ここ数日、勉強にしっかりと向き合えず、
無駄な時間を過ごしてしまいました。
こんなのじゃダメだと思いながら、卒論の行方が見えず、ちょっと逃げ出したい衝動。
研究室の帰りに、図書館の芝生のベンチに座って、ゆっくり考えてみる。
しっかり卒論書いて帰るって、目標立てたのにな。
時間がかかったり、英語の文献読んでも理解できないのは承知のはずだったのに、
少し慣れてきたら、なんでこんなに時間がかかるんだとか、
なんで読めないんだとか、出来ないことが自分へのイライラと逃げに変わりそうになる。
そんなことわかってたことやん、
それでも頑張るって決めたんやろー、って初心を思い出す。
弱い自分。でも、そのときそのとき、ちゃんと心を切り替えていけばいいのかな。
心新たに、気持ちを入れ替えました。
そんなところに、同じ学部の日本人Bくん。
とりあえず夕食をパブで一緒にたべましたー。
25歳の若い彼は、人生について模索中のようです。
人間関係・恋愛の悩みから自分はどうしたらいいのか、なんのために生きるのか、
心はどうしてこんなにも揺れ動くのか、
そんな気持ちの真っ最中だと思う。
心理学勉強したいんですよねー、という彼の気持ち、よくわかる。
大学の時に心理学を選んで勉強しに来てた学生のほとんどが、
自分の心の悩み苦しみから救われたい人だった。
もちろん人の悩み苦しみに貢献したい人だっていたけどね。
でも、多くが心に苦しみをどこかで背負ってるような人だった気がするな。
話をするなかで、斉藤孝の話からビクトール・フランクルの話になり、
フランクルについて熱く語ってしまう私(笑)
アウシュビッツ生存者の心理学者フランクル博士は「夜と霧」が有名ですが、
私が忘れられない博士の一言は「それでも人生にYesという」です。
博士の本の題名です。
過酷な収容所生活で、最愛の妻を失い、家族を失い、
友人や仲間の無残な姿を目の当たりにして、一人生き残ってしまった彼が、
「それでも人生にYesという」という。
アウシュビッツ収容所を見学しにいって、この言葉の意味が、自分の中でますますに重みが増しました。
そんな話を熱く語ってしまったのですが、自分で話しながらも、
やっぱりこの言葉を口にすると、なんか「ウっ」て一瞬胸に詰まるものがある。
と同時に、彼も一瞬涙目になった気がしたのだなー。
ま、でもそのあとの私の話がなんだかグダグダしてしまって、
言いたかったこと通じたかなーと、反省しました。
そのあと彼が「その本を読んで変わったことはありましたか?」と質問。なかなか鋭い質問。
変わったかと言われると、何がどう変わったかわからない。。。と答えました。
でも、どんな人生の人に出会っても、
それでも「あなたの人生はすばらしい」と言える私でありたいと思ってる、と答えました。
答えになってないね。
帰り道、改めてイギリスに来て学んだことを考える。
今のところ、この2つが最大の学びとともに今後の目標。
・人をジャッジしない
・どんな人生であっても、それでも「あなたには価値がある」、「あなたの人生はすばらしい」と言える自分でありたい
ということです。
誰かが、辛いとき、苦しいとき、悩んでるときに、
一人でもいいから「悩んでも、苦しくても、それでもあなたそのものが尊い」って、
まるごと受け入れて、声をかけてあげられる自分になりたいと、
そんな気持ちになります。
できるかしら、そんなこと。。。。??
できる人になれるといいね。