浅草に行ったんです。生まれ育って40年いた町で、野暮用でもせっかくなら、懐かしい場所を回ってからと時間に余裕を見た。まずは甘味屋さんで特製アイス最中を一つ。お釣りをもらうのに手がふさがってしまうので、最中を口にくわえて小銭を仕舞い、そのまま歩きだす。振り返る紅毛人を無視して、昔はフランス座だけど、今は、大御所コント万歳の出身地として劇場の看板の方が大きいストリップ劇場の前を通り、伝助劇場の跡地を通過、木馬館を横目に、その先で長蛇の列は雷おこしの自作ギャラリー。まったく興味なしにて通過。
観音様に一礼し、仲見世の裏通りを抜けて甘味処で粟ぜんざい。直後に仲見世を突っ切って、せんべい屋へ。せんべい焼の実演販売は今やメロンパン屋になり、そっちは大盛況なものの、せんべい屋はなくなったかと思った。いつものネギ味噌と山椒の2枚を買って袋や包装を断り、その場でバリッと割り、歩きながらかけらをいただく。金の羊は健在かと横目で確認、あっという間に2枚を終えて、公会堂などなかった時代、宇治の里っていう鳥かつ屋は住んでいたころから廃業しちゃったなぁと思いを馳せ、絶対に入らなかった天ぷら屋の門構えを見て、高級路線は生き残るんだと改めて認識。
昔はバタークリームのケーキ屋さんのお店だった、今は大学芋屋さんの前ではいくらか足を止めかかるものの、その先の喫茶店へ。そこは座ってお茶を飲みたい皆さんが店の外で長蛇の列。そこんところすっ飛ばして店内の会計レジへ直行し、おもむろに白一本、そのままでいいや、って紙ナフキンに挟んで小さいロールケーキを手に持って出る。これ、売る方も何のケレンもなくハイハイって対応してくれるんだな。出口で一かじりしながら、長蛇の列の前を歩けば、おばさまたちがポカァンと見上げる。
んだよぉ、浅草の人ってぇか、こんなおじさんになると気が短くなって、並んでなんかいられねぇ、ってぇか、これが幼き頃からのスタンダード。唯一できなかったのが、あげ饅頭の一個買い。昔は厨房の横に窓口があって、油まみれになったお品書きがあり、一個頂戴ってぇと、油切のアミに乗っかった熱々の揚げたてを手のひらにトングで載せられたもんだ。紙ナフキンなんかなかったもん。
これはおふくろにばれると、強烈に怒られたもんだ。本音は、はしたないというよりも、衛生問題であり、人手を渡る硬貨やお札を扱った手で食品を扱うという古典的な下町ジャンクフードの問題。今なら使い捨てのビニール手袋をし、少なくとも買い手が見ている前では直接食品に触れられるこたぁない。あげ饅頭の今の最少単位は5個以上、それも揚げておいたものを積み上げて、移した箱はすぐに油にしみる。それはいらないです。
これをね、おぢさん一人、3ピーススーツにネクタイ、ビジネスバックを片手にやってきました。懐かしい知り合いにも合いましたが、「なんだか人が多くなったじゃないかい」って話になれば、彼らから口をついて出るのは、「日本人じゃないからね」ってぇこと。確かに、見たこともない化繊の派手な浴衣を着るものがたくさんいるし、外国語のガイドが一時期の農協よろしく旗をもって団体を率いる。着物と説明はしている様子でも、浴衣と振袖と留めそでの区別は全くついていない。いくつか理解できた外国語のガイドは、翻訳も怪しいのですが、説明も怪しい。
台数が増えた人力車も、昔は人込みを申し訳なさそうに声をかけて抜けたものだが、今はお客様第一で、お客向き、つまり後ろを向いて人込みに背を向けて車を引く。自転車と同じ扱いの軽車両であって、わき見運転、人身事故の場合は即刻交通裁判と知らないアルバイトばかりになった。車屋さん、免許はあるかぇ、おめーらこの人込み、端っこ走れや。
さぁ、こじつけますか。一般的に知られている観光地、その地元に暮らしていれば、端から見る理解とは全く別の地元がある。盆暮れ正月ほど騒がしいモノなんてぇのが代表的なイメージ。まぁ、たくさんの人に来てほしいけど、上っ面だけの理解をされると、そりゃ違うと言いたくなる。基本は地元にお金を落としてくれるお客様。来てくれるだけで十分と思っていたら、いつの間にかあっちが理解する邪道が本道に入れ替わった。マッスルバックやパーシモンの浅草で、観光客が持って帰るエセ浅草がキャビティーバック。そりゃぁ無理があるでしょ。ン、そう思う。
浅草十二階を知るヒッコリーシャフトに言われているような気がします。世代としちゃ仁丹塔だもんなぁ。しらないでしょ。いいの、いいの、そんなもん。徒然もやりすぎるとこんなもん。
データの煎餅とかきんつばとかは本文と関係ありません。