背景に新興宗教の巨大集金組織がある事はあまり知られていませんが、そのホームページには想定問答に組織が用意した関係を説明する項目がある。話がずれ始めました。ここに並べたのは小雨降る中、軒下で収めたマクレガーのR68の定点観測。バックデザインは明らかにマクレガー伝統のウィングバック。でも、パッと見たディメンションはブレードが長くて大きくて、古来のマクレガーではない。
Macgregor Tourney R68
ってぇことで、マクレガーこうあるべしというブログ主の小噺になるのですが、これを冒頭の屁理屈に当てはめる。実際には現役当時に新品でアメ横に並んでいたモデルなわけで、進んで手に取ってみようという気がなかった理由を思い出してみた。その頃にはマクレガーこうあるべしなんて感覚はなかったわけで、腕達者御用達で素人が手を出すものではないと考えていた。
Macgregor Tourney R68
冬でも半袖にニットベストの日焼けしたパンチパーマの販売スタッフさんが、相談すればやにわにクラブを取り上げてワッグルをはじめ、いかにものスタイルで例のいざってぇ時にひっかかるからなって解説を頂く。お下がりの69VIPを使い、謎のダイヤモンドバックに苦心惨憺していた頃でしたから、そのスタッフの説明を聞かずに試打でもしていたらそっちへ行っていたかもしれません。この趣味に戻してみるなら、Rに番号シリーズは明らかにアジア企画なわけです。マクレガーといえども親しむフォルムとは起源からして別モノに見えるのです。
Macgregor Tourney R68
長いブレードというのは短い重心距離を得意とするブログ主にはちょいと違う。マクレガーはコンパクトなブレードだと思いこんでいるのです。91年の年鑑資料には、マクレガーは良くも悪くもニクラウス一人に頼ったビジネスで、ブランド信仰者のリピーターを対象とし、新しい顧客へのアピールのできないブランドだと評された。
Macgregor Tourney R68
まぁ、その通りだったんですね。アジアか日本企画でいろんなモデルが出ましたが、軒並みこうあるべしの理解を超えた。改めて冒頭の理論で言うなら、変化するマーケットに対してビジネスを展開するなら仕方なくも理解せざるを得ないモデルが並んだわけです。だとしても多くがマクレガーらしさを微妙に残していましたが、Rに数字のモデルはそのらしさも希薄だったような気がする。かろうじてウィングバックが演出しますが、今振り回すならよく捕まる扱い易い素性。楽しませてもらっていますが、当時試打しなくてよかったって、思っちゃうのはなぜですかね。
Macgregor Tourney R68