こないだ震度7を警告する緊急地震速報の自動発報、誤報でありながら世間が揺れた。
その昔、広告を見てそれを買ったら、その内容が全く違ったってぇのはよくあったこと。今でも写真メニューを見て注文したら、実物がまるで違うというレストランには行き当たることがある。
実際に、ハンドルから誇らしげに手を放し、街中をクルマが勝手に走り回るという広告映像によって、ピザ屋が言うように小さな小さな注意書きなど見過ごしたまま、世の中では、自動運転とはハンドルから手を離すものだという認識がある。
自動といえば、ゴルフならオートティーアップくらいしかないかな。
自動運転はお国も国策として、2020年にはそれを実現しようとしているのは確か。レーンコントロールという道路の白線からはみ出さないようにハンドル操作をアシストするという装置は、既に20年以上前にドイツで開発されていた。
ミリ波レーダーと組み合わせて、前車との車間を保ちながら追随し、前車が止まれば停車するシステムも完成していた。前車がいなくとも、車間を一定以上に保持するというシステムと、クルーズコントロールが組み合わせられれば、速度無制限のアウトバーンで手放し運転が可能だったわけだ。
しかし、製品化されたのは個別のシステムであって、ハンドルから手を離せない安全装置を持ち、運転支援システムとしての域を脱していない。少なくとも高速道路などでの自動運転は20年前に完成していたはず。
ところが一般的になっていないという理由は簡単で、運転に対する考え方の違いもあるものの、システムにはエラーや欠陥があったから。前車の位置を確認するセンサーは指向性が強く、横から車線に割り込んでくる車両を感知しにくい。雨が降ったり、荷台から紙の裁断くずや、乾いた砂をまき散らすトラックや、バイクとか全高の低いクルマの後方ではセンサーが誤作動する。
その結果、マシンとしての対応は、見事にデジタルで、そのまま突っ込むか、ドカンとフルブレーキ。ミスセンシングでクルマが止まるはずもない環境で勝手にフルブレーキというのは、とっても恐ろしいことです。ましてや状況によっては後続車に追突される方が怖い。
ドイツの大手アッセンブルメーカーのテスト車両を試乗した話には、車線に進入してくるトラックをセンシング出来なくて、全く減速しなかったとあった。アメリカの自動運転で地図作製用に道路データを集めていたクルマがバスに幅寄せされて事故ったのと同じ。バスが割り込んでくるという状況に対応できなかったAIは、車線を直進する自らが正しいと判断して、全く減速することなく、路線バスの横腹に接触したままアクセル吹かしていたらしい。
アメリカのデジタル電気自動車の事故では、ドライバーは運転ではなく、ハリーポッターを鑑賞していたとの話をマスコミが伝えた。やっぱり斜行するトレーラーを感知しながらも、荷台の下の空間を通り抜けられると判断したAIがそのまま突っ込んだというのです。
そんな装置を実用化する術はなんなのか。絶対に一般交通が侵入しない専用車線を作るのか、それとも、あらゆる環境にある免許保有者を短期間で再教育するのか。
お国の言うように、過疎の地域で、病院通いや買い物に出かけるご年配が、自動運転で目的をこなせるようにというのは、究極の目標ではあります。しかし、そのためには、実験を重ねて、エラーのデータを山ほど集める必要がある。成功するデータではなくて、危うくも人命を失いそうな事故をはじめとしたデータが必要なんですな。自然災害で橋が崩落してたり、道路が陥没していたら、レーンをフォローされては困る。ゲリラ豪雨で冠水してレーンが見えなくなった道で急停車すると、後続の四輪駆動やトラックに追突される。人間の判断と、センサーの判断とどちらが安全なのか。例外のないチェスや囲碁じゃない。
こんなリスクをあげるとね、それは世の中のクルマの何%が製品としての一生を終えるまでに数秒間だけ遭遇する機会とのたまう開発者がいる。自動運転に設定しておけば、飲酒運転など消滅するし、スピード違反もなくなるし、重大な違反も減少すると付け加える。ホントかいな。
ある期限を持って、すべての自動車は自動運転のみというなら話は別だが、混在する状況では、想像も至らない様々なリスクがある。それを放っておくか、回避にデータ収集の時間をかけるか。それはメーカーとしての責任判断になるのです。
世界を席巻している電気自動車の初期型は、今や電池の寿命。寿命を終えた有害物質を含む電池がどう処理されているのかも気になりますが、新しく交換するには車両代以上の電池代が必要らしい。買い換えるしかユーザーに選択肢はない。メーカーさんが密かに回収しているのか、当然、廃車です。初代のモデル、見なくなったよねぇ。
当初のモデルはドライブにシフトしても、ATミッションの様なクリーピングがないために、坂道発進ではクルマが後退した現象があった。開発者はそれを放っておいたし、メーカーも認めたから製品になり、しかし、ユーザーサイドからの不満を被り、坂道発進にはオートパーキングブレーキの機構を利用した対策の装置が後に付加されたのですな。
さておき、現代の交通環境における事故のほとんどは人為的ミスが原因とされます。あるメーカーはブレーキアシストを導入したら事故が何パーセント減ったと広告する。しかし、高性能車が横滑り防止装置を導入した時、乱暴にアクセルを操作する運転の本質を心得ていないドライバーがどれだけ助けられたかを数値化することはできなかった。ABSは、今ではその効果を大きくとりあげるメーカーはなく、ほぼ標準装備となっても、新しく車を買おうとするお隣の定年退職された旦那さんは、大径タイヤとセットにされたオプション価格であれば二の足を踏む。標準タイヤなんか在庫にないんですけどね。
運転支援というのは保険であって、性能ではない。でも自動運転という響きは、クルマの性能を指す。このご時世、購入希望者にあっては、運転支援を保険として備えるよりも、安い購入価格を魅力的に見せる方が、販売の拡大が見込まれます。従来の運転を心得ていると勘違いしている世代には、余計な装備と感じられる。
でも自動運転となれば話は変わるのです。空振りさえしなければ、って記憶に残るゴルフクラブの広告がありましたが、ゴルフをする者なら、それが大げさな表現であることは了解している。
でも車が自動運転だと聞けば、ハンドル手放し、胡座かいて朝の連ドラ見ながらパンを片手に通勤ってぇのが認識。もともと自動車ってぇ日本語も、その意味ではおかしいのかな。
ウチのクルマのクルーズコントロール、15年来、長距離で使ったことない。セットして走っても、前車の接近で減速解除、システムで再加速するとキックダウンする。それって、不快この上ない。
なんか、雑感。余計なお世話にて。