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熊子の部屋

イギリスにしばらく留学していた人間のブログ。

ジョン・スチュアート・ミルの自由論に書いてある、

「One very simple principle」っていうのが、

個人への社会的強制力の範囲を正しく、明確に示しているか、

っていうような問いに、同意か、また、反対なら、どんなんが良いんだ。


と、いうようなのが、今回のエッセーのお題です。


くそー。

面倒くさい。


どうも、考えがまとまらないので、

ここで、適当に考えながら、まとめてみようと思うのです。

また、ごちゃごちゃ書きます。ご了承くださいまし。



「Harm Principle」とか「Liberty Principle」とかっていわれるのがそれで、

簡単に言えば、


「他人に害がないのなら、何をしてもいい。」

っていうのが、これらの言うところだと思う。


のだけど、それに色々条件があるのですね。

これは、人間、この場合、成人、しかも、自由で平等な議論によって成長できる者。

後者の条件があるから、未開人(もしくは野蛮人)は「人間(もしくは成人)」とは認識されない。

・・・つまり、文明人の成人にのみ自由は与えられる、ということ。


・・・ごちゃごちゃと、

いろんな自由の形態があり、それらは守られるべきだ、とか。

この考えは、成長する生物としての人間の永遠の興味、に基づいている、だとか。


色々書いてあります。。。

(ついでに、僕が読んだのは、「自由論」の極々一部です。学部が抜粋したものです。)



はてさてほー、


他人に害がないのなら、何をやってもいい。っいうのには、一応、賛成。

でも、「害」っていうのが、あいまい。

ミルによると、この場合の「害」は直接的なもののみ、で、間接的なものは含まないと。

そう、それと、行動を起こした本人以外にこの「害」がないのなら、放っておきましょうと。


さて、この間接的な害ってのが、問題ですよ。

物事って、かなりの部分、間接的に伝わりますでしょ。

それが、与える影響もまた大きいと思うんですよね。


でも、間接的な影響までをも法律が罰すると言うのは、やりすぎでしょう。

そんなこといったら、全員を裁かなきゃいけないような状況になる、ような気がします。


あぁ、なるほど、事実、害はあるんだけど、

「間接的」なものに関しては、それは、個人の自由の範疇だと。

・・・でも、犯罪を犯す人って、この「間接的」なものを受けまくって、挙句の果てに、犯罪を犯す気がするんですけどね。


・・・と、なると、何のために法律が必要なのか、

それが、問題でしょう。

社会の秩序を守るためですか?

個人の自由を守るためですか?

(他にもあるんだろうか?)

どっちもかなぁ?


もし、社会の秩序のためならば、

いっそ、間接的なものまで「害」であると定義したほうが、

根っこから犯罪を抜けるとは思うのですが、


個人の自由を守るため、だとしたら、

「直接的」なものだけを裁くので、十分な気がします。

「間接的」なものにまで手を出したら、個人の自由を侵しているような気がします。


どっちでしょう?


むしろ、問題って、法律なんかで解決するものでしょうか?


たとえば、こないだの秋葉原の無差別殺人、

私の少ない知識によりますと、

彼は、高校までお母さんの見栄と、

無意味なバックアップのために、

自分の学力に見合わない学校、評価を受けていた、ということです。

その後、社会に出て、自分の無力さ(無能さ?)のようなもの、

思い知らされたとか。

・・・彼は、精神力のようなものを身に着ける機会を剥奪された状態で、

空虚な評価を受け続けてきた、と。

、、、そんな風に理解しました。


この人は無差別殺人を犯すという直接的な犯罪を犯しましたが、

その背後には、

母親の見栄に元をたどる、砂でできた高いイスのようなものに座らされていた、

という過去、

それから、母やの見栄は、社会的な学力主義、弱肉強食(?)的な風潮に原因があったように思えます。

社会的な風潮は、何に起源しているかというと、

国の教育に関する政策や、

それに、同調もしくは、それを後援した世論だと思います。


直接的な「害」は確かに見えやすく、

間接的な「害」は見えにくい。そして、間接的なものまで罰したら、国民、全員豚箱行きです。


視点を変えてみると(?)、

なぜ世論は学力主義に傾倒していったのか、

ですが、

、、、はて?なぜでしょう?

わからんですねー。

でも、これが解決しないことには、

いや、むしろ、これより根本的な問題が解決しない限り、

「直接的」な「害」をいくら追っかけていたところで、

無駄でしょうね。

表面撫でてるだけだ。

なーんの解決もしていない。


だからといって、

「根本的」に解決しよう、なんて大げさな政策なんぞをとると、

ナチス風味になっちまう。


今のあたしなら、もれなく「お金をなくしちゃえ」とか、言いそうですが、

そんなこと言っても、誰も賛成したくないでしょう。(変わり者以外は)


そうねぇ、この、金銭主義?ってのも、根本的原因のひとつじゃないですかね。



はて、何を書いてたんだか、

時間が来てしまったのに、肝心の問題の答えが出てない。


どういうリミットが個人の自由、社会的強制には適当なのか。


・・・また今度にします。

授業に出てきまーす。

じゃーねー。

ばっははーい!(20世紀少年、面白かった。第2章、見たいよぉ。。。)