(前の記事のあたりから、思考が連続しています。説明不足なのは、僕の頭の中から、ひょいっと出てきてるから。悪いね。)
全ての法律を危害の原理に依存すると、、、原理が暴走する気がします。
だって、ほとんどのことは、「危害」と分類できるように思うから。
「こじつけ」に悪用もしくは、乱用されかねない、みたいな。
でも、だから、
法律がはじめに考慮するのは、道徳の方がいいと思う。
で、危害の原理は、道徳のいうところが、妥当かどうかをチェックするためのツールのように使えばいいんじゃないかと、思う。
たとえば、
売春は、道徳的には、×
危害の原理に当てはめると、一応、○
・・・なぜなら、当人同士以外には、直接的な危害が及んでいないから。
でも、見方を変えると、
これは、治安や風紀を乱す、とも、いえる。
がぁぁぁぁ。。。どうしよう。
でも、
同性愛に関しては、結構断言できると思う。
道徳的には、×
危害の原理的には、○
・・・ついでに、これは、個人の嗜好の問題だと思うから、
好きな趣味や仕事を選ぶことができるのと、同じレベルの話だと、思う。
・・・ところで、
同性愛に関して、
危害の原理に基づいて、
しかも、同性愛の一面のみを取り上げて結論をだすと、
同性愛者の性行為が、エイズの流行に大きく関与した。とかいう点のみを批判しだすと、
同性愛は危害の原理から見ても、×
ということになる。、、、らしい。
・・・・あぁ、本当、面倒くせぇ。
どうにも、こうにも、ひとつの意見に絞れない。
自分の考えはさておいて、紙面上の議論を練り上げれればいいんだけど、
どうも、今のアタシには、無理のようで。
前は、こじつけくらい、普通にできたんだがなぁ。
あれは、話の内容が軽かったのか?
さて?
今、思うのは、
ミルの自由論で主張されている、「one simple prnciple」
の他人に害がないのなら、何をしてもいい。っていうのと、
人間は、成長する生き物だ、って言うところに関して、
僕は、賛成したいのだ。
なぜなら、やはり、人間は、自由があってこそ成長もするし、間違えも正せるし、幸せを感じる可能性もあがると思うから。
それと、楽観的だって、誰かさんが書いていたけれど、
人間は、成長する生き物だ、と、僕は思う。
・・・というか、思いたい。
実際は、答えをまだ、出してないんだけど、人間は、最低限、変化していく生き物だ、ってところまでは、間違ってないような気がする。
で、成長する生き物だ、ってところは、
、、、こじつけるしかないかな。
20世紀、人間が犯した間違えを、人々は認識し、それを改善しようとしている。
つまり、これは、間違えから、学び、成長しようとする姿勢である。
戦争がいつまでも耐えないことに関しては、、、、
どうしよう。。。
・・・考えとく。
でも、反対の部分もあるんだ。
「One simple principle」に関してね。
・・・・ですが、時間です。
行ってきます。
あぁ、、、どうしよう。
金曜日提出です。
2000単語です。
くそー、長いんだよっ!
・・・じゃ。