なんとなくね、伝統的なモデルに対する理解がメディアの論調じゃ新しいモデルが良いという一辺倒になっているのが気になっておりました。自身の場合は、単純に偏屈なだけで古いモデルを使っているのですが、今回は特にアイアンについての徒然。
ウッドの様にヘッドの素材からして違うものには違う理論があって、横並びで語るには科学の目が必要ですが、感覚重視の趣味に科学の目は必要ない。
アイアンの場合は素材が同じなわけで、アマチュアの感覚で語れるところが若干でもある。即ち、一般的な認識にある古いアイアンは飛ばないという評価に対して、ロフトと長さが同じなら飛距離については変わらんという結論なんですな。そりゃもちろん、理想的な打点に当てるという技術や集中力に違いはあります。長さに対してライ角が適切にあっているものなら、飛距離を決定する要素はおおむねロフトにあるといっていいでしょうね。
シャフトの機能なんてのも要素ではありますが、80年代以降のトルーテンパーやプレシジョンのシャフトなら、大きく劣ることもない。
自身が当時の経験者であるからそういえるわけで、今時の軽いシャフトがスタンダードなスチールからすると、重くて振れないというモデルかもしれません。
ただし、飛距離に関してはちゃんと当たって、適切なスイングをすれば大きな違いはない。この体力と集中力の維持に、多くの経験者が使えないと言いきるわけで、楽を覚えた体と頭には今更強要できないというのが事実なわけだ。
道具の新旧の明確な違いは、人為的なミスをいかに道具がカバーするか。クルマの発展や自動運転と同じですな。安全に対する信頼度もそうですが、例えば気持ちよくクルマを運転するのと、渋滞の中、家族を載せて里帰りする運転には、明らかな違いがある。自身にとってはね。だもんで、気持ちよく運転することを優先すれば、渋滞だっていまだに3ペダルのクルマが楽しいし、安全重視の自動制御には余計なお世話感がある。
これと同じなわけで、同じロフトの番手で160飛ばすのに、ドローを狙って6番のクラシックモデルを持つか、長さが短い現代の8番を持つかの違いは、スタイルの違い。楽しみ方は人それぞれなわけで、スコアを目的にする場合に、古いアイアンは飛ばないと結論付ける風潮に、話の大きな一段階が抜け落ちていると感じるわけですな。
古いから飛ばないんじゃない。楽に飛ばせないということだ。80年代後半のアメリカのプロの話に、クラシッククラブで正しいスイングを会得したという話がありました。新しいクラブの重心距離が長くなっても、クラシッククラブで会得したスタイルは基本だとあった。
でも、今時に置き換えれば、スライスと紙一重のフェードだった時代から、デザインとしてヘッドを返すことができなくなった新しいモデルには力強い球を打つための工夫が加えられ、パワーフェードという球筋が生まれた。
ブログ主の世代からすると、ホーガンを使っていたプレーヤー以外、多くはフェードというのは意図的に打つ球筋であって、普通に打ってフェードというのは矯正の対象だった。フックが出れば、上達の兆しだったわけですな。
最近は珍しくなりましたが、歩きのラウンドを前提としている自身の身体は、カートでラウンドした時の方が筋肉痛がひどい。筋肉の緊張が違うんでしょうね。
歩いてボールのところへ行って、アドレスして打つ。それには動き続けている筋肉は、視覚からもボールに近づくにつれて徐々に準備をし、段階を踏んで動かすことができる。カートだと、ウリャーって振って、クタァーアッと脱力し、また数歩歩いてアドレスで極度に緊張させる。
回顧主義にも思われそうですが、今時のアイアンを見て、5番からしかなくても、それは長さも同じ古いセットの3番からと同じであって、ウェッジが3本合わせられていても、それって、9番から、PWにSWと同じと書き留めたところで、新しいものが良いという世間の風潮。UTなんかを揃えるセッティングは、昔のセットに置き換えるなら、ロングアイアンだけキャビティやカーボンヘッドにしてみたっていう感覚かな。
新しいものを売り込むメーカーの広告費を糧にしているメディアには言えないことだし、クルマも登録から10年たったら税金が割増しになる官民一体の消費促進文化が日本のスタイル。
ただし、クルマのABSには慣れたけど、横滑り防止装置は、スイッチで操作できる方が望ましい。
ゴルフに限っては古来のもので充分と考える偏屈なおじさんには、街中禁煙と同じく、肩身の狭くなった最近に一言でした。
国産たばこの農家にJAの後ろ盾があれば違うんだろうなぁ。あ、補助金ビジネスに変わってるか。


