master work
中世ヨーロッパにはギルドという組織があった。商工業者の同業者組合と訳されていて、功罪取り交ぜて経済の発展に寄与した歴史は事ある毎に学業で登場した。その中には手工業者組合というのがあって、ゲルマン系の社会ではマイスター、フランス語ではアルチザン、英語ならマスターという手工業者の中でも厳格な職人という地位が生まれた。
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日ノ本文化でも親方や丁稚奉公を制度と呼ぶなら同じ類。現代でも人間国宝なんて消えゆく技をサポートする制度があるものの、その肩書を持った職人の作品は芸術品に置き換えられ、日常とは切り離される。そんな天空の話は冒頭に留めておいて、楽しい趣味の世界でも時々職人が登場する。マイスターという称号を持たなくても、例えば生産工程の優れた手技を持つキャリアの長い工員。工房で言うなら、修理、調整に神業を持つ老練な主といった印象がある。
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一時期、マッスルバックの新製品を訴求するために美津濃も広告に工員の古株を引っ張り出し、職人技による優れた製品である事を強く主張したことがある。時にゴルフ動画の冒頭にカーボンシャフトの広告が入り、同じように職人による手作業であることを理由に品質や精度が高い事を主張する。いずれも動画製作のプロによる情感あふれる演出で見る者に刺激を与えるには適度なものではあったものの、ブログ主世代にはその内容が数十年前と何一つ変わっていない事に違和感がある。
master work
高圧プレス機でバリを取り、アイアン研磨に回転砥石の火花を散らし、鍛造フォルムを整えながらスコアラインを刻むとか、生産工程には当たり前の事を綺麗な映像で収めたに過ぎない。カーボンシャフトも鉄芯にカーボンシートを手作業で巻きつけテープやアイロンで留め、特性を整えるためにカーボン繊維の方向を変えたり、補強の小さいシートを巻きつけたり。照明に工夫を凝らした演出で、手連の作業に見せる。これも40年前のカーボンシャフト登場時にメディアが取材した工場での作業の風景と一切変わらない。あえて言うなら半手作業でのシートカットが精密な全自動機械作業に変わったとか、巻きつけ工程に効率を重視した特別開発の機械を使うのが違うのかも知れない。でもそれは生産効率の問題に見えて、精度の追求とは違うような気もする。
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その昔は工場(こうば)のある地方の婦女子の巻きつけ作業で丁寧な仕事、三角巾を頭に巻いた工員さんという風情の皆さんのお仕事。その手腕には仕事としての当然の精度があったわけですが、現代の映像ではスタイリッシュなユニフォームで作業するスタッフが職人と称される。下町で育ったブログ主には工場(こうば)というと摩擦で焦げた機械油の臭いにまみれ、コンクリート打ちっぱなしの土間はラバーソールの靴で入ると靴底が溶けるもの。
master work
回転砥石から飛び散る火花にもゴーグルをする職人など少なく、しかめっ面を少し横にずらした職人が作業する。そうした何十年も前では当たり前の作業方法が現代では高品質の証となった。逆に言うなら、機械化を極めたのは工程のコストを抑えること、生産の効率重視で品質は二の次になっている事を暗に示している様に思う。そんな生産工程も現代ではアジアに舞台があって、国内でそんな作業をするとコストが合わない。ならば職人がアジアに生まれているのかと言うと、いろんな事情でまだ疑問なのはあらゆる工業製品のアジア製を見ればわかる。
Raccolo
何十年を経ても品質や精度を求めるなら手作業なわけだし、長年従事していた工員さんから職人も生まれた。大量生産メーカーにも職工さんの手腕を測る制度のある業界もあって、グループ長やら班長にライン責任者という以外に職能が認められた工員もいるらしい。工房職人のお助けを乞うならば、コミュニケーションに気を使う事も多いのですが、そこからは興味深いお話が尽きないことが多いものです。人の作るものに、こんな事も想像しながら対峙してみると底なしの興味が湧くのです。思いつくままに。